■2003年10月30日発行号

▼平和への祈り(10月26日)

埼玉県越生町にある世界無名戦士の墓で、毎年、宗派を超えた慰霊式典があり、もう30年近く私も参列させて頂いている。世界から戦争を無くすことは人類の悲願であるが、人間の心の奥にある憎悪や怒りの心を掌理させられない限り、根絶は不可能だろう。私はそこに祈りや瞑想が不可欠なのだと思う。

昨年、中東の各国を訪問して、イスラエルとの凄惨な戦いに何とか終止符を打てないものかと、そのヒント探しをしてみたが、妙案はそう見つかるものではなかった。しかし、越生の墓苑での今日の墓参の後、私は先ず、アラブとイスラエルの宗教者が、宗教や国境を超え、犠牲となった人々へ慰霊の祈りを互いに捧げ合ってみてはどうかと思った。そして祈りの輪を宗教者から一般国民にまでも拡げていって、国民の心から憎悪と怒りを取り除いて、寛容といたわりの心を敷延させていってはどうだろうか。

一夕一朝になるものではないが、長期的に、時に挫折も繰り返すこともあるだろうが、続けていく事がやがて政治的、軍事的解決をもたらすような気がする。


▼衆院選への切り換え(10月27日)

参院補選を惜敗した。選挙の勝ち敗けに勝因、敗因はいくらでも挙げることはできるが、今回は、投票率があと1〜2%上がっていたら、勝利したことは間違いない。しかし、それは言い訳にしか過ぎず、負けた事を率直に受け止めなくてはならない。私が事実上の総括責任者だったのだから、これから自分なりに猛省していきたい。ご支援頂いた皆様には、お詫び申し上げます。

この選挙は、単に一地域でのものに止まらず、衆院選の前哨戦という位置付けをされて全国的にも注目され、メジャーな闘いとなっただけに何としても勝ちたかった。票の出具合を見ると、衆院選の予兆として見る時、決して悲観的な数字ではないが、選挙は数だけで読むと大変な過ちを起こすこともあり、運動は地道な活動が大切だと思う。補選結果はショックだが、気持ちをしっかり切り換えて、総選挙に挑んでいきたい。


▼中曽根康弘元総理の引退(10月28日)

個人的に淋しく残念である。もう40年近く前のことだろうか、中曽根派の番頭役だった故・中村梅吉代議士の演説会が豊島公会堂で開かれ、まだ発会間もない派閥の領袖となった元総理のスピーチを昨日のことのように思い出すことができる。

雄弁で淀みない語り口は耳触りが良かった。戦後、言論界は左翼でなくてはインテリでないような風潮の中で、一貫して憲法改正を主張し、容共、親共の識者を前に、怯むことなく論陣を張り、立ち向かっていた勇姿は格好良かった。恐らく元総理の胸中には、元・海軍士官としての矜持と、海の藻屑となって消えていった多くの戦友・英霊への熱い思いがあったに違いない。百万人といえども我行かん、という気概に溢れていた。

今、社民党は存亡の危機にあるが、その引き金を最初に引いたのは私は、中曽根元総理だと思っている。組織として当時の社会党を支えていた最も大きな力の1つが国鉄の労組だったが、総理となって一気呵成に民営化に持っていった手腕は敵ながら(?)天晴れだった。きっと永く心に温めていた戦略だったと私は思う。それでなくてはあれほどスムースに事が運ぶ訳はないだろう。

その元総理がバッジを外す。本来、人生に定年などあってはならない。ただ、能力がその職に不向きとなったら本人自らが座を外すべきだが、8割の人々が自己の能力を見定められないところに問題が残る。政治家は民主的な手続きで選ばれるのだから選良とも言えようが、現実は、村部などでは有権者の多数が必ずしも適切なジャッジを下していないと指摘する識者もいる。政治家の選出を能力や人間力で測るのではなく、義理や盲信に依ることも多いということだろうか。

しかし、元総理の大局観、歴史観は今もって優れた認識を示し続けている。小泉総理の中曽根元総理への事実上の引退勧告は、慇懃無礼、浅慮で誤りだと私は思う。


▼衆院選雑感(10月30日)

この齢(55才)になると人生全体が俯瞰できるようになる。“若さ”の記憶もまだ生々しく残っているし、“老い”もすぐ手に届くところにある。悲喜こもごも多くの人の人生の変遷や顛末をつぶさに見てきた。そして死も。

私が歩んできた政界に於ける様々な人々の人生は、特に間近だったから、岐路に立たされたときの選択、決断、そしてその基準となったその人にとっての価値観を見続けてきて、多くのことを学ばせてもらえた。その中で、因果応報の哲理だけは私のような者にさえ、はっきりと確認することができる。

28日、衆院選が公示され、全国各地での選挙情勢が報道されているが、「これは・・・」と思うことがある。その1つに、自分が長年、秘書として仕えてきた恩人でもある前議員に挑戦状を叩きつけるように、闘いを挑んでいる候補者だ。前議員の高齢を批判し、世代交代を訴えているのだが、内々には色々な事情もあるだろうが、これなどはどう見ても大義がない。仮に選挙戦略や戦術が功を奏し勝利したとしても、長くこの人は議席を維持することはできないだろう。自分もいつか、同じ目に遭うような気がする。

わが党は若い党で、同一選挙区で今回の自由党との合併は例外時期なのだが、公認と公認漏れの候補者が無所属で競い合うことはない。しかし自民党ではこうした例は多く、大抵は公認漏れの候補者が新旧交代や若さを売り物にして戦っている。この際、若い候補が勝ったとして、その後、20〜30年経ってくると又、若さと世代交代を旗印に新たな候補者がその者に挑戦してくることだろう。挑戦者は20〜30年先を見越しながら、旗を掲げるのがよろしかろうと私は思う。


▽飛び入り参加<3> (10月30日)

私、地元(川越市)担当、秘書の依田と申します。またまた、山根議員からSOSが入り、今週は私の出番です。参議院補欠選挙が終わり、息つく暇もなく今度は衆議院総選挙。前号、前々号と選挙の関係で議員は、多忙を極めていて(決して横着はしていません)、1コマ協力することになりました。

私と山根議員の出会いは、平成11年に、県議会議員2期目に挑戦された時です。その時の第1印象は「何て気さくな人なんだろう」と思い、人柄に好感を持ち選挙をお手伝いさせて頂くようになり、今日に至ります。山根議員は事務所で時間が空いた時には、時々自分の夢等を語ってくれ、私達秘書に優しく、そして気配りもしてくれて、本当に良い人に出会ったなとつくづく思います。

読者の皆様方、山根議員がこれからもっともっと国政の場で活躍できる様、応援よろしくお願い致します。


 おまけ 「亀との再会」

2年前、故郷(島根県大社町)に帰った時、ある日散歩していたら道路の、ど真ん中に大きな石ころが転がっているように見え、危ないなと思い、退かせようと近付いたら、なんと「亀」でした。直径が20センチ位ある大きな亀。滞在中だけでも飼おうと家に連れて帰り、餌をやったり、散歩のお供にしたりして(甲羅に穴を開け紐を通し、まるで犬を連れて歩いているがごとく)。

結構元気がよく、一緒に歩いてくれました。休暇も終わり埼玉に帰る日、親に引き続き飼うように頼んだが断られ、自然に帰し、別れを告げました。そして今年の夏、再び故郷に帰った時、家の近くの畑でなんと2年前の亀に再会(目印は甲羅の穴)。元気でいてくれたんだと思わず感激。親に聞いたら、2年間ぜんぜん姿を見せなかったらしい。まるで私の帰りを待っていたかのように出てきてくれた。ありがとう。

もう冬眠に入りましたか? 来年又、会おうね。


▲「バックナンバー」一覧に戻る
▲トップにもどる