■2002年04月11日発行号

▼平沼大臣は同志だった?( 4月 5日)

25才から31才まで私は日東紡出身の故・柄谷道一参議院議員の秘書だったが、陳情事の後で平沼経済産業大臣と懇談していたら、大臣も日東紡出身というので、恩師の話をしたら「いや〜、柄谷さんの選挙は随分やりました」と言われた。

誰にいつお世話になっているかも選挙は分からないものだが、私には全くの驚きだった。当時、大臣は営業マンとしてサラリーマン生活を送っていたとの事で遙か昔を懐かしむような眼差しで手を出されたので、私としては感謝の思いを込めて固い握手を交わした。


▼あれから一年( 4月 8日)

3月30日は、実母の祥月命日だが、この4月7日には同居していた義母が亡くなり、4月8日は昨年、3ヶ月間私の秘書をやってくれた故・依田俊彦の1周忌の命日である。様々な死をこれから、毎年、この時期に思い起こしていくことになろうか。

亡くなった依田を私はヨダチャンと呼んでいた。昨年1月から3月の僅か3ヶ月間だけの秘書だったのだが、計り知れない力を私に与えてくれた。私の参院選の諸準備で金銭も枯渇し一番、苦しい時だっただけに彼の存在は有難かった。彼がいるだけで安心があった。何を言わずとも、私が何を考えているか、何を望んでいるのか、何に悩んでいるのか、全てを彼は理解していた。黙々と仕事をこなし、沈みがちな事務所を明るく盛り上げてくれていた。
彼の参戦で「勝てる」という思いを持っただけに、4月8日、私の事務所での急死は大きな衝撃だった。

あれから1年。今日4月8日、ヨダチャンの薫陶を受けた秘書の片野と埼玉県鳩山にある既に葉桜となった桜並木が涼しげな墓苑の中を、風で新しい数枚の卒塔婆がカタカタ鳴く彼の墓前に手を合わせた。


▼心身障害者に関わる欠格事由の適正化法( 4月9日)

心身障害者であることだけで一様に、各種免許(獣医師・船員・通訳案内業など)の取得を拒否してきた各法律を改めて、あくまでも個々の適格性を厳密にチェックすることを旨とする法案(障害者等に係る欠格事由の適正化等を図るための関係法律の整備に関する法律)が、私の所属する参院内閣委員会で全会一致、可決し成立した。

当然の措置である。地方議員を長くやってきた経験から、この問題で陳情の声も聞くことが多く、いつもおかしいと思っていたことだけに遅きに失した感はあるが、喜ばしいことだ。
国の法律の良し悪しは現場を見ると解り易いというのは、いつも変わらぬ定理である。政府提案であれ、議員立法であれ、一定期間を経過した法律は見直していくという作業は必要だと思う。現場に馴染まない法律など国民に利益を決してもたらしはしない。

今回の法改正は、意欲ある心身障害者の方にとって朗報だが、ハンディーを追っていることに変わりはない。同じ心身に障害を持つ方への励みとなるよう、是非、チャレンジされる方々には頑張って頂きたいと思う。


▼政府案をリードする議員立法( 4月10日)

建築基準法等の一部改正案が提案されたが、この中に建物に使われている建材により全国で500万人もの人達が、目眩い、皮膚炎、喘息などで苦しんでいるというシックハウス対策で、建材として使われてきたホルムアルデヒドとクロルピリオスの2種類の化学物質の使用を規制する案が含まれている。この事は1歩前進ではあるが、13種類もの危ない化学物質があるにも拘わらず、2種類に限定したことに疑問が残る。

この法案に対し、民主党は議員立法による対案を提出したが、政府案との決定的な違いは建築された後にチェックし、改善を指導できるという点にある。いわば、入口だけでなく、しっかり出口でもチェックするということである。
今後、民主党案との摺り合わせで修正の余地もあるが、いずれ政府も民主党案に沿った形で修正せざるを得なくなるに違いない。


▼日産の復活( 4月11日)

伊佐山建志 日産自動車副会長の東京財団主催による講演を聞きに行った。場所が虎ノ門の日本財団ビルだったので政治家は殆どいなかったが、150名くらいの聴講者は官僚や一流企業の経営者、役員といった人々が多かったように思う。

演題は「リーダーを考える カルロス・ゴーンのリーダーシップ」。カルロス・ゴーン氏にはお会いした事はないが、ちょうど氏の著作「ルネッサンス」を読み始めたところで、それなりのイメージは持っていたが、「やはり、、、」という気がした。どんな提案も数字で提示しないと一切、耳を傾けないと言う話は、
私の政界での大先輩で恩人でもある日産販労出身の田渕哲也先生を思い出す。当たり前の事を着実にしっかり勇気を持ってやり抜くという姿勢に驚かされる、という主旨の話を伊佐山氏はされたが、内部改革を果たし、いよいよ新型マーチの販売を緒にどのように日産が復活していくのか誰しもが注目している。

私が政治家としての第1歩を川越市議会議員として踏み出せたのも全面支援して頂いた日産の組織なしではかなわなかったというほどの縁(えにし)があり、私も心から日産の復活を祈る一人である。


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