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■2001年12月28日発行号 去る22日、私が政界で最初に師事した元・駒沢大学法学部長の 高橋正則先生の「米寿と健筆を讃える会」に出席させて頂いた。現職の国会議員は私だけだったことから、上席のテーブルが私の指定席となっていた。 とてもゆっくり食事を摂れるような気持ちにはなれず、もっぱら諸先輩の給仕に追われるひとときだった。スピーチで「最近人づてに高橋先生はお嬢さんを私に嫁がせたかっ たようだという話を聞かされましたが、30年前にお聞きしていれば、先生とお呼びせず、今ごろは「父上」とでも言わせて頂いていたかもしれません」といって笑いをとったのが精一杯だった。
表記について25日、党内の緊急関係合同部門会議が開かれた。警察庁と内閣官房が関わることなので私にも通知があり、会議に出席した。外務省、警察庁、海上保安庁、防衛庁から担当を呼んで報告を受けた後、質疑するという形式のものであったが、私は各省庁担当者に数点に亘り質問をした。 まず第1に沈没船は何メートルの海底にあるのか、第2に中国政府の受傷者に対する遺憾の意の表明は北朝鮮に向けられたものか、わが国に対するものか、第3に今回の事件でアメリカにはリアルタイム 先ずは不審船の引き上げが喫緊の問題だと思う。どこの国のどの組織が何の目的で航海していたのかが明らかになる。全ては、そこから本格的わが国の対応が始まることになるだろうが、日本の外交や
国政報告書を持って、あるお宅を訪問したら、奥さんが出てこられて、「主人はなくなりましたが、残された家族でこれからも山根さんを応援していきますから」と逆に励まされた。ご主人は今年の5月に逝去されたとのことだが、臨終の床にあって「山根さんの演説がもう一度聞きたいなあ」と言っておられ「又、元気になって一緒に聞きに行きましょうよ」と奥さんは答えられたという。 中野清さんの市長選や衆院選の集会に出て、私の応援演説に何度も感動してくれたそうな。私としては政治家冥利に尽きるが、あの当時の演説には私自身、熱がこもっていたという記憶はある。 隠れた支持者からの思いもかけぬ黄泉の国からの有難いメッセージをしっかりと受け止めていきたい。
テレビで以前、放映されていたのをご覧になった人もおられると思うが、床屋さんや美容院への客として行った時、誰でもが経験するが「痒いところはございませんか」と聞かれる。関東では、多少痒いところがあっても「いいえありません」と答えてしまうが、関西では結構あっちこっちが痒いと訴えるようだ。 私はどこかに書いたが、どうも顔で「怖い人」の印象があるので誤解を解く努力として時折、寒い冗談を口にする。床屋さんで「苦しくはありませんか」の問いに「暮らしが苦しい」といって笑いをとったことがある。 仕事へこのところ関西へ行くことが何度かあったが、「あれっ」と思う発見があった。関東では鉄道の駅に設置されたエスカレーターに乗る時、止まっている人は左側に寄り、右側がいわば、追い越し用のスペースとなっているのだが、関西ではこれが全く逆であった。ご留意を。 |
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