■2001年12月14日発行号

▼散歩の人々(12月10日)

県会議員の時、埼玉県議会の始まる時間は10時からで、家を9時に出ていた。議会のない時も9時から原則として動いていたので、犬の散歩は、キッチリ8時にしていた。
今は、電車通勤で国会へ向かうのに家を6:30に出る事も多く、散歩の時間は5:30頃となることがある。
1時間半の違いが散歩のコースとなっている新河岸川の土堤上で行き交う人々の風景を変えている。
8時では仲良く肩を寄せて歩く老夫婦や、明らかに健康のためと決意して数人でそれらしい出で立ちに身を包んで早足に歩く主婦たちが目立ち、5時半では出勤前のサラリーマンのジョギングをする姿が多い。
向寒の今、白い息が川面の靄(もや)と調和する季節が近い。

▼臨時国会を終わって(12月11日)

第153回臨時国会が12月7日閉会したが、9月11日のテロ事件の発生で、経済・雇用国会と言われた国会が「テロ」国会と変わってしまった。
戦後、自衛隊本隊が初めて海外に派遣されることとなったテロ対策措置法は2年間という時限立法とはいえ、日本の形を大きく変える役割を果たした。テロ撲滅のため自衛隊の出動が大きな役割を実際的に果たすとは到底思えないが、日米同盟の維持という視点でわが国にとって必要な、苦い選択だった。
米ソが対立していた時代、韓国がベトナムに出兵したり、ソ連の防空能力を探るために民間機を敢えてソ連領空を侵させるなどといった危うい対韓圧力(があったと伝えられた)に比べると、わが国の選択は自主的な選択であったことは間違いない。
もし、国会議員が日米の軍事的な関わりを嫌うのであれば、国民の生命と財産、そして何よりも国家の主権を守る担保として自主的な防衛力整備を推進しようという尚武(しょうぶ/無事を尊ぶということ)の心がなければ、政治家として無責任の誹り(そしり)を免れないと思う。

今国会は内政の課題も含めて、わが国が長く蔑ろ(ないがしろ)にしてきた国の新しい骨格づくりの序章を書き上げた国会だったのかもしれない。

来年1月下旬には、150日間の通常国会が始まるが、この国会は国家危急(危険な事態が目の前に迫っていること)の際の法整備など安全保障や内政の基盤となる税制改革など、今臨時国会と合わせて日本の今後30年から50年の形づくりを決定する歴史的な国会となるのではないだろうか。

▼「The 親父」近藤昌平編を読んで(12月12日)

友人から自分が書いたものが載っているからとの手紙をもらい、購入して読んでみた。各界117名が寄稿しているが、それぞれの思いでに味がある。1人2頁1,000字位しかスペースが用意されていないので消化不良を起こしている気もする。編集方針がチョットかな、と思う。

この本の「父親」の共通項で1番多いのは、「頑固」と「酒」のようだ。私の親父にもこの2つは共通している。この際、私も親父のことを書いてみようと思うが、原稿用紙3枚はあまりに少ないので、後日、じっくり書くこととしたい。もちろんメルマガへの掲載とさせて頂くつもりだ。
本書は、1995年10月に発行された「あらためていま母を想う」の続編ということだが、私は前書のことは知らなかった。一人っ子として育てられた私には、両親の影響は決定的に大きくもあり、近々この辺で母のことも併せて書きとどめておこうと思う。

▼朝の駅立ち(12月13日)

朝6:30〜8:00鴻巣駅に久々に立った。地元埼玉6区大島敦衆議院議員の駅頭活動を、私の秘書と共に応援させて頂く事を目的としたものだ。私の他に民主党埼玉県連には9人の衆議院議員や3人の総支部長が私の参院選で全面応援して頂いたが、それぞれの地元での駅頭活動の折に、これから少しずつ恩返しの意味で協力活動をさせて頂こうと思っている。
朝の駅立ちは4ヶ月ぶりのことであった。

▼「消費される権力者」遠藤浩一著(12月14日)

鳩山由紀夫党首、菅直人幹事長は、現在のいわば上司で著者の知られざる所も身近に接する中で知悉(ちしつ/詳しく知ること)しており、批判的な文言には反論もあり、このお2人を除いた人達への批評について概ね妥当な評価と記しておく。
著者は駒沢大学元法学部長であり私の師事した高橋正則先生の教え子で興味深く読ませてもらった。
遠藤氏と議論したことはなかったが、昔から研究熱心な青年で私の知己でもある。



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