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■2003年8月7日発行号
▼埼玉県知事選挙<2>( 8月 1日)
候補者擁立準備作業の中で様々な情報がもたらされてくる。候補者になると目される方の人物評価はもちろんだが、担ぎ出そうとする陣営の中核的人々への批判や評価もかまびすしい。候補者として名前の挙がっている主要な方々は、皆、私の知己であり、高い識見や能力は承知している。しかし、その周辺の人々の性格や力量までは判らない。
候補者でありながら、自らが選挙参謀をも担ってきたような議員は、私自身も含め選挙についてはセミプロとも言えるが、世の中には本当の選挙プロという人間がいる。候補者や周辺の人々が選挙の実務を知らず、しかも一定の選挙資金を有する時、すっと陣営に入り込んできて旗を振る。その時、大概、現職議員のセミプロと選挙プロで一悶着あるが、候補者が選挙プロへの期待が強い場合、選挙母体が二分されるか混乱する。政党が全面的にバックアップする場合、選挙プロの入ってくる余地は全くないが、関与が薄い場合では彼らの出番となる。
選挙というのは、候補者や地域、その時々に応じ臨機応変の戦略・戦術が駆使されなければならないが、選挙プロの場合は、それが固定化されていることが多いらしい。ポスターづくりやビラのデザインもほぼ大都市なら同じで、デザイン料がここで浮かされる。数10万〜数100万枚のビラを印刷するので相当な金額となるが、彼らは当該選挙区外の決まった印刷屋を使うのだという。街頭でのパフォーマンスも、同じような企画であるが、情報や選挙実務の経験不足な候補者の場合、それが見抜けないかもしれない。
慧眼も候補者に求められる1つの能力であろう。
▼プロ野球雑感( 8月 4日)
この2〜3年、テレビの野球中継を開始から終了まで見届けたことはない。元々、巨人ファンであったが、今は選手の名前もあまり覚えていない。長嶋がデビューする1〜2年前から巨人ファンになっていたと思うが、本格的にはやはり昭和33年、長嶋入団からだろう。私は東京の下町生まれで銭湯通いだったので、下駄箱はいつも3番に入れるようにしていた。誰に言った訳でもないが、皆、仲間は同じように考えていたようで3番はなかなか空いていなかった。私の場合、3番が駄目なら王選手の1番が次の優先順位だったが、これも競争率は高く、空くことはあまりなかった。
昔、毎朝、新聞を開いて最初に見る記事は長嶋選手の打率だったが、今、見るのは松井とイチローの前日の成績だ。日本のプロ野球から簡単に大リーグ日本人選手の活躍に関心が移っていくわが心に、稚気を見るような気がする。
▼共産党議員との会話( 8月 5日)
市議会・県議会・参議院を通じて、本会議場や委員会室で共産党議員と隣り合わせになる事が多かったせいもあり、個人的には党派を超えて共産党議員の人とも親しく気軽に話をさせてもらっている。
一昔前と違って国会での委員会質疑も、極端な教条主義的な論理展開は、女性議員も多いせいか減ってきているように思える。共産党の、ある国会議員に以前、「皇室を認めるか否かが、脱皮への大きな最後のポイントですよ」と私は言ったことがある。今、共産党は大きく舵を切りたがっていて、皇室を当面容認するところまできてしまった。しかし、私に言わせれば、積極的な評価をするかどうかの問題で、まだまだ不充分なのだ。
全国的な関心にもなっていて、埼玉県知事選挙の事を聞かれて私は、「共産党とは一緒にできませんから」と言ったら、その議員は「何故?」と聞くので、端的に「私は反共ですから」と答えた。その議員はビックリしたように「え?どうして?山根さんは柔軟な考えの人なのに・・・」と戸惑うような表情を見せられた。「私は右でも左でも全体主義が嫌いなんです」と畳みかけるように言ったら、話はプツリと切れてしまった。
私のイメージはその方にとっては大きく変わってしまった事だろうと思う。
▼外来語の使われ方( 8月 6日)
作家である田中康夫長野県知事と石原慎太郎東京都知事は、英語など特別、語学に堪能だと言う話を聞かないが、インタビューや雑誌の対談でやたらと外来語を使っている。日本の作家なのだから、美しい日本語を、私はもっとふんだんに使って欲しいと思う。政治家同士の論争では、数字や馴染みの少ない外来語などは相手を煙に巻く道具として時に有効な武器となるのだが、日常の会話などで乱用するのは少しいやらしい気がする。
今朝の新聞で国立国語研究所が52語の外来語を日本語に言い換える案を発表したが、大いに歓迎したい。コンピューターを“電子計算機”と訳したのは大失敗で、日本人に当初、誤った理解をさせてしまったと思う。最初の刷り込みは本当に大切で、誤ると10年単位で時代を遅れさせてしまったりする。
▼ホームレス歌人の死( 8月 7日)
「欲言わん POCKET一ぱいだけで良い 幸は私の前で まわれ右する」という作品などを残し、76才の名字は不明だがツネコさんが亡くなったという新聞報道を読んだ。大阪・梅田の路上で詩を作り続けた“ホームレス歌人”がいたということを私は知らなかったが、流石、大阪だと思った。
大阪は底抜けに明るくて元気な街というのが、小さい時からの私の印象で、よく暴動が起こってニュースで報道される西成には、以前、私の姉が住んでいたことがある。盗品なのだろうか、明らかに左右のつくりが違う靴がサイズが同じだからという理屈で、セットで売られたりしていた。私が子供時代の事でいつの頃だったかは忘れたが、大阪という街のエネルギーを感じたものだ。
私の甥も大阪で薬局を営んでいるが、西成の知り合いの同業者は、風邪薬を箱から出して1袋ずつ売ったりしているという。改めて大阪という街の熱い力に触れた気がした。自分の間尺では解らない所だけに、私にとって大阪は魅力あふれる街だ。
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