■2003年7月17日発行号

▼土屋県知事の辞任( 7月12日)

畑 和 前知事がレールを敷いたとはいえ、さいたま新都心づくりなど大規模事業が、中央政界とのパイプの太い土屋知事だったからこそ、スムースに運ばれてきた、という実績は誰しもが否定できないだろう。しかし・・・。

去る2月8日、入間市の豊水橋架け換え工事の開通式に出席した折、橋脚の脇に広がる河川敷で式典が行われ、その後、テープカットの為に橋上へ移動した時、眼を見張る光景を見せつけられた。

橋上にはガス風船などが配られていたり、鳶職人による出初め式等でしか見られない梯子上での芸が披露されたりしていたので、子ども連れの家族でごった返していたのだが、知事を先導する県職員があろうことか、地元の近隣の市長にさえ道を空けるよう指示していたのだ。県職員のへつらいが余りに君側の奸の如きものであったので、知事の独裁がここまで来てしまったのかという思いで、私は愕然とした。職員も職員だが、ここまで職員を追従させてきた土屋知事の倨傲は、もうある限度を超えていた。

民主党は本部の常任幹事会で、首長は3期までと決議されていたので、次回選挙に出れば4期目となる土屋知事の推薦は、党県連としてはあり得なかったが、その対応はそれまで未定だった。しかし、県議2期を経験してきた私としては、もうこのまま県政を放置しておくことはできないと、この時、心に期するものが生まれた。それは、現職県議の皆さんと連携しながら、何としても新たな知事候補を擁立したい、という秘かな私の熱い決意だった。

平成9年の6月県議会。私は知事の独裁を諌める一般質問を与党議員としては最初に行った。聊爾(りょうじ/失礼なこと)とならないように、しかも言うべきギリギリの事ははっきりと発言するように、慎重に言葉を選びながら質問した。質問内容は、「裸の王様とならないよう、利害関係のない職員OBなどをご意見番として置いてはどうか」というものだったと記憶している。その時点では、土屋知事に真摯に受け取ってもらったように思えた。事前に質問を通告する慣例に従ったので、前日に質問内容を知事のブレーンが聞きに来た。「以前は、その役割を福田元総理が担われていたのですが・・・」と別れ際、私に小声で呟いた彼のあの顫音(震える声)は今でも忘れられない。


▼「地球(ガイア)のささやき」龍村 仁 著を読んで( 7月14日)

著者は映画監督で、以前メルマガで、講演を聞かせて頂いた経験を書かせてもらったことがある。半分程読んだところで、本書をどこかに置き忘れて失くしてしまった。内容は興味あるものだったし読み易かったので、書店から取り寄せて改めて最初から読んでみたが、とてもおもしろかった。ついでに5冊購入したので、4冊は他人に贈らせてもらった。

世界の8,000Mを超える山を全て酸素ボンベなしで1人で登り切った登山家のラインホルト・メスナーやアイルランドの歌手エンヤ、宇宙飛行士のラッセル・シュワイカートなど多彩な人々との、不思議な出会いを興味深く書いた本だ。著者が全編を通して訴えようとしているものは、現象世界と見えざる世界との絆のことだろうと思う。私にはどこの個所も全て納得できるものだったし、折に触れ私自身が訴えてもいる事とあまりに共通したものが多いのには驚かされた。

全5編で構成されているが、第4編の大女優シャーリー・マクレーンと一休・しん女との関わりは圧巻だった。彼女は一休の愛人・しん女の生まれ変わりであると以前から断言している。来日して一休庵の中で1人瞑想して出てきた彼女は、著者に2つの質問をしたという。1つは「一休さんは蚊と因縁がなかったか」と奇妙なことを聞き、2つ目には「私(しん女)が隣の部屋で昼寝していた時、彼の弟らしき人が来て、次の天皇をどうするかなどとても重要な相談をしていた気がするのだけれど・・・」というものだった。その後、著者が丹念に検証すると、歴史的事実と符合していたという。一休さんはどうやらマラリアで亡くなっているらしいこと、そして、南北に分かれた皇族の時代に在って一休さんは、両派の血を引いた人物だった事と関係があったのだろう。シャーリー・マクレーンの本は何冊か私も読んでいるので、とても理解し易かった。

その他の登場人物も、日頃から私にはいつも気になっていた人々だった。F1レーサーのアイルトン・セナもそのうちの1人だった。ドキュメンタリーを撮っていた所でセナの事故死に遭遇し、計画が挫折した話が載っていたが、私には雑誌プレイボーイなどで彼が語っていた「私はいつも神と対話している」などという言葉がいつも気になっていて、彼に興味を持っていただけに作品化されなくて残念な気がする。その他、ダライ・ラマ法王との話もとても興味深いものだった。


▼代理の代理( 7月15日)

党本部の常任幹事会に、私も副委員長となっている国民運動委員会の委員長代理として出席した。正式には、岡崎トミ子参院議員が委員長だが、事情があり当面の間、鎌田さゆり衆院議員が委員長代理を務めている。その鎌田さんから、所用があり出席できないので、代理出席して欲しいと前日、電話がありお引き受けした。考えてみれば、代理の代理となり、かなり肩身の狭い立場だ。

常幹は執行機関としては最上の機関で、党幹部がきら星の如くズラリと並んでいた。代理の代理でも気後れだけはすまいと私は精々、気負って座っていた。国民運動委員会の活動方針もおさらいして頭の中で整理し、もし質問があっても答えられるようにしていた心算だが、出番はなかった。時間が少し経つと慣れてきて、周りを見回してみたが、参院の幹部は国対などの関係で皆、欠席で、常幹メンバー30人の中で参議院議員は、私の隣に同じく代理出席の内藤正光議員だけがいるに過ぎなかった。

ちょうど今日、竹中大臣への問責決議案の上程問題が論議されていたのだが、私は、国対のメンバーではなく、何か言われたらマズイなと思っていた。案の定、衆院の何人かのメンバーから決議案提出のタイミングなどについて、問題提起があった。私は内藤議員と顔を見合わせたが、代理の代理と代理人の2人では、詳しい事情も解らず、答えるわけにもいかない。唯々、小さくなって静かに会議の推移を見守るしかなかった。


▼竹中平蔵金融・経済財政担当大臣の問責決議( 7月16日)

自民党の青木参院幹事長はじめ、多くの与党議員は竹中批判を繰り返していた訳で、民主党提出の問責決議案に反対する議員心理はどのようなものだろうか。反対討論に立った自民党議員の演説は、およそ元気がなく、内容も説得力を持つものではなかった。

国民の多くは、竹中さんの経済の舵取りが失敗だったと思っている。そんな中での反対討論を、自民党のA議員が率先してやる筈はなく、恐らく党幹部からの強い指名によるものだったのではないか。私の推察通り、自分の意に反して竹中大臣擁護の演説をせざるを得なかったとしたら、これ程苦しいことはなかっただろう。自民党という政党の枠内でのスピーチは、組織に身を置くものの重い責務だが、こうした経験も又、若い政治家にとっては成長の糧となっていくことだろう。

一方、わが民主党からは峰崎直樹議員が提案理由説明に立った。峰崎さんにとっても、実は別の意味で苦しい立場からのスピーチだったと思う。峰崎さんにとり竹中大臣は大学の後輩で、きっと個人的な関係もあったに違いなく、舌鋒鋭く迫った峰崎演説を聞きながら、政治家という仕事の非情を覚えずにはいられなかった。


▼エベレスト人類初登頂者の言葉( 7月17日)

テレビで初めてイギリス人ヒラリー卿の姿を見た。少し太った体躯で穏やかな顔立ちの老紳士は、自分の呼びかけで集まった寄付金により建造されたヒマラヤの小学校竣工式に、ゆったりとした足取りで参加していた。テレビは高山の大自然に囲まれた美しい景色を映し出していたが、ヒラリー卿の決して傲ることのない満足そうな笑顔が、子ども達の嬉しそうな人なつっこい表情にマッチしていた。

偉業を成し遂げた人のその後の人生は、人により様々だが、多くの人が他者への奉仕に残りの人生を費やしている。ヒラリー卿もその1人で、エベレスト周辺の街や村の発展に力を尽くし、汗を流しているという。

「何故、山に登る」の問いに、「そこに山があるから」と答えたという話は有名だが、インタビューでヒラリー卿はエベレスト登頂時の心境を改めて聞かれ、「征服したというより、登らせてもらった」と答えていた。この時、私にわが耳を疑う衝撃が走った。教科書にも「エベレスト征服」という文字が載っていたし、欧米人は皆、“征服”という言葉を使っているのだと思い込んでいたからだ。東洋人は自然の“征服”という言葉は決して使わないのではないか。私はこの言葉に馴染めず、聞く度に生理的な拒絶反応が起きていた。ヒラリー卿だからの言葉なのか、私の欧米人観が間違っていたのか?


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