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■2003年5月29日発行号
▼ノーベル賞学者 小柴昌俊さんのこと( 5月23日)
東大元総長で物理学の有馬朗人先生(参議院議員)に「先生は幼少年期から『秀才、天才』などと言われ続けていたんでしょうね」と聞いたら、「いやあ、小柴さんと同じですよ」。
この答えには前段の話が隠されている。委員会の質疑で「無利子の奨学金は成績が上位から3分の1以上でないと借りられないので、学生時代はあの小柴先生でさえその条件に適っていなかった筈だが・・・」との私の発言を有馬先生が憶えてくれていたのだ。
有馬先生と小柴博士は東大で1学年違いだったそうで、研究室も一緒なら、就職先(理化学研究所)も同じで、いつも身近で机を並べられていたようだ。「どんな方でしたか」と聞かせて頂いたが、「随分、丸くなったなぁ」と嘆息まじりに語られた。「先輩にも後輩にも、自分にも厳しい人」で、原則を決して曲げない墨守の反面、湯川秀樹博士や朝永振一郎博士(ともにノーベル賞受賞者)とも交流を持つなどの社交性も持ち合わせる方だったようだ。
暖かく懐かしそうに往時の畏友を偲ばれる日本の知性にも老耄の陰りはなかった。
▼院内図書室の静謐(5月26日)
国会議事堂の4階には国会図書館の分室があり、議員閲覧室がある。質問の資料づくりや種々の原稿書き、思索する時など時折、使わせてもらっている。
ほとんど他の議員と重なることはなく、閲覧室は大概、貸し切り状態となっている。携帯電話で声を出し事務所と連絡を取り合っても誰にも迷惑がかからないという、私にとって誠に使い勝手の良い空間である。議員会館の議員室では、いくらドアを閉め切っていても様々な音が耳に入ってくることは避けられない。誰にも気を使わなくて済む所なら喧噪の中でも思索することはできるが、原稿書きだけは、1人きりで静謐の中で行う作業が1番、私の場合、はかどる。
この場所は多分、1年生議員の人は知らない人が多いと思う。たくさんの人に教えてあげたいという気持ちと、いつまでも私の秘密の仕事場にしておきたい気持ちとが交錯している。
▼本の整理作業( 5月27日)
書棚を移した時、全書籍を取り出したので整理のつかないまま無造作に詰め込んでいたら、いざ必要な書籍を見つけようとしても時間ばかり浪費するので、仕方なく漸く2年ぶりに整理を始めた。
もう要らなくなった本もかなり出てきている。先日、少し時間を掛けて整理してみたが終わらないので、あと1〜2日かかるのかもしれない。はるか以前の恋文を発見し何度も読み返すように、ついつい青春時代に頁をめくった本との再会では、行間にメモ書きした感想を貪るように読み始めて時間を過ごしてしまう。又、それがとても楽しいのだが・・・。
奥付に書かれた読了年月日を見ると30才迄は文学書が。それを越えると圧倒的に政治・社会関係の書籍が多くなっている。中には「女性にもてる法」といった類のものや、解剖生理学や性に関する本まで出てきて気恥ずかしい思いもした。女房、子供にはとてもじゃないが見せられないので、今朝、そっとゴミ袋に入れて集積所へ出しておいた。
▼ガイアの理念( 5月28日)
ガイア政策議員連盟設立の案内を頂いたので参加した。低公害のアルコール系自動車燃料がガイアックスとして今、スタンドで販売されており、私はてっきりその事だと思って参加した。語源はギリシャ神話に登場する地球の女神の名前で同じなのだが、内容は全く違っていた。
映画「ガイアシンフォニー」を監督した龍村 仁さんの講演を聞くというものだった。監督は3本の作品を世に出しているが、映画を通じて環境保護だけでなく、ガイアの理念を広げていきたい、という主旨の集まりだった。私は映画を観ていないが、熱情を込めて語られた監督の理念には全く同感で、有難い邂逅だったと偶然に感謝したい。
映画は、動物や自然との関わりの中でギリギリの極限に生きた人々に焦点を当てたものだが、人間の持っている生命力の逞しさは、実は個人の持つ力などを超えた時限に在るもので、我々の存在そのものが大自然に生かされているに過ぎないという監督の主張に、私は心から共感した。それは、私の人生観そのものでもある。
地球の大気中にある酸素は21%で不変だが、何故そう在るかは解っていない。ガイア理論の創始者で生物物理学者のジェームズ・ラブロックは、私たちがこうしたことと関わりのないと思いがちな、風や岩にも生命があり、単に動植物の呼吸バランスだけで一定した酸素が保たれているものではないという。
近く議員連盟設立の呼びかけ人である牧野聖修代議士からビデオをお借りして作品を観るつもりだ。
▼敬礼( 5月29日)
参議院と衆議院を結ぶ地下2階の通路を通っていて、いつも不思議に思っていたのは、要所要所に院(参院と衆院)を警備する衛視が立っていて、参議院では必ず敬礼されるが、衆議院に入ると必ずしも敬礼されない。別に敬礼して欲しいと思っている訳ではないが、されたりされなかったりすると、何なんだろうと考えさせられてしまう。まさか、こんなことを事務局に聞く訳にもいかないが、今日、急に思いついたのは、衆議院の衛視は衆議院議員だけに敬礼する義務を負っているが、院の違う参議院議員にはその必要がない、ということでないのか。そして時折、参議院議員である私に敬礼してくれるのは、バッジが似ているので一瞬、衆議院議員と見誤って思わず反応してしまったに過ぎないのだろうと。
県議会議員の時、県庁の入口で必ず警備員が敬礼してくれていた。私は洒落のつもりで、相手はジャンケンでいえばパーを出しているのだからと、チョキを出して応えたりした事があった。いくらやっても洒落が解ってもらえずニコリともしてくれないのですぐに諦めたが、国会ではもう、そんな馬鹿な事はとてもできない。
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