|
■2003年6月19日発行号
▼職安の視察( 6月13日)
古い知人から、私の地元 川越のハローワークの混雑ぶりが尋常でないから視察してみてもらえないか、とのメールが届いた。国会の合間を縫って先方には連絡せず現地視察してみたが、なるほど相当の混雑であった。しかし、私の行った時間帯(朝9:00〜9:40)では、行列が外に溢れる程ではなく駐車場も余っていた。
所長にアポなしで迷惑かとも思ったが、直接、現状の問題点について種々の話を聞かせてもらった。仕事への意欲がいっぱいの人で、情熱を傾けてこの職場の改善に取り組んでいる姿勢が、私には好印象だった。私の質問にも具体的に答えてもらえた。内部努力、本省への予算要望など、川越職安の抱える諸課題への対応策は評価できるもので、近々に解決されることだろう。
訪問の本題ではなかったが、何故、求人雑誌等がたくさん出ているのに、多くの市民がハローワークに足を運ぶのかを改めて聞いてみた。所長は、失業給付の手続きや義務などを除いてみても、窓口相談を頼られる人が多いのは、1つには職安への信頼性、もう1つは、決断への後押しではないか、という見方を披瀝してくれた。
私は“決断への後押し”と言う意味は、よく解るような気がする。自分が理想とするような仕事は、今の時代なかなか見つけられない。次善の選択とならざるを得ないが、「本当にこれで良いんだろうか」という逡巡がきっと湧いてくるだろうと思う。その時のギリギリの決断を促す言葉が必要なのだろう。私もその立場に在った時、きっと専門家の言葉、アドバイスによって思い切れるような気がする。
▼ペット経験のない人の感覚( 6月14日)
家を1日空けなければならないので、親類の者に留守番に来てもらったことがあった。「猫の世話も宜しくね」と言って出かけたのだが、帰宅して驚いた。当時まだペット用のフードが無い時代だったので、残り物の肉や魚をご飯に和えて出していたのだが、何とご飯とおかずを別々のお皿に分けて出していたのだ。当然、猫は肉食動物だから、ご飯には目もくれず、そのまま残ってしまっていた。さすがにみそ汁とお茶までは出していなかったようだが、皆で大笑いしたことがあった。
今、わが家の犬と猫には別々の皿で専用フードを食べさせている。猫が犬のフードを食べることは先ず無いが、犬は塩気があるせいか、猫の残ったフードをすまして食べてしまうことが多い。あまりに恬然として恥じないので、愛犬に時々、指を指して「あ、これ誰が食べたの」と言ってやると、アッという間に居間の隅の方に走って逃げ出す。あの動作は、娘の幼児の頃とそっくりなのがおかしい。
▼国民の本音と小泉人気( 6月15日)
経済的事由による自殺者の激増、失業者数の拡大、株価の低迷・・・様々なアノミー(没価値)指数を列挙しても小泉人気が衰えないのは何故かを時々考えてみると、識者やマスコミが示していない国民の本音が私は別の所にあるように思う。構造改革といっても遅々として進んでいないし、経済の回復はとても望むべくもない。小泉内閣が発足してからわが国は、ほとんどの分野で国益を損ない続けていて、小泉内閣に見るべき実績がほとんど見つからない。なのに何故?
国民はどこかで、まだまだ日本は食っていけると思っているし、何とかなると思っているのだと思う。北朝鮮やアフリカの一部に於ける飢餓の可能性は考えられず、国際紛争による生命の危険を現実のものとして受け止めることはできない。今、国民が政治家に求めているものは、実績ではなく“姿勢”なのだと思う。官僚天国の日本を改革しようとする“姿勢”、汚職や腐敗に縁遠く清潔を貫こうとする“姿勢”を求めている。だから、日本の経済を真に建て直してくれる実力ある政党や政治家への期待度も、本音ではそう高くないのではないだろうか。
小泉さんは実績に表せなくても、声高に自党(自民党)の反対勢力を抵抗勢力として罵倒することで、国民の憤懣のはけ口を代替したりして人気を博しているのだが、国民の政治家への評価は、感情的なものでなくあくまでも実績を、私は物差しとして欲しいと思う。あまりに国民の政治家への評価が、見てくれやパフォーマンスに傾き過ぎていて、結果として国益がどんどん損なわれていっているような気がしてならない。
▼地元でのお見舞い( 6月16日)
毎日のように冠婚葬祭があり、その対応をするが、地元病院に入院した友知人のお見舞いは本当に難しい。4〜6人の病室だと大抵、本人以外1〜2名は私のことを知っている場合が多く、気まずい思いをする。「Aさんをお見舞いに来て、私の所は素通りなの」などと言われたりするのだ。
言ってくれればまだ判るが、ほとんどの人は無言で黙礼してくれたりする。顔と名前を失念したりしているので、こちらからは声の掛けようもないが、相手はしっかり私のことを知っているのだから辛いものがある。
事務所の人間を代理で行かせるというのも、何か欠礼のようで気が重い。仕方なく自分で行く場合は、病室に着くまで誰とも眼を合わせないようにずっと下を見て歩くようにしている。それでも時々、「あら山根さんじゃないの」などと声が掛かる。
政治家は誰しも目立ちたがり屋だが、こんな時だけは、静かに静かに、目立たぬように、という心境になる。
▼ツバメの孵化( 6月18日)
玄関の軒下にあるツバメの巣で漸く卵が孵り、4羽の雛鳥がピーピーと元気な声をあげ始めた。顔が見えなくなる程、大きく口を開けた様は、人の赤子とあまり変わりがないように思える。親鳥がくわえて運んでくる餌を我先にありつこうと競い合うように親鳥にせがむ姿は、生まれたばかりとはいえ、生命あるものの躍動の力を覚えずにはいられない。
ポーチに糞と共に卵の殻が割れ落ちているのを見つけた時は、「もしかしたら、今年は孵らないのでは」と心配していただけに、4羽の元気な声が嬉しい。近いうちに皆、巣立っていくことになるが、それまでの日々、ウォッチングを楽しんでみるつもりだ。
友人にツバメの巣立ちは縁起が良いよ、と言われた。わが人生、今年の後半に期待。
|