■2003年3月27日発行号

▼遠山大臣との哲学問答( 3月22日)

去る3月20日、文教科学委員会で80分の一般質問を行った。初めての長時間質問だったが、終わってみるとコミュニティー・スクールや不登校問題など、用意した質問の半分もとり上げることができなかった。

質問は大臣の所信表明の中で、21世紀は「知の時代」との認識を示しているが、「知」とは何か、問うたものだった。

(詳細は http://www.sangiin.go.jp/japanese/frame/joho2.htm をご覧下さい。)

単なる知識という意味なら重大な誤りで、とても21世紀の教育を文科省に託すことはできない、と指摘した。

この他、広島県尾道市の小学校で自殺した民間人校長先生の事件をとり上げ、徹底した調査を要望した。


▼大仁田議員の例え話( 3月23日)

文教科学委員会での大仁田 厚さんの質問は熱い語り口だが、その情熱を抑制しつつ話す例え話が、必ずしも主張される内容と比喩がフィットしていない時もあるが、聞く者の耳目を傾けさせてくれる。

イラク攻撃の問題の対応について、平和の大切さを述べた後だったと思うが、時々刻々変わる状況の中で臨機応変の必要性を訴えた時の例え話は次のようなものだった。プロレスの試合が体育館で予定されていたが、台風で搬入が間に合わず興行が中止となりそうになった時、学校の体育館であったのでマットを敷くように指示したそうで、その上で試合をしたのだという。

この他、既に食事を済ませていたら、ジャイアント馬場さんからスパゲティーをごちそうしてやると誘われ、断れなかったので食したら、何と10人前出されたとのこと。大仁田さんは180cmで体重が当時52Kgしかなかったそうで、食べることが苦だったと言う。師の命令だと理解して食べきったが、その直後の試合で投げ飛ばされた時、鼻からスパゲティーが出てきたという話は、真剣な語り口だったので不思議と笑いながらも素直に聞けた。但し、その話が何につなげたものだったか思い出せない。


▼飯野睦毅氏との会談( 3月24日)

1月30日(2月6日発行号)のメルマガで言語研究家の飯野氏とお会いすることになっている旨、既に書いているが、過般、国会の事務所にご足労をお掛けしお話を伺うことができた。

着物でおいでになられたが、白髪でいにしえの時代からタイムスリップして現れたような出で立ちに少し驚かされた。開口一番、蓄えられた口髭と着物の訳を熱く語られた。日本の言語が育まれた時代を体現しておきたいという思いから、この風情なのだという。

日本語辞典、古語辞典の根本的な誤りを正そうとされる熱情は並大抵のものではなく、数億円の私財をなげうって研究に取り組まれてきた氏の使命感と行為に心から敬意を表しておきたいと思う。

先般、3月20日の文教科学委員会でこういった研究への支援を政府に強く求めておいた。


▼川口順子外相の横顔( 3月25日)

偶さかエレベーターに川口外相と乗り合わせたが、私の眼からは、その横顔がいやにやつれられたように見えた。イラク問題等で恐らくはかなりハードなスケジュールをこなしている事だろう。色白な頬に心なしか皺が刻み込まれてきたが、「お痩せになりましたか」と聞いてみたら「時々、体重計に乗るんですけど、変わっていないんですよね」と答えられた。イラクに平和が訪れ、田中前外相から引き継がれた当時のハリのある横顔と笑顔をまた早く見せてもらいたいものだ。


▼戦争と祈り( 3月26日)

イラク戦争の是非については、私の気持ちと党の方針は概ね一致している。かくなる上は、1日も早く終戦して、死傷者が1人でも少なく破壊が最小限となる事を心から祈りたい。戦争が絶えることなく繰り返されるのは、もう人類の救い難い「業」なのだろうか。今、こうしてペンを走らせている間にも人が殺し合いをしているという現実をどう受け止めれば良いのだろうか。

私の1日は仏壇と神棚へのお給仕で始まり、終わる。朝、お茶とお水を供え、就寝前にそれを下げることが変わることのない私の日課だが、その度、神仏や見えざる力への感謝と祈りを捧げている。通常の祈りは、地域と国の平安、人類の幸い、更に生きとし生けるもの全てが幸いであるようにといったものだが、とりわけ今は、イラク戦争の終戦と平和を強く祈り続けている。

万策尽きて尚、最後に残された人間の行為は「祈り」なのだと私は思う。そして、それはきっと有効な聖徳であるに違いない。


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