■2003年8月21日発行号

▼冷夏の音( 8月15日)

県道沿いの位置に寝室があり、早朝の雨も車の往来があるので、タイヤが路面の水をはじく音ですぐにそれと判る。このところ、まるで梅雨の再来のように雨続きで、せっかくの夏休みの楽しみであるプールや海での泳ぎが儘ならず、子供達にとってはがっかりだろう。親にとっては、楽な反面、子供達への同情もあり、この冷夏を少し複雑な思いで過ごしていることだろう。

私には異母兄姉が6人いるが、すぐ上の姉でさえ17才も上なので、年が離れすぎていて、実際には一人っ子として育てられてきた。近所にたくさんの友達はいたが、雨の日などは家に呼んで終日、友人と遊んでいる訳にもいかず、ぼんやりと雨の降る様を長い時間眺めていたことを覚えている。地面に落下して四方に砕ける際の雨滴の潔さや、壊れた樋から落ちる雨水の惨めな形と音。空を見上げては、雨は雨雲から降ってくるようには決して思えず、とてつもない天の上空から、地上に限りないメッセージと恵みを持って降りてくる無数の使者のように、幼児の頃思えてならなかった。

雨音というのは、今でもそっと聞いていると、異次元の世界へ私を導いていこうとしている妖しい妙音のようでもある。


▼山谷えり子衆議院議員・夫君 小川聖氏の死( 8月16日)

葬儀には参列するつもりだったが果たせず、急遽、スタッフに代理で行ってもらった。夫婦とも敬虔なクリスチャンだったと記憶している。

えり子さんとは、遠藤周作(“沈黙”“死海のほとり”などの作者)やスウェーデン・ボルグ(世界3大奇書の1つ“霊界探訪”の著者で、ゲーテの“ファウスト”のモデルとなった人)などの話をしたことをきっかけに、私としては身近な人になったように思っているが、夫君が偶然にも中学時代のクラスメイトだったことも、同志的つながりが私の心の中で強くなったもう1つの要因である。

作家談義の後、えり子さんのご尊父、山谷新平さんのファンだった事を告げたことがあったが、翌日、早速、えり子さんから、ご尊父を偲ぶ著書を贈って頂いた。すぐに読ませてもらったが、その中に夫君の記述が出てきて、身近な知人の生々しい描写はどうもわが事のように照れ臭く、読み辛いものがあった。

記憶ははっきりせず、どういう種類のパーティーだったか失念したが、都内でのそのパーティーの席上、小川聖氏から私の方に声を掛けてきた。「小川だよ、久しぶり」「え〜、聖ちゃん?」彼はニコリとして頷いてくれた。温厚な面容は全く変わらなかったが、どこか重い風格が出てきていた。当時、確か共同通信の国際局次長の肩書きだったように記憶している。

「山根は何党?」と聞かれ答えたら、「うちの女房と同じだな」と言うので、「え?奥さんは誰?名前は何というの?」と聞いたら、「山谷えり子(現在は保守新党)」とポツリ。私は本当にビックリした。彼のおとなしい温容さとえり子さんの激しい知的な個性がどこでマッチしていくのか、見当がつかなかったからだ。

中学時代の彼は優等生だった。当時の地元の名門・小石川高校へ進み早大を卒業したらしい。ポッチャリとした頬のえくぼがとても可愛らしく、誰からも好かれていた。口数は少なかったが、話すと遠慮がちな語り口で膨らみのある優しい声が、いつも周りの空気を柔らかいものにしてくれていた。

昼食のお弁当箱の中味はいつも豪華で、私などからは眼を見張るようなものばかりだった。あの時代、日本はまだ貧しく貧富の差もあり、その家庭の経済状況がモロに弁当箱に表れていたように思う。私の卒業した高南小学校の子供達と、聖ちゃんの卒業した目白小学校の子供達との貧富はもう明らかだった。今、思えば、子供達には残酷な試練ではなかったか。いつも隠すようにして弁当箱を開けて、そっと食べる仲間がけっこういたが、その心情は私にも痛いように解っていた。

しかし、聖ちゃんは豪華なおかずを決してこれ見よがしにするような子供ではなく、むしろ、はにかむような仕草があり、彼の人柄が滲み出ていた。そして、悪戯で誰かが彼の弁当箱から、おかずをつまんで持っていっても決して怒ることなく、いつもニコニコしていた。きっと両親の愛情をたっぷりと降りそそがれて育ってきたのだろう。

クリスチャンの家庭で育ったと思われる彼は、いつも食前、瞑目して感謝の祈りを捧げていた。私の場合、家に在っては、母がすることを真似て合掌して食事をとっていたが、友人の眼から奇異に見られることを恐れて、学校では手を合わせることはなかった。聖ちゃんの食前の祈る姿を見ては、いつも自己の良心に私は恥ずかしい思いをずっと持ち続けていた。

いつか夫婦4人で食事をしようと、えり子さんに話した事があったが、とうとう実現することはできなかった。聖ちゃんとの邂逅に感謝し、心からご冥福をお祈りします。


▼ゴミの集積場( 8月18日)

生活空間での美意識が無い訳ではないが、そこに至るプロセスが億劫でずぼらを決め込んでいることがある。毎朝、着込んでいる背広も、何着かは少しテカテカとなっているものの、漸く7着となったので毎日、順番に着ることにしている。ネクタイも決して鏡で背広に合わせるようなことはせず、勘で選んでいるに過ぎない。だから時々、すごいミスマッチがあって、終日こんな自分でも恥ずかしい思いで落ち込んでいる日もある。出勤前の慌ただしい時に、急な電話でばたついていて、似通っていた背広の上下を間違って国会へ着ていってしまったことがあった。

片付いたきれいな部屋、塵一つ無い自家用車の車内、おしゃれな装い、整理された机など、私は決して美しいことを忌避しているのではない。それに伴う努力が面倒臭いだけなのだ。

拙宅は調整区域内にあるのだが、農家の分家住宅などで家が増え、ゴミの集積所を近所に新設しなければならなくなった。早速、集会が持たれたが、皆、腰を引くように「わが家のそばはイヤ」と無言のうちに語っているように私には見えた。私はシメシメと思った。私の発想は全く逆で、拙宅のそばならゴミ出しも楽で助かる、と考えていたのだ。

そこで私はおもむろに、「私の家の脇ではどうでしょうか」と切り出したのだ。「え〜、本当に良いんですか」と異口同音だった。私としては、皆には感謝されるし楽ができて、こんな喜ばしいことはなかった。しかし、近所はきれい好きな人が多くて、集積所が汚れている事はほとんどない。


▼もう1つの国政選挙( 8月19日)

秋には解散・総選挙が予想されているが、もう1つ、埼玉7区では、民主党候補者選考の手段として、世論調査が今月末までに実施される。

わが民主党からは元NHKニュース番組キャスターの嶋田ちやこ氏、自由党からは元県議の小宮山泰子氏の2人が、それぞれ両党の候補予定者になっている。両党合併に伴い、どちらかを世論調査の結果、候補者に決めていこうとするものだ。

知事選が始まるとやってはいけない決まりで、街頭活動は8月13日がタイムリミットであった。2人が激しく活動するので、触発されて現職の中野清代議士(自民党)陣営も急に活動が盛んになってきたように見えたので、事の事情を一応、中野さんには話をさせてもらった。3人が一気に走り出したのでは、市民の間で混乱が起こると思ったからだ。


▼蛙と蟻の受難( 8月20日)

散歩のコースは大きく分けて2つある。畦道コースと土堤コースである。畦道には今、夥しい数のカエルが田ん中から這い出てきていて、草むらの中に息を潜めている。私は愛犬を先に歩かせた後に歩いていくのだが、それでも逃げ遅れるカエルが多いので、摺り足で進むことにしている。時々、ゲッという音が聞こえるので、そんな時、あるいは踏みつけてしまったのかもしれない。

土堤では、アリがせっせと仕事をしているので、よーく見て踏まないようにはしているが、これも完璧ではないだろう。アリの生態はよく知らないが、夜は休息しているのだろうか。夜中の散歩では、私にはアリを見つけることはできない。長雨で土堤が水浸しの時、彼らはどこに行っているのだろうか。


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