■2002年04月05日発行号

▼国会の隠語( 3月29日)

各党に国会対策委員会があり通称「国対」といい、私はその副委員長を担わせて頂いている。この他に国会議事堂内のことを「院内」という。この「院」は参議院、又は衆議院を指す言葉だ。

さて、国対にはゾッとする言葉が2つある。「吊し」と「お経読み」だ。2つ合わせてイメージすると不気味さがお解り頂けると思う。
実際には、法案が提出されて各委員会に付託され、そのまま議事日程に上げずに留保されている状態を「吊し」という。また、議事日程に入り、法案の趣旨説明を行うことを「お経読み」という。これは、印刷されたメモを大臣等、提案者がそのまま読み上げることに由来している。
この他に予算委員会では、「シメソー」がある。これは「締めくくり総括質疑」の意味で、最後に総括的な質問を行うという慣例になっているものだ。


▼「製造業は不滅です」牧野昇著 を読んで( 3月31日)

これからの日本経済を考えてみる時、製造業は中核的な役割を過去に於いても、これからも果たしていくに違いない。もう1つ、あまり顧みられないが私の脳裡には「農業」があるのだが、とりあえず「製造業」について。

著者は、技術畑出身でもあり、かなりの思い入れもあって書いていて、熱い思いが伝わってくる。「日本の製造業は決して衰退の道を歩んでいるのではない。今は身を屈めているのである。」という記述は、切々たるものがある。
埼玉県行田市に、ものづくり大学が設立され、スタート時点でKSDスキャンダルにまみれたが、困難を乗り切って軌道に乗ってきたと承知している。日本の技術力を客観的に見つめているのに本書は、一定の役割を果たしてくれると思う。

後段部分に有力会社の技術開発についての案内があるが、これは少し感性的に頭に入りづらくはあった。


▼首長の年齢( 4月 1日)

民主党は推薦する首長の任期を3期までとしている。権力に長く居座ると腐敗は避けられないと私自身も思っているから、党のこの規定は妥当だと思う。
年齢については、私は20代の頃から、生理年齢ではなく、問われるのは精神年齢だとずっと主張してきたが、今もこの信念に変わりはない。但し、任期中に平均寿命に達するようなら選挙に出馬すべきではない。

埼玉県の市長の半数は既に県会議員の出身者が占めており、私にとっては先輩や同僚の市長であり、個人的なつながりを持つ方も多い。マスコミの論調や一般市民の平均的な感覚と少し違うかもしれないが、私は、首長というのはやはり、一定の地方政治との関わりを持ち、世間全般を理解し得る50代後半から60代前半が良いように思う。
若さは魅力だが一長一短のあることも事実だ。若さに期待し首長が選ばれ、行政がヅタヅタになり、その後遺症の回復に長い歳月をかけた自治体も多い。若くとも足が地に着いた首長もいるが、大概、マスコミ受けや耳障りの良い、汗を流さずとも実現できることにばかり目を向けて、ハード面での街づくりが遅れをとり、取り返しのつかない事も起きがちなのだ。マスコミは若さを持ち上げるが、後の検証をしようとはしない。

首長で評価の高い石原都知事と三重県の北川知事は政治の裏も表も知り尽くし、人の心の機微にも通じているからこそ、大きな仕事を成しているのだと思う。


▼国益とスキャンダル( 4月 2日)

この国会は田中外相と外務省との確執問題から始まり、今は、鈴木宗男氏、加藤紘一氏、辻本清美氏等のスキャンダルに揺れている。果たしてこれで良いのか?

去年の臨時国会でもテロ国会という様相を呈してしまったが、国民が今一番求めているものは、経済回復と雇用の安定ではないのか。スキャンダルはスキャンダルだけの問題に終わらせるべきではなく、その背後にある構造的な問題にメスを入れなくてはならないが、そこまで行きつくにはかなりの時間を費やさなければならな
い。
田中外相と外務省との問題は、外務省の様々な問題を浮き彫りにし、一定の役割を果たしたことは間違いないが、ここに至る迄には膨大なエネルギーと時間を費やした事も事実だ。鈴木氏の問題は今に始まったことではなく、永田町に在る者は1度や2度は彼の貧婪、奸智を耳にしていた筈だ。

マスコミのタイムリーな疑惑追及がこの国の不正を抑制しているが、「何故、今?」と考えさせられてしまう。政府は経済について3月危機を乗り切り、あたかも景気が長期的に回復基調に戻るようなつもりでいるが、とてもそんな状況ではないだろう。国会での本格的な論議がないと、財務省などの官僚が報告し提示する甘い展望を政府首脳が鵜呑みにしかねない危うさを感じる。公の場で様々な角度からの提案、論議の中で初めて大胆な施策を政治家はとり得るのだ。現実には無理な話だが、通常国会が終わった後で、まとめて「スキャンダル国会」でも開いて徹底してやったらどうかと、詮もなく考えてしまう。


▼「リトル ターン」
    ブルック・ニューマン作 五木寛之訳 を読んで( 4月 3日)

「かもめのジョナサン」を読んだことがあるが、これも五木寛之氏の訳本であった。必ずしも上昇志向でない五木氏には本書の方がお似合いという気がする。

1羽の鳥が主人公だが、急にこの鳥は原因不明で飛べなくなってしまう。ここから、地上での生活が始まるのだが、今迄、見えていなかった様々な生き物たちの生き様をそこで見つめ続けることになる。
ふと自分が飛ぶということ、あるいは生きるということの意義をある種の啓示を受けることで、再び大空に飛び立つというストーリーだ。
水彩画の挿し絵がおしゃれでとてもきれいだ。私のお薦め本です。


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