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■2002年10月31日発行号
▼拉致−あれこれの思い−(10月25日)
この問題を最初に書いた時、何人かの方から「日本も昔、相当のことをしていたのだから」というご意見を頂いた。北朝鮮も同じ事を言っている。しかし、国家間の戦争状態や準戦時状況といった状況下でのことと、平常時での出来事を同じレベルで論じることはできないと私は思う。もし、そうした論理で世界の出来事を理解し受け入れていくとしたら、昨年のアメリカの同時多発テロをはじめ、世界中のテロを容認しなければならなくなる。北朝鮮との戦時中の清算と今回の事件は区別して処理されるべき問題ではないだろうか。
▽売名??
小泉総理が訪朝する前日、日比谷公会堂で緊急国民大集会が開かれた。私も壇上に上がり拉致救出の熱気をしっかりと受け止めていたが、眼を上に向けると2階客席の前に横断幕が張られ、そこには救出アピールの文字と一緒に、国会議員の後援会の名が書かれてあった。拉致を国際的にアピールし、激しく、しかし静かに、地道に活動してきた人々によりここまできたが、内外に注目された集会の場で、個人名をPRする某国会議員に心の中で私は「違っていますよ」と抗議の声を一人上げていた。
▽官邸の感覚
横田めぐみさんをはじめ、「死亡」と北朝鮮側から通知されたご家族が一家族ずつ呼ばれ報告を受けた後、生存が確認されたご家族はまとめて呼ばれ、福田官房長官から「生存」を伝えられたが、生存ご家族に誰も喜びの表情はなかったという。亡くなったとされる方々のことを次々と質問していたという。被害者家族の心は完全に1つになっていた何よりの証だろう。福田長官は「死亡」とされた方々についての質問が止まらないので、むっとして「あなた方のご家族の方は生存が確認されたんですよ」と声を荒げたというが、一体となっていた被害者家族の心を官邸は理解出来てはいなかったようだ。
▽国家と国民
管理する体制側の人々と、独裁国施政下の国民とを分けて考えるべきだろう。我々は北朝鮮の圧政に苦しんでいる2,000万人の国民の救出も視野に入れておかなくてはならない。
▽訪朝はやはり失敗
もう誰も言わないだろうから敢えて記しておこうと思う。訪朝前に拉致問題の解決は可能だったし、そうすべきだった。他に100名を超す拉致被害者がいると言われているが、これらの方々の救出は相当の時間がかかるだろう。首相が訪朝したことにより、国家のメンツの問題が生じてしまった。「真実を明らかに」すべきだろうが、その時、北朝鮮は崩壊する。軍人の給料が最近、大幅に引き上げられたという。軍の反乱を押さえるためになされたことだろうが、もう体制の維持はギリギリの所に来ているということだろう。日本はむしろ国家の崩壊をどう防ぐかも配慮しつつの難交渉を強いられてくることになる。北朝鮮の崩壊は大量難民の発生となり、アジアの政治経済に少なからぬ影響を与える。
▼「王国 その1 アンドロメダ・ハイツ」よしもと ばなな著
(10月27日)
池袋の書店でいきなり目に入ってきたので購入した。本書からペンネームが「吉本」から「よしもと」に変わったというが、この人の本は初めて。
他の著作も似たようなタッチなのだろうか。38才の著者だが、人生をしっかり見ているナ、という個所が散見できた。「憎む事にエネルギーを無駄遣いしてはいけない。最高のものを探し続けなさい」「人は自分が自分に刷り込んだそのものになってゆくのだと思う」といったところは、私の場合、かなり年を重ねてから実感できるようになった人生の哲理だった。
女優シャーリーマクレーンの霊的体験を書いた本は数冊読んだが、どこか重くベタッとしたところがあった。本書の誘う霊境(神秘的な場所)はあくまでもさりげなく軽い筆致で表現されていて、心地よく一気に読み終えることができた。本書は疲れている時、読んで優しくなれる癒し系の本だと思う。今迄、出会ったことのない世界を見せられた思いだ。良書である。
▼「政党と労組」私の考察 (党 理論誌[DJ民主]投稿文)
(10月28日)
「開かれた政党」というのが民主党を表すフレーズの1つになっているが、労組との関わりについては、党内論調の批判的意見だけがマスコミにとり上げられ、それに対する党内論議が紹介されることが少ないので、党の理論誌に問題提起だけはしておきたい、という思いで投稿させてもらうことにした。 いざ執筆の段になってみると3つの困難を思い知らされた。第1には4,000字という字数の制限。第2に専門用語の端的な表現方法。第3に政治的タブーへの浸食だ。第2、第3は字数制限がなければ解決できる問題なので別の機会に思いきり書いてみたいと思うが、本稿では基本的な主張だけを論述することに止めざるを得ない。
わが党議員の労組批判は主にテレビ、新聞といった媒体を使って行われることが多く、私自身、直接党内の機関で労組と政党に関する有り様の議論を耳にすることは無かったが、代表選直後の両院議員懇談会で初めて労組批判の声を生で聞く機会を得た。この時、労組を忌避する理由として挙げられていたのは、「特定のグループの利益を守ろうとする利益団体と労組は同じなのだから、一線を画すべきだ」というものだった。これは数日前同議員が、テレビで発言していたことと同じ内容の意見だった。すかさず鳩山代表への質問という形で「労組の政策的主張は、組織率は2割になっているが、全国民の7割を占める勤労者、サラリーマンの要求であり、これを実現する事は、国民生活の向上に連動するのではないか。」(全国の勤労者5,400万人、労組加入1,100万人、その中に700万人の連合組合員がいる)と私は反論させてもらったが、批判した議員も私も時間的に制約もあり、消化不良の発言だったことは否めない。
しかし、今日まで寡聞にして「労組は利益団体と一緒」という以外の労組批判の根拠を提示されたという話を私は聞かない。したがって、これから書かせて頂くことは批判者への直接的な反論という形には成り得ず、マスコミを通じ漠として流れている世間の空気の中に、全く違った風景を見て頂こうとする試みなのかもしれない。
最近のわが国では、労組と政党との関係を綿密な調査・資料を積み上げて論述した本格的な論文を未だ私は眼にしていないが、日本の識者は、ヨーロッパに於ける国際自由労連加盟の労組と社会主義インター加盟の政党との関わり方をモデルとして、わが国に於ける労組と政党の関係を対照させているのではないだろうか。特に、ブレア率いるイギリス労働党と労働組合会議の関わり方を根底から揺り動かした変革は、それが18年続いた保守党から政権を奪取することに直結したのだから、強烈な残像は今も鮮明なことだろう。
労働党の労組依存体質からの脱却という作業は、実はブレアが1代で成し遂げた仕事ではなく、3代に亘るものであった。サッチャリズムの前に完敗した83年の選挙後に開かれた党大会でキノックが党首に選出され、彼はトロツキストなど左派によって壟断されていた党を再び議会政治のレールに乗せ、ヨーロッパの一員として外交、経済政策を考えるという立場を明らかにした。又、組織面では選挙区支部レベルで影響力を持っていた極左派を排除することに成功した。次に党首となったスミスは、労組出身だからこそ成し得たのだが、従来、党大会の採決に於いて組合幹部が労組を代表して1度に数万票を動かしていた仕組みを大幅に改め、1人1票制を確立した。そして次にブレアの登場となる。ブレアの最大の功績といわれるのは党綱領第4条の改正であるが、ロシア革命の影響を受けて旧条では「生産、分配、交換手段の公有の基礎の上に・・」という文言となっており、これは言い換えれば産業の国有化ということになる。ブレアはこれを「少数者ではなく多数者の手に権力と富と機会を与える」と改め、更に「権利は義務を伴う」と書き加えた。これを以て漸く抜本的な党内改革を果たし、保守党と戦う体制が確立できたといえる
それでは、これらの改革が今の民主党と連合の関係で参考になり得るだろうか。答えは否である。連合は既に政党に対し自立・独立した関係を明確にしており、財政の上からも、大会に於ける代議員の選出基準の面でも、特別の枠は設けられていない。民主党がスタートした時から既にいわば大人の関係が築かれているといえる。
イギリス労働党では1985年の献金に於ける労組の占める割合は77%であった。1995年でさえ労組の献金は54%にのぼり、日本円で13億円が労働党に振り込まれている。わが国では直接的な形で連合が民主党に献金をしてはいない。
現職の国会議員を出身別でみても、衆・参の国会議員に占めるわが党の労組出身者の割合は20.8%に過ぎず過剰な割合ではない。むしろ各界、各層からバランスよく選出されている文字通り民主的な政党という事ができる。一方の自民党は世襲議員と官庁出身者が衆議院議員の74%、参議院議員の56%を占め国民政党と言えるのか大いに疑問だ。(下表参照)

国民政党としての存立要件は1,理念が明確であること2,政策がしっかりしていること3,支持基盤が確立していること4,財政力が健全であること5,リーダーシップが発揮されていること6,党内組織が成熟していること。等々挙げることができるが、わが党はこれらの要件を今、全て満たせている訳ではない。特に3,の支持基盤の脆弱は率直に認識しておく必要があるのではないだろうか。先の衆参補欠選挙の結果からも地方の議員や候補予定者には身に沁みている方が多いが、大都市ではどうだろうか。
非自民の受け皿として今日まで民主党は一定の支持を得てきてはいるが、いつまでも風は吹き続きはしない。強力な個人の後援会づくりには、膨大なエネルギーと時間、財力が不可欠であるし、日本の政治風土の中では、野党議員への地域に於ける熱い支持は期待し難い。各界各層の中で理念をほぼ同じくする連合の組織の力を借りることは誇りにこそすれ、忌避するものではないだろう。労働組合の排除が一般国民の支持の拡大に繋がるという考えがあったとしたら、それは全くの幻想と言えるだろう。何故なら特に都市部に於ける浮動票こそ実は勤労者、サラリーマン票であり、この票の取り込みが雌雄を決することになるからだ。
仮に労組が地方議会にせよ、国会にせよ組織内候補を一切、擁立しないことになった場合、どんな結果をもたらすだろうか。組織外の党人派の候補者を全力を挙げて応援できるだろうか?票を出してくれるだろうか?献金してくれるだろうか?人を出してくれるのだろうか?自民党との理念、イデオロギーの差別化が難しくなっている今日、組合員を組織が動かせるとしたら、大義名分はやはり組織の仲間意識に訴えることになるだろう。その種々の波及効果で組織外の議員及び候補者に恩恵がもたらされてくるのだ。
民主党が皮相的な打算で、否、その打算でさえ私には幻想に思えるのだが、労組排除の論理を現実化させてくると、変形された日本版コーポラティズムが台頭してきはしないだろうか。本来、これは高い組合組織率と集権的な構造を有する労組が、政党や議会を頼らず直接、政府交渉で政策決定に影響を与える政治・経済システムである。現下では北欧やヨーロッパ大陸小国の民主社会主義政権下で行われているのだが、わが国では、「政労会見」「政労使会議」という名の下で政府首脳と連合幹部が政策につき随時、協議してきたという事実がある。年金法改正の問題を巡って中止されたこともあったが、昨年の中央メーデーで小泉総理が挨拶したこともあり、再開され雇用問題をはじめ6項目の要望書を連合が政府に手渡したりしている。又、これに便乗するように自民党と昨年「政策実務者会議」を実施している。
連合が自民党と連携を強めるような事になれば、民主党にとって大打撃であるばかりでなく、イデオロギーの混迷により末端組合員の政治離れは加速し、日本政治全体も危機的状況に追い込まれるかもしれない。政治への失望が絶望に変わり、独裁者出現を待望するようになるかもしれない。正に民主政治の終焉をももたらしかねない事態も予測できる。
日本労働運動の源流といわれる友愛会が誕生して今年でちょうど90年になるが、創立当時、3ヶ条の綱領をつくっている。「我等ハ互イニ親睦シテ、相愛扶助ノ目的ヲ貫徹センコトヲ期ス」「我等ハ公共ノ理想ニ従ヒ、識見ノ開発、徳性ノ涵養、技術ノ進歩ヲ図ランコトヲ期ス」「我等ハ協同ノ力ニ依リ、着実ナル方法ヲ以ッテ、我等ノ地位ノ改善を図ランコトヲ期ス」個人の人格向上をも視野に入れた、何と崇高な理念ではないだろうか。その後の日本の労働運動は民主的労働組合主義と階級闘争主義の2つの路線が互いに拮抗する歴史を刻むことになるが、今の連合には90年に及ぶ友愛会の心が脈々と伝えられていると私は信じる。
民主党が真に政権を担える党に飛躍するには、かけがえのない全国組織を持つ連合と協調すべきは論を待たない。今、民主党に求められているのは小手先のパフォーマンスではなく真の大人への脱皮ではないだろうか。連合に対しては恐れるものは何者もなく、私には期待しかない。
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