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■2003年6月12日発行号
▼大学人の素顔( 6月 6日)
国立大学法人化法案の審議過程で参考人からの意見聴取があった。出席した人のうちに東京大学総長、お茶の水女子大学学長、名古屋大学総長がおられたが、それぞれの立場から貴重な意見を述べられていた。意見陳述が終わり、参考人も私たち議員もそれぞれ一斉に委員会室を後にしたが、玄関で私にとっては見たくなかった光景に出くわしてしまった。
国会からの招致だから、一定の準備に時間も掛けていただろうし、緊張もあったと思うのだが、解放感からか、ある参考人が秘書とおぼしき人達を怒鳴り上げていたのだ。何のことはない「早く車をつけろ」といった事だったが、あまりの不遜な態度に私は口あんぐりとし、暫く横目で事態を見守っていた。側近数人の戸惑う様子は尋常でなく、日頃の倨傲(きょごう/傲慢)ぶりを垣間見た気がした。この放埒さと斯界での碩学(せきがく/学問が広く深いこと)の評価をどう受け止めたらいいのだろうか。
遠山文相がよく答弁の際、口にされる「21世紀は知の時代」という発言に、以前、“知”とは何かを問い、論議したことがあったが(3月20日文教科学委員会※)、私には改めて“知”とは何なのか考えさせられる場面だった。
※http://kokkai.ndl.go.jp/
▼中曽根元総理の出馬( 6月 8日)
10代20代の頃、私は「若さって素晴らしいね。楽しくて仕方ないでしょう。」などと言われ、いつも戸惑っていた。私は自分自身への期待も大きかったが、それに倍するような不安があった。若い時代は、“若く”なくてはいけないという事がどこか息苦しく、若さへの賞賛を受け入れるには、私の心には無理があった。私はいつも“若さ”を誇らしいものとは考えなかった。シワのない肉体的な張りや、エネルギーに優越の思いを抱いてはいたが、青春とは一刻(いっとき)のあだ花にしか過ぎないと、どこか醒めた虚無感があった。55才になった今の方が私は昔よりずっと若いような気がする。夢や目標への意欲も横溢しているし、闘諍心も消えていない。
中央政界で私は、若くも高齢でもなく、気兼ねなく年齢の事を語れる立場だと思うが、高齢=老害の思い込みが世の中に弥漫していて、時代の要請である優れた高齢者の知恵が無視されようとしている。国益にも関わることだから、一律に高齢者を評価すべきではないだろうと私は思う。極端な体力の衰え、知力の減退は、政治家にとって致命的な欠陥だが、高齢者でも依然として気力、知力とも健全で、卓見の持ち主もいることは事実だ。その1人が中曽根元総理だろうと思う。他党の事で余計なお節介ではあるだろうが、新聞等で伝えられてくる元総理の主張には傾聴すべき多くの示唆が含まれている。首長や総理の在職が長すぎると腐敗や退嬰(たいえい/退き守ること)を招くが、議員の長きは、人にもよるが、時代の節目で貴重な役割を果たしてくれることがある。
渥美 清の寅さんシリーズは、止めるに止められず、渥美さんが倒れるまで続けられたが、最後の作品はもうギリギリの健康状態であることが映像からも明らかだった。長すぎたことへの様々な評価や批判があっても、私はあれで良かったのだろうと思う。村田英雄の壮絶な生き様も、あそこまで己を曝さなくても・・・という見方もあるが、役者でなく歌手が本業なのだから、姿はともかく声は最後までプロの領域を保っていたことで、私は良しとして評価すべきだと思っている。政治家として元総理にはあれだけの人なのだから、行きつく所まで行って生き様も死に様も見せて頂きたい気がする。アインシュタインは死んで尚、脳を自分の意志で後世の人々に見せ続けている。
吉田兼好の徒然草“花は盛りに 月は隈なきをのみ 愛でるものかは”私の好きなこの歌を思い出さずにはいられない。
▼盧武鉉(ノムヒョン)韓国大統領演説( 6月 9日)
衆議院本会議場での演説だったので、少し早めに議場に行った。どこに座ろうかと見回していたら、参議院民主党の先輩議員と目が重なったので、その隣に着席した。名札を見てその偶然にビックリした。何と地元川越在住の共産党・矢島恒男代議士の席だった。外国賓客演説の時は、どこに座っても構わないので問題はないが、私の着席した辺りは皆、共産党議員の席で、志位委員長など共産党の名だたる人達にまるで囲まれるように、大統領の演説を聞く羽目となった。これもなかなか得難い体験なのだと1人苦笑してしまった。
盧武鉉大統領は、日本風には昭和21年生まれで私より1学年2才年上ということになるが、ほぼ同世代といえる。丸味があり、議場にもよく通るバリトーンの張りのある声は聞き易かった。気負いもなく実直な人柄が、わずかな時間と空間でしかなかったが、議場での立ち居振る舞いに表れていた。演説が終わり自席に戻りかけたところで、思い返したかのように踵を返し、再びスピーチ台に戻り、演説原稿を丁寧に整え直して脇のテーブルに置いた行為は、大統領の気取らない人柄がダイレクトに出ていたように思う。
演説内容については、超党派で何人もの議員に私から感想を聞いてみたが、様々な評価だった。私自身は率直に言わせて頂くと、わが国に対して少し辛口に過ぎないか、という感じが拭えなかった。先に成立した緊急事態法について、「疑惑と不安」という言葉が使われたが、これは事前に配られた原稿には書かれていなかったもので、恐らく大統領自身が改めて筆を入れたものだろう。この法律はむしろ周辺国に安心感をもたらすものなのだから、しっかりとわが国政府がこれから説明責任を果たしていかなければならない。
一昔前の先輩国会議員からよく聞かされていた話だが、韓国の政治家は国民向けには厳しい対日批判を繰り返すが、宴席など私的な所では必ずわが国への感謝の言葉が述べられ、「国内事情で貴国を非難せざるを得ないので申し訳ない」などと率直に語る人が多かったという。だからこそこちらも忍耐できるのだ、と聞かされてきた。しかし、昨今、こうした言動はあまりなくなってきているといわれる。微妙なある時期はもう過ぎようとしているのだろう。日韓のワールドカップに見られたようにアジア人としての連帯意識も芽生えてきており、もうそろそろ率直にわが国からの歴史認識も少しずつ発信していっても良いように思う。日韓併合時の国際環境はどのようなものであったか。韓国政府の意志や本音は、当時、どのようなものであったか冷静に検証していけば、苦い思いは伴うものの、きっとある程度の歴史に対する共通認識は持ち得るだろうと私は思う。
大統領演説に対し、「感銘を受けた」と語った方もおられたが、日本の過去を批判しつつ日本の経済協力を求める、という基本的な形は変わっていない、との印象を私は受けた。金大中前大統領は、日本の大衆文化を受け入れるという決断を下され、政府や経済人レベルでなく、国民間のレベルで飛躍的に日韓の友好関係を増進された。盧武鉉大統領は戦後世代初の大統領としての内外の期待が高いだけに、日韓友好の為の何らかの新たな決断を、私は願っている。
北朝鮮の問題については、日本の拉致問題に対し、「日本国民の衝撃と苦痛を理解する」と述べられた。しかし、拉致問題に関わってきた1人として、38度線で接する緊張状態が今も続いている特殊な環境の中にある両国の関係では、軽々に語れないではあろうが、韓国民の拉致被害について全く触れられなかった事は少し残念な気がした。
▼消失する有能首長( 6月10日)
総務省が推進している地方自治体の合併は、様々に諸相を見せている。町と市の組み合わせの場合、実質的には市が町を吸収合併する形になってくるのだろう。その際、首長選挙が行われるが、尋常に考えれば、人口を多く擁していた自治体の長が新しい首長になってくると思う。ここで有能な町長や小さな市の市長さんが次々と事実上、消失するという現象が起きてくるのは避けられないだろう。元首長というプライドもあって、新首長の後塵を拝することは難しいだろう。全国の名物首長、有能首長の消失は、国家的損失といえないだろうか。
▼酒の呑み方( 6月11日)
父親が酒好きだったから、私も好きであることは自然であるが、結婚する時まで晩酌をするという習慣は私にはなかった。女房の血統はあまり酒好きでないようで本人も全くの下戸だが、普通の家は大抵、晩酌をするものだろう、という思い込みがあって、夕食の時はいつもビールを出してくれていた。最初は何かすごい贅沢をさせてもらっているみたいで嬉しかったが、いつの間にか習慣となってしまい、ビールなしでは食事を楽しめなくなっていった。
あれから25年。ここでガラッと酒との付き合い方を変えてみようと思う。深酒が続き、朝起きた時、前日までの疲れが残っているという感覚がこのところ離れないのだ。自分の今の呑み方というのは、酒そのものの味を楽しむというものではない。味わえる味覚を失っても尚、呑み続けるという愚を犯し続けているような気がする。
この3日間、一滴も呑まずにいたら朝の気だるさはすっかり無くなっていた。節酒は、肉体の転換期への備えにもなるだろう。これからは、仕事や付き合い以外での酒は慎むようにしてみたい。
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