■2002年10月24日発行号

中小企業団体全国大会に出席して(10月19日)

地元埼玉での開催でありお誘いを受け、喜んで出席させて頂いた。会場の埼玉スーパーアリーナは県で造った施設だが、タイミングが合わず、県議時代を含め1度も訪れたことがなく、初めての訪いとなった。

この日、全国の中小企業代表6,700名が集っての大会であったが、今一つ、盛り上がりに欠けているように私には思えた。逆に、気勢を揚げるほどの元気もなくなっているのだということなのか。しかし多分、この会場に集まってこられた方には未だ少し余力があるのだろうが、問題はこの会場にさえ足を運べなくなってしまった会員企業に極めて深刻な問題があるということだろう。全国には500万を超える中小企業があり、その多くが瀕死の重傷を負っているという現実は、日本経済の暗雲が依然として厚いことを物語っている。何となれば日本経済の下支えは、中小零細企業が担っているからである。

政府系金融機関の充実強化等の大会での要求決議は当然であるが、壇上で隣り合わせになった大島 敦代議士と「副大臣もいいが、何故、大臣や総理が来ないんだろうか。うちの党も鳩山代表が来ても良かったよね。」と言葉を交わした。多分、招待状は来ていなかったのだろうが・・・。やはり、速く政権をとらなくては、ということか?


▼「運命の足音」五木寛之著を読んで(10月20日)

本人も本書で認めているが、この人の本を読んでいて、いつも「どうして暗いのだろう」という思いをずっと持ち続けてきたが、冒頭からの部分で直ぐに合点がいった。終戦時、13才だった五木少年の記憶はとても酷いもので、私が要約してここに書く気持ちにはとてもなれない。誰しも幼少年期の体験というものは、その後の人生に大きな影響を与え続けるもので、私が仕事を通じて「この人は変わっているな」と思う人は一様に、幼少年期の屈折した環境が関わっていたことを後から知ることとなる。終戦時に幼少年だった人々は、大なり小なり時代の屈折した波をまともに浴びていたのだから、個性的な発想や生き方を誰しもが、持っているように思う。

本書を世に出した目的や意味は、冒頭の部分を記すことでもう終わっているのだろう。後は継ぎ足しのようでもある。著者の政治的な主張では、私には違和感をずっと拭えなかったのだが、次第に溝が埋まってきているように思えるのは、私が年を重ねてきたことによるのだろうか。

以前、私は「母」についていつか書くと記したが、父のような距離的間合いがなく、やはり書きづらい。著者が「母親」を書いた事は、本書で書かれている様に「いいのよ」という天から届いたと知覚した声を聞かなければ、できることではなかっただろう。



▼日教組との初めての会談(10月21日)

今日、来年度予算編成にあたっての陳情を日教組から受けることとなり、衆院は本会議中であったので、民主党として参議院議員だけで対応させてもらった。従来、私とは政治的主張が異なる組織という印象を持っていたが、できる丈、白い気持ちで意見交換させて頂こうという思いで臨んだ。

予算の細かな要望はともかく、現場の実状を聞かせて欲しいと発言させて頂き、不登校児や問題児への対応、原因について質問させてもらった。文教科学委員会委員として、日教組の方々とはこれからも接触の機会は多くなろうが、聞くことはしっかりきかせて頂き、私の考え方も率直に述べさせて頂こうと思っている。

現下の日本は危機的状況であり、教育の果たす役割はとてつもなく大きい。



▼サルスベリ談義(10月22日)

過日の中東訪問の折、レバノンの元経済相ジャーベル氏(レバノン・日本友好議員連盟会長)から、我々視察団は私的にお招き頂き懇談させて頂いたが、先般ご夫婦で来日されていると聞き、関谷勝嗣団長が返礼の意味もあって懇談の場を持たれた。私も同席させて頂いたが、中東問題等について様々な意見交換ができた。

その後、訪問時にサルスベリの花が美しかったと団長が述べられたが、サルスベリの英語又はアラビア語の訳が分からず通訳が戸惑っていたら、会場の明治記念館の人が辞書や植物図鑑を持ってきてくれた。しかし、レバノンにはない植物ではないかということになったが、私も見たような気がしていたので、関谷団長から「あったよな」と確認され「ありましたよ」と耳打ちしてしまったので、申し訳ないことを言ってしまった。訪問国の何カ国かには間違いなく有ったのだが・・・。

植物の話が次々とこの日は話題に上った。昭和天皇は植物学者でいらしたが、外国訪問の時には街で見かける草花を「あれは何という花か」といった御下問(ご質問)が予想されるので、外務省職員も事前に陛下が通られるコースの植物名を調べ、しっかり訳語を確認しておいたらしい。ところが、チェックしきれず解らない樹木があって、地元の人に聞いてみたが「大きい木です」という答えだったので、その通りお答えしたという。つまり昭和天皇に「大きい木です」とお答えした訳だが、その時の陛下の表情はどんなものであったのだろう。「あ、そう」と言われたのか。ニコッとされ無言であったのか。小さな声で笑われたのだろうか。



▼小泉総理演説(10月23日)

今、国民が最も政治に求めているのは経済の復活なのだが、ハッとするような打開策を表明することができなかった。民主党を始めとして与野党からの質問にも役人の書いたメモを棒読みするだけで、生きた答弁が全くなかった。相変わらず「改革」に対する質問には身振り、手振りの大きなジェスチャーで応じていたが、よく聞いているといつも同じ答弁を繰り返しているだけなのだが・・・。

小泉ファンの人には聞き難いかもしれないが、総理の演説と答弁には、理念や政策について突っ込んだ思索の足跡を見つけることができない。ヒトラーと比較するのはあまり適切ではないが、表面的な形だけの事なのでお許し頂くこととして、ジェスチャーの大きさや演説が、私には酷似しているように思える。ビデオテープや録音テープで何度もヒトラーの演説を聞いているが、アジ演説の仕方は両者とも似ている。

ヒトラーの書いた「我が闘争」は、センテンスがとても短く、まるで演説原稿そのままを読んでいるような印象を持ったことを覚えているが、歯切れよく、短く、ジェスチャー付きの演説は国民を酔わせ、幻想を与え続けることに大きな力を発揮していることだけは間違いない。


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