■2001年12月07日発行号

■国会コラム

▼皇居での記帳(12月 3日)

皇孫殿下ご誕生の参賀に皇居へ初めて入り、記帳してきた。
皇居の内は紅葉が真っ盛りで紅や黄の織り成す初冬の景色を望外にも楽しませてもらえた。
記帳の間に入る折、中曽根元総理が退出されるところで、眼が重なり会釈して離れたが、広間には宮内庁職員が2〜3名の他、記帳台には羽田元総理御一人が記帳されており、静謐(せいひつ)の広い空間が妙に私に緊張を与えた。
奉賀帳を見ると中曽根元総理の次に羽田元総理の記帳があり、先着順なのだから全くの偶然であるが、私がその横に自らの名を記すこととなり身が縮む思いだった。

内閣委員会の一般質問で女帝問題をとり上げようとしたところ、皇太子妃のご出産間近の折ですから・・・と人にたしなめられ質問をとり下げたものだが、むしろ、逆にとり上げるべきだったのかなと考えを巡らせたりもする。

何はともあれ、女児を無事され本当に慶事であり、ほっとした思いだ。


▼未成年の禁煙・禁酒(12月 4日)

「未成年者の喫煙・飲酒禁止法の一部改正案」が内閣委員会で今日、可決された。
内容としては、コンビニ等で未成年とおぼしき者には成人であるか否かを免許証などの提示を求めてから販売することと義務づけるものだが、罰則規定はない。
超党派で議員立法として提案されたので、答弁者は当然、議員であり、官僚の答弁とは異なりノビノビとしたちょっと危ない表現も出てきたりする。例えば、運転免許証の提示を店から求め、それを拒否されたらどうするか、との質問に対し、「コノヤローなどと言ってくってかかってきた者に対しては・・・」と答えていたが、官僚なら決してこういった表現はとらないだろう。

翻って、飲酒はともかく、喫煙にはメンタルな面は別としても、「百害あって一利なし」なのだから、煙害についてビデオなどを使って徹底した教育を施せば、自らタバコに手が出なくなる筈だ。
喫煙や飲酒が非行の過程だという見方は全面的に賛成ではないが、非行に走る者のほとんどが経ていく行為ということは間違いない。タバコは明治時代、飲酒は大正時代に20歳未満の者に禁じられたというが、今日では、高校を卒業してから解禁されるという感覚が子供世代では常識のようだ。
私は生涯、喫煙を禁止するというものでないなら、20歳に限定するという根拠は薄弱だと思うが、今の子供はかなり早成しているのも事実だ。
私自身は高校卒業の折、友人から勧められたが「やっぱりカッコついてないナ」と言われ、喫煙の機会を失ったまま今日に至っている。飲酒の方はもう時効だろうから書くと、16歳からだったと思う。


▼党首討論の感想(12月 5日)

こう問えば、こう答える。各党首の問いかけに対する、小泉総理の答弁は充分に予測可能である。
なのに何故、同じ過ちを重ねるのか、あるいは重ねざるを得ないのだろうか。
ほとんどの場合、勝ち負けやどちらが得点したかという話では、小泉さんに軍配が上がっている。

深い熟慮に裏打ちされた言葉だとはとても思えない、ある意味で皮相的(上っ面)で大衆うけのする身振り手振りを交えた、レトリックにしか過ぎない総理の答弁に、政治家としての誠意を私は感じとれない。
経済大国の道を戦後ひた走り続けたわが国は、奇跡的に成功を収め、その果実としての享楽を思う存分賞味してきた。逆にその事で失ってきた代償も決して小さくはなかった。国民ではなく市民に。
軍事ではなく福祉に。祖国ではなく世界に。等といった表現に見られるごとく甘く、やわらいだ空気の中に人々は暮らし、いつの間にか自立する心や真の自由を守る覚悟や、指導者までもが国の将来への責任や使命を蔑ろ(ないがしろ)にしてきた。
小泉総理は一見、理念型で芯の強さを持つ政治家のような印象を与えながら、政治家としての大人の決意や覚悟が欠落しているように思えてならない。
靖国神社の国家護持や総理の公式参拝には、私は反対であるが、あれだけ強い言葉で「8月15日」を公約しておきながら、単なる時間の前倒しで妥協をはかるような姑息な手段は一国の総理が選ぶ道ではなかった。北朝鮮の金正日総書記の子息 金正男氏と思われた人物の不法入国について強制捜査もせず、直ちに国外退去させてしまうという措置も、国の最高責任者としての自覚と責任感に欠けた逃避的な弥縫策(びほうさく/一時の間に合わせの策)にすぎず、国際的に通用する政治家とは私にはとても評価できない。
国内の行政改革を軌道に乗せつつあることは評価するのに吝か(やぶさか)ではないが、数10年後を見越したわが国の国益を国際関係の中で捉えていこうとする意欲や見識を、私はこの総理から未だに見ることができない。

国会議員に成り立ての身で党首に直言する立場ではないが、こうした諸点を突くことで私は国民の眼から見ても明らかな党首討論の勝利をもぎ取ることができると思う。
理論武装を整えた上で、そう遠くなく巡ってくるであろう進言できる機会に向けて知恵をまとめておこうと思う。


▼造反議員でない立場から(12月 7日)

「山根さんは造反組ですか」「民主党は大丈夫ですか」地元に戻るとそんなことを聞かれる。秘書からもこのことで問い合
わせが多いという報告を受けている。
民主党には党運営について、全国会議員が言いたいことを伸び伸びと発言できる機会と雰囲気が横溢(おういつ/いっぱいにみなぎること)している。1年生議員でも例外ではない。だから、いつも百家争鳴(様々な立場の論客が自由に意見を発表し、論争しあうこと)の呈を成すことが多い。これは、恐らくわが党だけではないだろうか。
政党において自由と秩序の関係は微妙なのだ。

社会党は村山内閣が発足すると党大会の決議も経ずに、安保や日の丸、原子力発電の建設にも180度方針を転回させたことがある。それでもほとんどの国会議員や党員は、これを受け入れていった。
自民党にしても政権奪取のためなら、水と油とまで言われた社会党と手を結んだ。

大きな政党ほど政策の幅は広い。
今回のドタバタ劇は信頼される政権政党への脱皮に避けて通れない陣痛なのだと思う。


■徒然コラム

▼野村沙知代とテレビ側の良識(12月 6日)

所得税、法人税法違反の疑いで野村沙知代容疑者(以下N)が逮捕された。浅香光代さんやデビ夫人などとのバトルを始め、連日のようにワイドショーを賑わせていたNの発言は品位を著しく欠き、ある一線を越えていたように思う。そして報じられるスキャンダルの数々は当たらずとも遠からず、と思うに足る状況証拠が揃ってい た。
それでもテレビ局は彼女を出演させ続けたことに、私はマスコミの良識を疑っていた。私には視聴率本位で出演者を選択しているように思えた。マスコミも第3の権力といわれる。権力者には、それに伴う大きな義務も課されているのだと思う。
国民をテレビは良くも悪くも今、大きくリードしている。
政治と行政はシステムを変えることで、テレビは国民の頭脳と心に大きな影響を与える公器として、思う存分権力を行使している。
テレビには自由でいて良識的、知的抑制も効いた番組づくりを期待したい。



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