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■2003年8月28日発行号
▼思考停止状態( 8月22日)
知事選挙真っ只中であるが、実はもう1つの選挙が同時に行われている。私の地元での、わが民主党と自由党の合併に伴う衆院候補者の1本化の為の、事実上の予備選挙である。選出方法は世論調査を基本とするもので、31日迄に決定されるという。私の事務所も知事選挙と並行して活動を展開していたため、党埼玉7区事務所とは種々の作業を分担して行っていた。
両事務所ともテンテコ舞い状態で、スタッフも明け方までといった作業が何日も続き、ヘトヘトになっていた。普段、何でもない打ち合わせが、頭の中がいっぱいいっぱいでチグハグな会話となっていて、正しい判断能力がかなり減退していたように私には見えた。まるで、酸素が薄い高山で会話しているかのように。
メンバーは漸く7〜8時間の睡眠をとって、間もなく元に戻っていったが、堆く積まれた活動器材を前に、スタッフは今日も街を走る。
▼沢たまきさんを偲んで( 8月23日)
参議院議員の宿舎は麹町と清水谷にあるが、沢さんは私と同じ清水谷の宿舎だった。一昨年の選挙で当選後、間もなく新入居者の歓迎会が宿舎の食堂で開かれ、その時、初めて沢さんと言葉を交わした。
極く当たり前の挨拶で終わったが、アルコールで酔いが回り始めたら、用意されたカラオケで、沢さんはご自分の持ち歌を何曲か歌われた。そのうちの1曲は“ベッドでタバコを吸わないで”だったが、「一緒にデュエットして下さい」と私の方から頼み込んだら、気軽に「いいわよ」と言って石原裕次郎のデュエット曲を真面目に歌ってくれたのが、個人的な関わりの最初だった。
元歌手、元女優の歌でも、酔いが回ればそれぞれに談笑しているので誰も聞く者もいなくなっていたが、それでも沢さんは何曲も歌い続けていた。その時、私は、沢さんは本当に歌が好きなんだなと思った。
昨年、参議院の国際問題調査会の派遣で2週間、沢さんら5人と共に中東を視察した。アメリカのイラクへの外交攻勢が強まり、緊迫した環境の中で、各国の首相、外相などとの会談が重ねられたので、私にとってはこの上ない勉強の機会でもあった。型通りの外交辞令を終えた後の率直な意見交換の場面では、少し危なそうな質問も何度かしてみたが、その度に会談が終わり車に乗り込んでから、沢さんはいつも「いい質問だったわよ」などと言って私を励ましてくれた。
ある夜、ナイル河畔で公式行事を終えて食事していた時、わが国の対アメリカ外交について仲間の議員同士で議論になった時も、沢さんは私の意見にはっきりと同意して、私に援護射撃してくれたりもした。しかし、その後で私には「あの人の意見にも一理あったけどね」と言ってバランスを取り、決して人の陰口をきくことはなかった。「私は男っぽい性格だから」などとうそぶいていたが、実に気遣いの女性(ひと)だったと思う。
何日も寝食を共にしてお互いの人柄も解り始めたのに加え、海外での気安さも手伝って、私は「沢さんは創価学会にはいくつで入信したんですか」と聞いてみた。周りの議員やスタッフからは、何かハラハラとして、事の成り行きを見守るような空気が流れ始めたのを私は背中に感じた。
政界では、創価学会のことに触れることがタブーのような風潮があるが、私は、自由社会の中では決してタブーを作ってはいけないと思っている。少し私的に踏み込んだ質問だったかもしれないが、私は沢さんだからこそ自然に聞けたような気がする。さらりと、確か21〜22才と答えられた。本当は「入信のきっかけは何だったのですか」と聞いてみたかったのだが、2人きりの会話でもなく、そこまでは聞けなかった。帰国後も何度か中東訪問した仲間の議員等で食事する機会があったが、沢さんは毎回、時間を作って参加されていた。
先の通常国会で国立大学法人化法案の反対討論を本会議でした時、与野党の対決法案であったにもかかわらず、私の討論にしっかりと拍手してくれていたと、他の議員から聞かされ、有難い思いで沢さんの厚意に1人静かに感謝した。裏表のない人柄だから、党派を超えて多くの友人を持たれていたのだと思う。沢さんは娯楽ドラマ“プレイガール”のイメージ通り、飾り気のないさっぱりとした姉御肌の性格であったが、偲ぶ会で山本リンダさんが「テレビでのイメージと違って人情家でシャイな人だった」と弔詞で語られたことにも同感である。
帰国後、院内の廊下や食堂で出会った時、「お姉様」と、いつも悪戯っぽく声を掛けると、ニコッとして挨拶を交わして頂いた。沢さんの眼からは、私はちょっと心配な弟分のように見えていたような気がする。
お姉様、心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌
▼多面人間( 8月25日)
24年間の議員活動の中で、“演説”に力を入れていた時期があった。今では大抵、他の議員がスピーチしている時に、自分は何を話すか俄に考えているか、ひどい時はしゃべり乍ら考えている。
以前、熱を入れていた時は、前日に考え、書棚から参考となる書籍を出して目を通し演説に挑んでいたので、それなりの賛辞を頂くことも多かった。「山根さんの演説を聞いたが、是非、1度お会いしたい」といったお電話やお手紙を頂いた事があった。
そうすると先ず私は不安になる。その方の私へのイメージを大切にしたいので、できればお会いしたくない、という思いになってしまう。家庭での自分、議会での自分、テニスをしている時の自分、党務に当たっている時の自分、1杯やっている時の自分等々、相当に違うのだ。自分の心の中では自然なのだが、他人から見ると随分違うそうで、「意外と○○○なんですね」と言われることが多い。
最近ではこのメルマガも沢山の方に読んで頂いているので、又、別の新しい“山根隆治”のイメージが誕生しているのかもしれない。
▼晩夏の残酷な風景( 8月26日)
白く乾いた土にまみれ、切れた輪ゴムのように地面に屍をさらしているのは無数のミミズなのだが、恐らく新河岸川の土堤を散歩する多くの人々は気付いていないかもしれない。私は息絶える寸前、わずかに蠕動するミミズの断末魔を見て、初めてそれと気付いたのだが、この時の衝撃は大きかった。
晩夏のこの時季、他にも様々な残酷な場面を目の当たりにすることがある。油蝉は短い余命を告知され、取り乱した人のように木々に身体をぶつけては地表に落下し、死に急ぐ愚を犯している。息も絶え絶えになり、まだ足を振りながら存命に最後の執着を見せる蝉に、情け容赦なく蟻の群がる様を、私は長く凝視することはできなかった。
人間が他種の生命を奪い、わが身を養っているという残酷な事実を普段、私達は忘れているが、こうした諸相を見ると改めて生命の何たるかを思わずにはいられない。お釈迦様の前世を描いたジャータカという古い仏典があるが、この中で、お釈迦様がお腹をすかせた虎を森の中で見つけ、深く同情され、わが身を横たえて捧げた、という話がある。
ジャータカは古代インドに伝わる話をまとめたもので、必ずしも釈尊の前世を全て描いたものではない、という説も読んだことがあるが、いずれにせよこの話は、人間の傲慢さをたしなめ、偶(たま)さか生かされているにしか過ぎない人間の存在の危うさを、私達に教えていはしないだろうか。
▼総選挙の見通し( 8月27日)
いつ解散となるのか。現職衆議院議員のみならず、新人候補(予定者)にとっても最大関心事だが、この予測が難しい。マスコミや各党党首・首脳の見込みもだいたい2〜3回は外れることが多い。
「今度は間違いない」などと有力政治家が言っていても、私はギリギリまで信じない方だ。今期でも、もう4度ほど解散のアングラ情報が流れては消えている。党幹部の立場からは、油断して欲しくないから、「可能性がかなり高い」というメッセージを度々、発せざるを得ないのだが、候補(予定者)がその度に本気で信じることは先ず無い。
眉唾で聞いておかなければ、とてもではないが、財力の弱い人が多い民主党候補では、たちまちのうちに僅かな資金が枯渇することになる。
解散時期の予測は候補予定者自身が、本音では下している。予知能力も、候補者としては重大な資質の1つといえるだろう。
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