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■2002年7月25日発行号
▼災害救助犬と内水問題で質問( 7月19日)
災害対策特別委員会で上記の質問を展開した。災害救助犬は日本では今迄あまり馴染みがないが、阪神・淡路大震災の時、スイスから救助犬が来て、テレビ放映されて国民に大きな印象を与えた。私は家屋の倒壊、山での遭難、そして湖や川での水難の際、救助犬が国際的に活動していることに鑑み、わが国に於いても民間の育成事業について、何らかの支援を施すべきでないかと訴えた。内閣委員会に於いての村井大臣の答弁が消極的であったので改めて論議し、調査、検討を約束させることができた。
台風が今、度々来襲しているが、都市部に於ける水害の多くは内水問題であり、特に住宅街での被害につき、大規模な遊水池を早期に設けること等を提案した。
詳細は http://www.sangiin.go.jp/japanese/frame/joho2.htm
をご参照下さい。
▼小室直樹さんの話( 7月20日)
「ソビエト帝国の崩壊」、「アメリカの逆襲」などの著作で高名な小室先生とは、1度お目にかかれればと思っていたところ、同僚議員が、少人数の勉強会においで頂けるので来ないかと誘ってくれ、喜んで出席させて頂いた。テレビを通じて持っていたイメージとは違っていて、決して小柄な方ではなかった。ご本人は学問一筋の方で、見守るように奥さんがご一緒されていた姿は、生活に全く無頓着だったアインシュタインをしっかり支えた夫人を彷彿とさせた。
小室先生は、日本の崩壊を心から心配されておられた。数学教育の不徹底と正しい歴史教育の欠落が今日の日本の混迷を招いているとの指摘は、数学者で博学な小室先生の面目躍如たるものがあった。先生は、日本の外交官自身がわが国の歴史を知らなくなっている事に、驚きと不安を持っていると語られた。国家意識の希薄化は国益を損ない、領土問題で今後、守勢に立たされる事になると断言された。沖縄でさえも、中国と台湾は明治28年の下関条約を否認しているので、日米同盟がおかしくなったり、日本の国力低下や日本人の国家意識が薄まれば、武力侵攻される可能性がある事も言外に示唆されていたように思う。
倉廩(そうりん/穀物ぐら)実(み)ちても(経済的に豊かになっても)心が落魄(らくはく/おちぶれること)してはどうにもならない。
▼「人生の大則」安岡正篤著を読んで( 7月21日)
講演集をいくつかテープで聞いているので、重なった箇所もあったが、本書は自身のいわば人生論といった趣で、著者のスケールの大きさを、あたかも丘の上から大海を眺めているような思いで一気呵成に読了した。人物を見る慧眼(けいがん)はあまり私にはなく、失敗も重ねてきたが、残念ながら自分に関わる人を在るがままに見、在るがままに受け入れるレベルまでは私の位置からは未だ遠い。
▼英国労働党下院議員との懇談( 7月22日)
企画されたシンポジウムへの招待状に私も3人の国会議員の1人として名を連ねたこともあり、シンポジウム前日に四ツ谷で会食した。今年の5月まで運輸、自治省の副大臣も務めていたアラン・ホワイトヘッド氏がその人で、自由党の西村真悟氏のまくし立てるような質問にも穏やかに応じていた。在日英国大使館を通じて労働党が派遣してくれた訳だが、公共政策学の教授でなかなかのインテリだった。
労働党が政権を維持し続けて来られたのは、労働組合への過度の依存から脱却し、地域を重視する方向に舵を切ってきたことにある、と語ったが、決してそれだけのことではないだろう。行き過ぎたサッチャリズムへの反発や、他の欧州諸国との協調を期待する思いが、党勢拡大に大いに寄与していたのではないだろうか。
招待者側の赤貧ぶりを察知して、態々運賃の安い航空便を使ってくれたりした挙げ句に、用意した僅少の講師料さえ、今後の組織運営に役立てて欲しいと寄附されたのには参ったが、私には柔和な顔立ちに相応しい高潔な人格との、爽やかな出会いでもあった。
▼「老いてこそ人生」石原慎太郎著を読んで( 7月24日)
本書はマスコミで大きく喧伝(けんでん/盛んに言いはやすこと)されているが、時折立ち寄る書店で眼にし、既に購入していた。この際、話題になる事もあるだろうと思い早く読んでおくことにした。本書は、癌や腰痛で苦しむ人々には、具体的な情報が提供されていて、あるいは役に立つかもしれない。
ワイドショーで特集され、本人もテレビに出て様々に語っていたが、1つだけ気になることがあった。それは、三島由紀夫の肉体を扱き下ろしていた事で、筆者はずっと以前からも舌鋒鋭く批判し続けていた。私自身も、作家である三島由紀夫が肉体をボディービルで造り上げていくことの不自然さに首を傾げていたものだった。そして、ボディービルを以てさえ、膨らむような柔らかい筋肉を造りきれなかった氏に、心から同情していた。三島文学は眩く圧倒的な才能、天才ぶりを見せ続けてくれ、大リーグで成功を収めたイチローがそうであるように、誰がどう文学的批判をしても所詮、同じレベルに立つ批判などできる者はいなかった筈で、文学以外での行動も誰も正面切って批判を続けた人はいなかった。つまり、何をしても許される空気の中での肉体の改造行為であり、「楯の会」の結成だった。無理して造り上げた肉体をきっとおもねるように、周辺の人達は褒めちぎっていたことだろう。
だから、筆者の批判も正鵠を得ているのだが、「もういいじゃないの」というのが私の気持ちだ。触れなくても良い事をいつまでも批判し続けていた筆者の発言に私は苛立っていたし、苦々しく思っていた。
実は、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に闖入(ちんにゅう/突然入り込むこと)し自決する直前に、自衛隊員が総監室の隙間から、事件の証拠作りという認識でカメラのシャッターを切っていたという。著者はその写真を見て、三島由紀夫の気負いのない澄み切った顔(かんばせ)が美しかったと最後の章で書き記した。このことで漸く、長年私の胸につかえていた著者への立腹が霧消したような気がした。
中学時代、私は毎日、就寝前に腕立てを10回する事を自らに課したが、これだけで効果はてき面で、胸の筋肉(大胸筋)は見る見るうちに発達した。そうなると面白くもなり、近所のおじさんが私の為にセメントを固めて作ってくれたバーベルを、暇さえあればベンチプレスして更に筋肉を逞しくさせていった。当時、東京の早稲田に住んでいた頃、多くの家に風呂が無く近くの銭湯へ皆行っていたが、中学から高校当時の私の筋肉は、既に表面的には素人レベルでの完結の域にまで達していて、衣服を脱ぎ裸になると、誰しもが振り返って嘆息混じりに「良い体躯だなあ」と言ってくれたものだ。今となっては突き出た腹を見れば、往時の私の肉体など誰も信じてもらえないだろうが・・・。こんな時代と経験があったから、私は著者同様、三島由紀夫の肉体の形には自分なりの思いと関心を持ち続けていた。
老いについての私の考え方は、究極のところでは在るものをそのまま受け入れていくことだろうと思っている。吉田兼好の「徒然草」はどこか暗く、私の仏教観とは少し違うようであまり好きな本ではなかったが、若い時に熟読したことがある。その中に「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」という一節があり、何度か地方議員の時スピーチに取り入れ、敬老会などで引用したことがある。つまり、花は満開の時だけが美しいのだろうか、月は雲のかからない満月だけが美しいのだろうか。といった慨嘆(がいたん/うれいなげくこと)を書いたものだが、この一節は後日知ったのだが、有名な一節なのだそうだ。枯れた花、落下する花弁もまたものの哀れを覚えずにいられないし、月も様々な形や光が私は美しいと思う。
寝たきりになった2人の親を私達夫婦は都合6年程お世話させてもらい、2人の最期の生き死にに立ち会った経験をもってしても尚、老いさらばえて逝った2人の90才を越えたところでの人生の末期は、呆けや排泄の汚れがあってさえ、美しかったと私は断言できる。それは何と言おうか、単なる精神というより人間のどこか奥の方にある生命の気高さが形の上での老醜を消して余りあるものとして感じられたのだ。
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