■2002年9月26日発行号

▼それぞれのスピーチ( 9月20日)

UIゼンセン同盟の統合大会が19日開かれ、民間労組最大の78万人組織がスタートした。私自身、政治顧問にご指名頂き、就任させて頂いた記念すべき大会となった。来賓には各界から多数の名士が列席されていたが、政党では民主党から羽田特別代表、公明党からは神崎代表、そして自由党からは小沢党首が挨拶した。

小沢党首は、意外にも「緊張しているので、書いたものを読み上げて祝辞としたい」と言われ、事実、その通りアドリブもなかった。数年前、新進党党首の時だったと思うが、ゼンセン同盟の全国大会で「金と票は出してもらいたいが、口は出さないで欲しい」と発言し、物議を醸した事があったが、きっとその時のことが脳裡をかすめていたのだろう。

また、同日夜のレセプションでの宇佐見元ゼンセン同盟会長のスピーチは極めて簡潔なものだったが、これからの労働運動の在り方を率直に語られたもので、内容の濃いスピーチだった。それは、労働組合は一層、社会正義の実現を目指し、具体的な運動を広く展開すべきだという主張で、人権の問題について、心の中の思いをギリギリのところで短く述べられたものだ。

具体的には北朝鮮による拉致問題をとり上げられていたのだが、残念ながら、スピーチ会場では既に乾杯の後でもあり、かなりの喧噪だったので、演壇前列の人々しか聞かれていないように見えた。

しかし、聞き取られた方々には、ある種の衝撃があったのではないだろうか。リンカーンのゲディスバーグに於けるあの有名な「人民の、人民による、人民の為の政治」という名演説も、会場では喧噪で感動や感銘を与えることはできず、翌朝の新聞報道によって初めて、格調高い歴史的演説と評され、人々に語り継がれていったものだったが、そのことがふと思い浮かんだ。



▼大学での初講演( 9月21日)

今年の夏は様々な過ごし方をしたが、大東文化大学のゼミ合宿での特別講演は、私にとっても楽しい思い出の1つになった。自由党の私の友人からの依頼によるものだったが、愚息が同大学の付属高校に通っていたこともあって、ご縁なのだと思い、喜んで引き受けさせてもらった。

1時間半1コマの授業というのは、話し手にとっても聞く側にとっても、長過ぎず、短か過ぎず程良いものだが、質疑時間を入れると2時間を超えるものとなっても、この時ばかりは時間が速く流れ去ってしまったように感じた。日本の在り方、政治への不信、政治家となるには等々の質問も具体的でおもしろかったし、私も率直に答えさせてもらった。数日後、礼状を数通頂いたが、政治を身近なものとして受け取ってもらえたことだけでも多少、お役に立てたように思う。



▼国会議員の財布の中( 9月22日)

ある超党派による国会議員の集まりが国会内であった。緊急提案があり、特別徴収としてその場で1人2万円を寄附することに決め、途中退席する議員を座長が呼び止め、2万円を置いていって欲しい旨を数人に告げた。しかし、何人かに躊躇があった。財布そのものを持たない人、持っていてもあまり入っていない人、様々なのだ。あるように見えて無いのがお金、とはよく言われていたが・・・。

この日の私は、ギリギリセーフ。この他にも多分、何人かは私と同様、冷や汗者もいたことだろう。



▼党代表選から( 9月26日)

鳩山代表を支持することを私は終始明確にしていた。それは先ず何よりも、政策が自分の思いと近いということと、包容力、人柄を評価していたからだ。

8月下旬、院の派遣で中東に飛ぶ直前、私は「代表選 私の考察」を書き上げたが、これを読んだ菅幹事長から早速、電話を頂いた。先ず、漠たる感想を述べられたが、婉曲に支援を要請する内容だとすぐに私は理解した。しかし、この時は、具体的なお話ではなかった。拙文の中で私は、菅幹事長(当時)について、県議会議員時代に応援頂いた恩義を忘れることはできないと書いたが、この事で却ってご迷惑をかけてしまったのかもしれない。つまり、一縷の期待をこのくだりで幹事長は抱かれたと思うからだ。直接お電話でお話ししたのは4度位だったが、コールして頂いたのは恐らく2桁になったかもしれない。「心苦しいのですが、お許し下さい」とその度にお応えせざるを得なかったが、戦に当たっての気迫と集中力、執念には本当に頭が下がる思いだった。


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