■2002年8月23日発行号

★☆★ 号外 ★☆★


■代表選 私の考察( 8月21日)

▼候補者の論文

党の代表選出馬に当たっての鳩山、菅、横路、中野各氏4人の論文を読んで意外だったのは、政策に於いて埋められない大きなギャップはないな、という事であった。特に鳩山、菅論文で対米姿勢について驚く程、酷似していて、「親米」を基軸としつつも、主張すべき事を物怖じせず堂々と発言すべしという提言では全く一致している。又、横路論文でも有事法制をNOと言い、憲法は「前文と9条に手を付ける改憲には反対」としているが、政府案はともかく、有事法制の必要性は正式に党是とされていて、これは中身での論議に限定されている問題である。憲法も態々、前文と9条は絶対に譲れないとしているが、裏を返せば「改憲」を呑み込んでいると、私には読める。

政党というものは、幅広い国民の心を受け入れ燮理(しょうり/程良く治めること)した政策を打ち出す所で、党員の様々な異なる意見は党内の活力にこそなれ、分裂の要因にはならないし、そうすべきではない。戦後の政党分裂では、社会党は階級政党か国民政党かの議論が繰り返されていたが、講和条約の批准を巡って1951年左派、右派の両党に完全に分裂した。又、1960年安保改定に対する問題が西尾除名問題に発展し分裂、民社党が結党された。自民党は幾度も小分裂を繰り返しているが、政官業の癒着構造で二進も三進もいかない状況を見て、業を煮やしての慷慨(こうがい)から、良心的政治家群が新党結成へと走っていった。しかし、今の民主党に分裂しなくてはならない、決定的理由を見つけることはできない。

4氏はそれぞれ政治家としての経歴があり、誰しもがそうであるように多分に過去を引きずっていて、党内での諸会議の発言や、街頭演説等にはそれが色濃く滲み出ていることがあるが、それは4氏の個性であり、空気だ。

選挙後に党の分裂を揶揄するように予測する者もいるが、今は1つになり続けることが肝要であり、この認識も4氏共通している。今日21日現在で若手候補の本格的論文を眼にしていないので代表選の全般を論評はできないが、若手候補については、できれば早期に代表選出馬の意志を表明するまでには、所信をまとめておいてもらいたかった。


▼トップリーダーの要件

私は昨年の参院選で当初、街頭演説で正面から小泉批判をしていたが、周りの人達から、小泉ブームの中で得策ではないと注意を頂いた。そこで、中国の故事を持ち出して、婉曲に小泉批判をしたことがあった。その故事とは「荘子」にも「列子」にも出てくる「木鶏」と言われるもので、横綱双葉山が「我、未だ木鶏に至らず」と70連勝を阻まれた勝負を省みて恩師に打電したことでも知られている。

木鶏(もっけい)とは木彫りの鶏のことで、この場合、軍鶏(しゃも)である。中国のある王が闘鶏好きで紀省子という闘鶏づくりの名人に最強の鶏をつくるように命じた。

10日経って「どうだ」と王が名人に聞くと「まだ、空元気でダメです」と答えた。又、10日経って聞いてみると「相手が出てくると興奮するからダメです」と答えた。更に10日経って聞いてみると「相手を小馬鹿にしているからダメです」と答えた。そして、それから10日すると「木で彫った鶏みたいで、全く何物でもうかがうことのできないものとなりました。これでどんな鶏が現れても、相手は闘わずして逃げ去るでしょう」と答えた。

それで王は、1番、獰猛(どうもう)な鶏と闘わせてみようとしたところ、その鶏を見るとすごすごと退散していったという話だ。

演説で私は、小泉総理が今、寓話に例えると奈辺に在るかご判断頂きたいと訴えたが、トップリーダーにはそれなりの器と風格が備わっていなければならないと私は思う。そしてその風格は、一朝一夕に身に付くものではなく、知識を得、自らの見識を持ち、それを具現するための胆力を養い、胆識にまで高めていかなければ本物にはならない。その過程で多くの苦汁を飲み、挫折し、絶望に遭遇しても尚、理想に向けて立ち上がる強靱な人格にこそ、政治家としての徳がその者を包み、そしてあるレベルを更に超えた領域に至った者が文字通り光り輝いて来るのだと思う。

戦中、戦後の激動期に政党を代表する人物は一様に、得も言われぬ風格、重みがあったと述懐していた元・記者の記事を読んだことがあったが、それは命懸けの修羅場を指導者が一様に経験してきたからだろうとの指摘は、納得できるものであった。時代は移り変わってきて、政治家が命の危険に曝される機会が、わが国では少なくなってきてはいるが、いざという時の心構えだけは整えておかなければなるまい。

ヨーロッパではノーブレス・オブリージュの精神が今も引き継がれていて、指導者は有事の時、自らの命を惜しむなとの教訓がある。わが国にも武士道精神がある筈だが、家庭や学校で教わることは今はない。

昭和天皇の侍従長をしていた人が回想録か何かで書いていたが、発展途上にある若い国の指導者に多いというが、それこそ殺すか、殺されるかの命懸けの権力闘争に勝ち、国家のトップリーダーになってきた人達は、肩を怒らせるように気負い込んで昭和天皇との面談に挑むが、会談が終わり退室してくると誰もが、肩の力が抜け、穏やかな柔和な顔になって出てくるという。昭和天皇の飾り気のない実直な人柄が、荒くれた指導者の心を瞬時にして変えていったのだと思う。

新しい両国国技館で昭和天皇が相撲観戦をされたのは1度だったと思うが、偶然にも私もその時、同じ所にいた。昭和天皇が入場されると、場内に在る者は一斉に立ち上がって拍手して自然に誰しもが心から歓迎していたが、私には席に座りいつまで経っても昭和天皇の周りが白く輝いていることに不思議を覚え、同行した仲間に「いつまでも光っているネ」と言ったが、「ううん」と言うばかりで全く解ってもらえなかった。スポットライトがある訳でもなく全く異様な現象だったが、この夥しい光こそ後光なんだなと1人得心したことがあった。自分の人生で何人か後光に輝く人を見たことがあったが、あのような輝きを見るのは初めてだった。

ここまでの人格、人徳を政治家に求められても困るが、少なくとも世界中の命のやりとりさえしてきてド迫力の指導者とも国益を懸けて、国家の威光を借りずとも互角に渡り合える気迫と覚悟がない者は、わが党のトップリーダーを望んではいけない。

政策立案能力というのは、大切な能力の1つである。が、実は組織の上に立つ者に求められる能力のうち、それはせいぜい4〜5番目の順位でしかないだろう。人心掌握力、調整力、先見性、包容力、決断力、指導力と言った能力が必須の条件なのだ。そして、マスメディア、ミニメディアを通じて国民や支持者に党の方針や政策をアッピールする力や、論争の力も求められるだろう。しかし、これは必ずしもトップリーダーでなくとも代替できるし、論争での肝に銘じておかなければならない要諦は、相手を論破することではなく、国民の支持を取り付けられるか否かの問題であるのだ。

ケネディとニクソンの大統領選挙での討論ではニクソンは玄人受けし、ラジオを聴いていた人々の多くがニクソンに軍配を上げ、テレビを見ていた人達の大半がケネディを支持したという。日本でもテレビで社会党の佐々木更三委員長が民社党を何かの問題で批判し、西尾末廣委員長と2者で改めてテレビ討論した事があった。この時の大方の見方は理論では佐々木さんが優勢だったが、西尾さんの実直な人柄が共感を得たというものだった、と記憶している。


▼若い指導者への期待

この代表選で衆議院当選2〜3回組の40代の人達が自ら名乗りを上げた事に心から敬意を表したいと思う。国会議員としては私より先輩に当たる方々ではあるが、20才から始め34年間に亘り政党活動を行い、23年間、地方議員を勤めてきたという経歴をもって若干の評論をお許し頂きたいと思う。

先にも書いたが、指導者に求められる資質・能力は多様であるが、個人の衆議院選での集票結果は能力への評価ではなく大概が期待値である。そして、政策立案能力はブレーンとしての能力であって、組織のリーダーとしての求められる能力とは異なる。この認識に立っての決断と理解しているが、私には時期尚早のように思えた。「時期尚早」の意味は、個人の能力や器の問題でなく、党そのものの浅い歴史のことである。

アメリカの民主党は民主協会の設立まで遡れば結成208年であり、共和党は150年である。イギリス労働党は102年であり、保守党は168年である。日本の自民党と社民党は55年体制の言葉に表されている通り1955年の結党だから47年の歴史がある。50〜100年かけて築かれた蓄積があるから、女性指導者や若い指導者が誕生させられるのだと思う。若い指導者や女性指導者には魅力もあるが、経験不足からの未熟さもある。社会の偏見からの反発もあるだろう。しかし、歴史ある政党はこれを補っていくだけの人的サポートなどがストックされている筈で、足らざる所を充分に補うことができるのだと思う。

わが党はまだ結党4年でOBもいなければ、強力な支援組織も少ない。当面する問題に忙殺され続けている。これは何も今の執行体制に問題があるというより、浅い歴史故の宿命であるのだ。

有能な若い指導者の皆さんには是非とも、じっくり来るべき時に備えていただきたいと思う。


▼私の選択

7年前の2度目の県議選では、菅幹事長(当時・委員長)の応援がなければ私は当選を果たせなかったに違いなく、この時の御恩を生涯忘れることはできない。又、昨年の参議院選での勝利は、菅幹事長にもお世話になったが、最終局面では鳩山代表の「徳」により引き上げて頂いたという思いが私には有る。

2人の恩人に身を割かれるような思いだが、私が今日までの政治経歴の中で生きてきた仲間と行動を共にすることが、辛く苦しいが政治家としての筋とケジメであるのだろう。


      

■バンコックにて( 8月10日)

クリスチャン作家の遠藤周作は、確か最後の小説だったと思うが、「深い河」で仏教誕生の地インドに辿り着いた。そして三島由紀夫は自決した年に「豊饒の海」全4巻を書き上げ、タイを最後の小説の舞台に選んだ。ヨーロッパ思想や文学の影響を強く受けて大成していった2人の作家が、知的彷徨の末に仏教国に作家として臨終の地を求めたことをどのように考えたらいいのだろうか。

しかし、2人の最後の小説はそれまで残してきた多くの力作と比べると、私には物足りない作品で終わってしまっている。「深い河」は、「沈黙」や「死海のほとり」「イエスの生涯」で信仰の深い世界を描ききった力の割に、仏教の深淵な死生観を漂わすことさえできず、大衆小説風な仕上がりに堕してしまった。三島由紀夫の「豊饒の海」(全4巻)第1巻の「春の雪」と第2巻「奔馬」は、文字通りの豊饒感に私は圧倒されたものだが、第3巻の「暁の寺」と第4巻の「天人五衰」は明らかに決起を前にして書き急ぎの拙速だったと思えてならない。天が2人にたっぷりとした時間をもっとお与えになっていれば・・・と考えるのは不遜だろうか。

タイの寺院は皆、華美で黒白を基調とした日本の寺院とは面白い対照をなしているが、三島がこの地を取材で訪ねた時は既に決死の覚悟を固めていた筈で、暖色に彩られた寺院は氏の心に馴染むものだったろうか。死を前にした画家が俄(にわか)に好んで明色を用いることがあるというが、あるいは氏の心の内と融合した色彩と映じていたのかもしれない。

私が眼にし、触れ歩いた暁の寺と塔はあまりに華美に過ぎ、眩しかった。「暁の寺」のあるバンコックは、パリの10倍もある程の大都市で活気に溢れていたが、都市の急激な変貌は習慣から慣習、そして文化、伝統として形作られていったものを、次々に崩し、壊していく作業でもあるのかもしれない。

人と人との出会いで行われていた合掌も、観光客向けに儀礼的に料理店等でしか見られなくなったり、国民の95%に当たる仏教徒に義務づけられている寺院での修行も3ヶ月平均であった期間が年々短縮され、1週間程となってきている現実はその事を表しているように思える。タイのような厳しい戒律を持つ小乗仏教の国に於いてさえ社会の根底が揺らいでいて、バンコック市内のけたたましいバイクの爆音がまるで私には、文化の崩壊の音のようにさえ聞こえた。

歓迎すべき事ではあるが、この国では未だ男尊女卑の気風がある中で女性の自立への1歩が踏み出されている事のように思えるが、若い女性達は結婚して2〜3年は子供をつくることを拒否しているという。結婚生活を通して、じっくり夫たる男性の人物を見極めた上で愛の結晶を身篭るのだという。離婚すれば妻が子供の養育を担当することとなり、自分の生涯に大きなハンディを負うことになる事を忌避(きひ)する為の知恵と言えるだろう。

文化や伝統というものは、基本的には都市で生まれ、地方に伝播し地方に永く根付くものだと思うが、崩壊も又、都市が先んじている。文化、伝統の継承の意味や価値は、いつの時代でも「現在」では認識し得なかったものもそのまま伝えおく事で、いつの時代にか解らなかったある価値の再発見や意義につながるのだろうと思う。そして、その確かな継承は、意識的に行わなければ果たされるものでなく、放っておけば次々と消失し忘れ去られる運命にある。

中国の文化大革命も当時のいわゆる日本の進歩的文化人といわれた人々は毛沢東の権力闘争の手段でしかなかったこの運動を絶賛していたが、これは中国文化の徹底した破壊をもたらし、アフガニスタンの仏像(バーミアン)破壊のスケールをはるかに超える、取り返しのつかない妄挙(もうきょ)だった。膨大な書き物を焼却させ、歴史的建造物を破壊し、文化と名の付く、文化の香りを発散する全てのものを否定したこの運動は、装飾品を身に付けた者を罵倒し、社会から抹殺した。知識人も首に侮蔑的文字が書かれた板をつるされ市中を引き回され、いたぶられた。多くの人が虐殺され、多くの人が死に追いやられた。古い中国の話ではない。まだ手の届くほんの30年前の歴史だ。

秦の始皇帝は、言論の大弾圧を行い政治に対する批判的な書物を焚書(ふんしょ/書物を焼くこと)し尽くし、思想家や学者を坑儒(儒者を穴埋めにすること)したが、毛沢東はこれと全く同じ事を文化大革命の名の下に行い、国民に塗炭の苦しみを味わわせたのだった。私は歴史の「業」に戦慄を禁じ得ない。しかも始皇帝が抹殺した儒者は400名程に過ぎなかったが、文化大革命による犠牲者は死者1000万人、被害者1億人という、とてつもない数字なのだ。

わが国では、廃仏毀釈などが明治の初めに行われたが、極めて限定的なものでしかなかった。途方もない多くの時間と労力、そして財を費やして漸く築き上げられた文化、伝統、文明というものは意外な程、脆弱なものでしかない。だからこそ、どこかで権威在らしめて確かな形で保持しておかなければならない。

ギリギリのところでタイではきっと、寺院において様々な形で保守、伝承されているに違いなく、日本ではさしずめそれが皇室に於いてとり行われている。私も皇居を視察した折、公開されているいくつかの文物を見せてもらったが、実はもっともっと夥しい資料がしっかりと皇居の中に保存されているのだという。形あるものばかりではなく、皇室行事の中に数100年、数1000年継承され続けた生きた文化があり、日本文明の確かさをそれは何よりも雄弁に証している。

汗と血と膨大な時間の消費、そして有るや無しや分かりもしない究極の価値への希求が文化、文明を築く危ういが尊い根源的要因の全てだと思うが、世界規模で激変する社会の諸相の中で守るべき価値を見出し、後世に伝えるのは現代人の重い責務であると私は思う。


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