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■2002年7月11日発行号
▼有名人の隣り( 7月 5日)
建設国保に関する請願デモがあり、議面(参議院議員面会所)の前に各党議員が机を並べてデモ隊を迎え激励したのだが、私の右隣には社民党の福島瑞穂さん(党・幹事長)が立っていた。6000人のデモ行進は、いくつもの梯団に分かれて断続的に議面前を
通り過ぎていくが、その度に数十人の人達が、署名活動で地道に集めた請願書を我々に手渡していかれる。議員は大抵、激励の為に手を差しのべて握手を求めるが、今日は蒸すような日中だったので、デモの人々の手の平は皆一様に汗ばんでいた。文字通り生活に直結した請願行動であり、その必死感が伝わってくるように思えた。
さて、請願書を手渡しに来る多くの人が、私の右隣の福島瑞穂さんの方へ走り寄ってきては、私の眼の前を通り過ぎるのには参った。淋しさには忍耐、忍耐なのだが、デモ請願の受付時には決して有名人の傍に立たないこと。私が今日得た大切な教訓その1.であった。
▼田中康夫長野県知事のこと(7月6日)
県議会でレッドカードを突きつけられたが、彼の生きる姿勢はこれからも変わらないことだろう。砂防ダムなど典型だが、本当に無駄なダム工事が多かったことも事実で、田中知事がこの1年で果たした、公共工事への批判と決断には刮目に値するものがあった。一方で、長野県のこと、長野県議会のことは私にはよく解らないが、パフォーマンスに重点を傾ける政治スタイルは、私の肌に馴染まないことも確かである。
all or nothing ではなく、ダムの必要な箇所が、もしかしたらあるのかもしれない。ダム問題についてなら、クールに個々の計画を見直していけば良いだろうに、と思う。県議会と知事の確執は、当事者にしか解らないドロドロとしたものがあるのだろうとは推察できるが・・・。長野県をよく知る人からは、国からの補助金を200億円位、「いらない」と言って返還したという話を聞いた。地方分権が財政面で確立されていない状況の中で、果たしてこういった行動が本当に、県民の利益に供していることなのかは疑問だ。
マスコミも1人の行政の長に立った政治家に対しては、立体的な評価をもう少しする必要があるのではないか。突出した1点の決断を評価する余り、他の政策と実績を冷静に報道する姿勢に欠けてはいないだろうか。埼玉県でも10年程前だったろうか、所沢市の(元)市長と議会の対立は眼に余るものがあり、市民の本当の利益と人気市長への漠たる期待が融合していたようには、当時、私にはとても考えられなかったのを憶えている。政党という1つの組織の中では、切磋琢磨され、それなりの人物は、それなりの地位を得ていくものだろうが、首長となると、1度その地位を得ると権限が絶大なだけに、周辺からの批判の声は出てきにくく、批判が噴出する時には、既に地方自治体の利益を大きく損ねていることが多い。マスコミの人気首長に対する評価は、冷静で客観的なものであって欲しいと思う。
田中真紀子元外相の評価にしてもテレビは、外務省の悪しき体質を暴いてみせた功績が顕著だったので、彼女の外相としての実績や適正には眼をつぶり通していた。マスコミは圧倒的な影響力を政界に及ぼし続けていて、ピックアップした個々の政治家をスターに仕立てることもできるし、時に新党結成の役割を担うようなこともあった。政界の悪しき慣習への怒りや、時代の閉塞感から来る苛立ちに火を点け、一時(いっとき)、場面の大きな転換を果たすことは可能だが、長期的に政党政治の進展を期待するのなら、地道な政治家や政党の努力を立体的に報道し続けてもらいたいと思う。
▼「活人剣 山岡鉄舟」今川徳三著を読んで( 7月 7日)
山岡鉄舟という人に興味を持っていたので、インターネットで調べたら10冊くらいの本が出てきたので、勘で本書を選び読んでみたが落胆した。時代背景の記述が多く、鉄舟の人物そのものがあまり書かれていない。「この程度のことなら知っていたよ」と悪態を吐きたくなる。タイトルのイメージと内容が乖離している。読み方によっては面白いのかもしれないが、私の期待していたものとは明らかに違っていた。
▼国政報告会の成功と御礼( 7月 9日)
7月8日、初の国政報告会を地元・川越で開かせて頂き、500名以上の参加者を数え、盛会のうちに終えることができ、ご参加の方々をはじめ、関係各位に深甚なる感謝の意を表させて頂きます。
去年7月の参議院選挙からちょうど1年が経ち、無我夢中で過ごしたこの間、国会では諸先輩から多くを学ばせてもらったり、他党も含めて同期議員の知己を得られたりした事は、私の人生にとっても実り多い時期でありました。
さて、国政報告会では鳩山代表にスピーチをして頂き、今日の朝刊にその内容の一部が報道されたりして、世間からも注目の場となっていたことが証され、参加者の方々も、その場に居合わせた事を多少とも喜んで頂けたのかもしれません。自分のスピーチで「政治と徳」について触れようと思っていたところ、鳩山代表が期せずしてこの事を話されたのが驚きでしたが、私の後援者の方々も、鳩山代表の気さくさや、けれんみのない政治姿勢にきっと好感を持って頂けたと思います。
▼水害の責任( 7月10日)
台風が早くも首都圏に来襲したが、後れ馳せながら、首都圏の水災害はかなり改善されてきているのではないだろうか。それは、河川の改修によるところが大きい。改修は当然、下(しも)から行われてくるが、私の住む地域も、工事に対する国の大きな援助が行われる激甚災害地域に指定されたこともあり、橋梁等の架け替えも含めて今、工事が着々と進められている。
河川のオーバーフローが激減してきたことは間違いないのだが、問題は内水である。新興住宅街等の内水被害はひどいもので、床下、床上浸水が常態化している地域も多い。遊水池を設けたり、ポンプアップして河川に放水するなどの措置をとっているが、抜本解決には至っていない。素人考えだが、私は巨大な遊水池を地下に設けたらどうかと思う。道路の下や休耕田の下に作ってはどうだろうか。
高度経済成長期に農家は農地をディベロッパーに売却したが、先ずは農地の中でも土壌が枯れていたり、様々な悪条件が重なる土地を手放していった。そこで、常時、水害に悩まされてきた土地が住宅地として開発されるに至ったのだ。土地は法的には個人にも所有権があるが、本来は、誰のものでもない。人間のものでさえないとも言える。あるのは精々、人間社会における使用権だけだろう。私の言いたいのは、経済的事由により自分が手放す土地が、もし低地で水害の常習地域だとしたら、そこに住宅街が造られることは予測できたのだから、人道上の責任が、その者にあると指摘したいのだ。住民に水害を与え続けている事に加え、行政にはその対策を執らせ続けていること、つまり、血税を注ぎ込ませることで、他者に、社会に、二重の苦を押しつけているのだ。もう30年も前のことだが、自己の利潤の為に、法律に触れなければ良いとして、社会的不利益を顧みなかった人達に猛省を促したい。
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