■2003年9月11日発行号

▼埼玉県知事選挙<3>“友情支援”( 9月5日)

選挙期間中は、メルマガでも知事選に触れると、公選法上の問題を惹起する恐れもあって、このシリーズを休ませてもらった。戦い終わって、様々な思いが去来するが、あまりに大きな影響を方々に及ぼすことになり、その全てを書き記すことはできない。しかし、他にご迷惑を掛けずに今、お伝えできることもあるので、あと2〜3度書かせて頂こうと思っている。

坂東さんから「ノー」の返事があり、上田さんから「県民党で立候補したい」との懇請を受け、党県連の細川代表と私(幹事長)は頭を抱えた。推薦でも支持でもなければ党としては、従来からの組織上の扱いでは、これは自主投票という事になる。それでは、できる範囲で支援していこうとする我々の意志が正しく表現されず、実態とは違った印象を有権者に与え、誤解を生むことを心配したのだ。

記者発表するまでに、私は何とか4字の熟語をつくり出す必要を細川代表に訴えた。仮にマスコミから第1報が“民主党は自主投票”と報道されると、民主党支持票は分散し、上田候補に集票されなくなり、取り返しがつかなくなる。又、この大きな選挙に民主党が関わらなかったと見られれば、党の力量不足との批判にとどまらず、“自民党にとって代わる政権政党たり得ず”との烙印を押されかねない。又、中央政界への影響も十分、懸念される状況だった。

私は事務所のスタッフにも「何か良い言葉はないか」と提案を求めたが、なかなか見つからなかった。正に記者会見の直前、「幹事長、“友情支援”でいこう」細川代表の重い口から咄嗟に発せられた言葉に、これでいけると私は直感した。これなら上田さんの希望する県民党のイメージにも添えるし、民主党県連の大勢を上田支援にまとめられると思った。

新聞では、友情支援は実質的には自主投票という表現もされたが、時間が経つに連れて言葉が1人歩きしてくれて、有権者には党の意志がしっかりと見えていったように思う。選挙後のマスコミの調査でも、投票した人のうち民主党支持者の8割が上田候補に投票したという事実が、このことを何よりも証してくれたと言えるのではないか。


▼パクリ(ものまね)( 9月 6日)

新聞の折り込み広告なども最近、少しずつ見るようにしている。後輩の選挙用のポスターやリーフレットづくりに役立ちそうなものをとっておいて、スタッフに渡す為だ。著作権を犯すようなことはできないがヒントは満載されている。

党県連の仲間の間では、結構パクリが多い。最近はホームページやリーフレットなどでも、パクられていると思えるような事が多くなっていて、多少、会った時には「謝意を表してよ」と言う気持ちにもなるが、逆に貢献しているんだな、という自負もわが陣営には生まれている。

市会議員時代の器材は、全部自分で作ってきたが、出来映えは中の上位だったと思う。デザイン力というのは、どうも生まれついてのセンスとしか言いようがなく、苦労の割に私は、スゴイものが創れなかった。きっとDNAのせいだと思う。


▼隠れた味処( 9月 7日)

埼玉平成高校の文化祭に招かれ、生徒さんの種々の催し物を見学させてもらったが、皆、本当に楽しそうで、暗く沈んだ子供達を見ることはなかった。きっと楽しい思い出を作ることができただろう。

お化け屋敷もつくられていたので覗いてみたが、待ち人が多く、とても待ちきれないので入場を諦めたが、いったいどんなお化けが私を待ち受けてくれていたのだろうか。仕掛ける方も、恐がる入場者も、束の間の異次元を楽しく体験していたことだろう。

学校を後にして、久々の毛呂山町だったので、少し足を伸ばして越生町にある“代官”という料理屋で昼食をとることにした。ここは野鳥料理や山菜を中心とした食材を出してくれるのだが、いくつもの小さな独立した東屋は他の客とは隔絶されていて、代官気分を味わうことができる。

この店は四方が山に囲まれていて、辿り着くまでは、ここに料理屋があるなどとはとても考えられない程、辺鄙な場所にある。低く長い白壁は武家屋敷の風格を醸し出しているが、藁葺き屋根の館を見ると、豪農の屋敷のようにも見える。朽ちかけた古い門をくぐると、タイムトンネルを抜けたように、前生(さきしょう/前世)の遙か昔、見覚えのある懐かしい風景の中にすっぽりと包み込まれるような錯覚に陥る。

受付を済ませると、日本の昔話に出てくるような腰の曲がった人の好さそうな老婆に東屋を案内された。老婆が運んできたザルに満載された自然の食材を囲炉裏で焼いて口にした私は、時空を超えた味覚で満たされたような気がした。


▼埼玉知事選挙<4>“有力候補者の横顔”( 9月 9日)

上田、嶋津、浜田、坂東、高原の各候補は、それぞれに私的な知己であり、この5人の争いというのは、個人的には複雑な思いがあった。しかし、私的な義理とか人情の上に、政治家の行動の基準として大義があり、私は迷うことなく全力を挙げて上田候補勝利に向けて汗を流した。

新知事の上田さんは私と同じ年で、経歴は違うが政治家を目指し行動を始めたのも多分、同じ頃ではないだろうか。衆院に4回続けて落選し、10年間に及ぶ浪人生活は、並大抵の苦労ではなかったと思う。その苦労の中で多分、作られてきたのであろう金銭感覚は、独特のもののように思う。

先般、細川代表と、衆院後継者の問題などで意見交換に知事室を訪れたが、ちょうど時間帯が昼近くで「食事でも如何ですか」と勧められた。細川代表はこの瞬間、何を思っていたのか解らないが、私と思わず顔を見合わせてしまった。私が瞬時に思い浮かんだのは、ご馳走になってしまって良いのか、という事であった。新知事は、交際費は一切公開する、とマニフェストで明らかにしているのだから、恐らくこの昼食費も公開されることになろうし、問題はないのか、という不安だった。「個人的なおごりなら問題ないのだろうが・・・」などとゴチャゴチャと私は考えていたのだが、思わず「ごちそうになります」と言ってしまった。

入ってきた秘書に「職員食堂のランチで安い方のものを。」と早速、知事は注文してくれたのだが、いかにも上田さんらしい言い回しなので、私は心の中で吹き出してしまいそうになった。この程度の内容ならご馳走になっても大丈夫かな、とホッと胸を撫で下ろすことができた。直前の心配は全くの杞憂だったのだが、ここに上田さんの金銭感覚を改めて見る思いがした。

上田さんは実は決して吝嗇(りんしょく/ケチ)ではないのだ。普段は質素にしているが、これはイザという時の為の備えとしていて、必要と判断した時のお金の使い方は「エッ」と思うほど気っぷがよく、若手の活動家や議員を支えてきた。党県連の財政運営は、ほとんどが議員の分担金とパーティー収入に依っているが、上田さんは「自分の足を食べるようなこと(議員分担金)は、できるだけ無くした方が良い」というのが口癖で、経済生活で苦労している地方議員の立場を、よく理解していた国会議員の1人だった。これもきっとご自身の体験からくる思いやりなのだろう。


▼野中広務氏の引退( 9月10日)

野中さんの発言と行動は、いつも政治の現実を、ひ弱な政治家や経験の少ない若手政治家に突き付けているような気がしていた。どのように平和な日々が続こうと、政治の本質はそう変わるものではない。世界には依然として戦争は無くならないし、既に新たな国際テロの時代が到来している。国益を懸けた静かな、時には激しい国家間の熾烈な闘いは、世界国家や世界連邦が現実となるまで絶えることはない。国際舞台での虚々実々の駆け引きや陰謀を忌み嫌おうが、政治家はそれから逃げられはしまいし、逃げるべきでもないだろう。政治家にとって最大の価値基準は、国会議員なら国民の利益、県会議員(都道府議)なら県民(都道府民)の利益、市会議員(町村議)なら市民(町村民)の利益に置くべきなのだから。

先の通常国会末に、民主党参議院会派の役員人事について議論された折に、同期の議員が「役職なんかに囚われても仕方がないのに・・・」と言っていたが、それは我々がまだ1年生議員で、俎上に上る段階ではないから言えることだろうと私は思った。数10年前、ハマコーさんや石原都知事らの自民党若手グループが、青嵐会という派閥横断型の思想集団を血判まで押して立ち上げたが、数年してメンバーが政務次官などになっていった頃からギクシャクして、一応、中川派という形を作っていったものの結局、霧消していったことが思い出される。

政党のトップリーダーが、若手を重用する時の心情というのも様々な思惑がある筈で、党の将来を見越して育てるという思いもあるが、当選回数や実力などで拮抗する、うるさ型の人々を遠ざけておきたいという防御本能も働くものだ。

政党内、政党間、国家間での権力闘争は不可避で、変わることのない機能原理の1つなのだが、実は中長期で見れば、その帰趨には人間社会のあらゆる領域に貫かれている、いわば人生の大則という別の力がある。それは、人間の平和希求の意志や深層心理にあるおぞましい欲望が、皮相的に創り出した諸相などといったものを遙かに超えた、善因善果、悪因悪果という因果応報などの哲理である。(今、その内容に細かく触れると長文になるので割愛したいが、別の機会に書いてみたいと思っている。)

私は今般の埼玉県知事選挙では、トップリーダーの在り方など、党県連の細川律夫代表からも多くのものを学ばせてもらったが、脳裡の片隅にずっと在ったものは、戦国時代に於ける徳川家康と豊臣秀吉との種々の葛藤であった。今回ほど歴史の教訓を生の現場で、私自身の政治決断に於いて、生かせたことはなかったように思う。いつの時代にも変わらぬ、難しい政治の現場とそれを乗り越えていく手法、更にそれを超えたところにある人生の哲理が織りなす人間の歴史は、時に残酷でもあり、美しくもあるように思う。

野中さんが総裁選を前に引退を表明されたことは、「そこまで追い詰められてしまったのか」という印象である。引退表明は政治力を減退させこそすれ、増すことはあり得ない。野中さんはこんな政治常識を無視してまで引退を言わざるを得ない程、派閥内、党内での抗争に敗れて感傷的になってしまったのだろうか。

私はこの人の政治能力は高く評価するが、自著で日本の戦前の歴史について触れ、自国民への冒涜としか思えない「侵略行為を行ってきたこの国の民族性は恐ろしいと思う」といった記述は、とても私には保守系政治家としての理念を持った人と断じる訳にはいかない。これから総合雑誌などで野中広務氏の毀誉褒貶が様々に論じられるだろうが、大物の退場ではある。


▲「バックナンバー」一覧に戻る
▲トップにもどる