■2001年10月 5日発行号

■徒然コラム

▼ 長嶋監督引退に思う(10月 1日)

長嶋監督の引退はさわやかだった。
昭和33年、プロ野球にデビューしてから、一貫して私は長嶋ファンだった。
私の生まれ育った早稲田(豊島区高田南町が正式な住所だが、最寄りの都電駅名から、皆、早稲田といっていた)の高砂湯という風呂屋へ行く度に、当時小学生だった我々は競うように下駄箱の3番に下駄を入れた。
あの時、自分はここにいた、と誰もがはっきり覚えているのは、多分、長嶋選手の引退と三島由紀夫の自決、米国貿易センタービルのテロ第一報が入った時ではないだろうか。
選手長嶋の引退セレモニーは、衆議院の議員会館で仕事そっちのけで秘書仲間と観ていた。目頭が熱くなって失態を見せたくないので、一人部屋を途中で出たのを憶えている。
あれから確か26年にもなる。輝きを残しながらの監督引退はすがすがしい。
もう誰も長嶋監督に引退を進言できる人はいなかった筈だ。本人自らの決断以外、引退はあり得なかったと思う。絶妙のタイミングだった。早すぎも遅すぎもしない。

地方政界にあって私自身、いつも組織の上に立った時、辞任のタイミングは決して外すまいと自らに言い聞かせてきたつもりだ。
民社党の埼玉県連書記長の時も、民主党県連幹事長の時もそうだった。
役職にあって具体的な目標を設定し、事が成熟したら退こうと考えていた。
民主党幹事長の時は次の3つを課題とした。
 1)県連の財政を確立すること。
 2)党内融和をなすこと。
 3)国会議員を大幅に増やすこと。
1)は、反対も強くあったが、上田代議士の発案もあり、県連主催のパーティーを開催することで実現できた。
2)は、旧三党の合体による県連結成であり、ぎくしゃくした空気を、細川県連代表の大らかさで何とか改善できた。
3)衆議院議員3名を9名に3倍増で達成できた。
これらの課題は、時代の勢いに助けられた面も多々あったが、私としては充分、満足できるものでもあり、参議院選前に後任にバトンタッチした。
これからもしっかり「辞任」「引退」を肝に銘じながら、新たな挑戦をスタートさせたい。

鳩山党首と初めて私が県会議員時代食事を共にした時、長嶋選手時代のエピソードを聞いた。祖父であられた鳩山一郎元総理が巨人軍の後援会長をしていたので、優勝祝いに音羽の邸に全選手を招いたという。
朝から弟の鳩山邦夫氏と首を長くして待っていたら、長嶋選手だけがテレビ出演が重なり欠席となり、がっかりしたという。改めて聞かなかったが、多分、党首は今でも巨人ファンだと思う。

▼議員としての責任を果たすために(10月 2日)

わが党では今、国会内で政策をめぐり、議論する場や一流の評論家、学者等を招いた勉強会が目白押しで同時間に重なることも多い。
今はテロ問題が中心だが、雇用問題も熱い議論になっている。
日本を一度も訪れたことのなかったベネディクト女史の「菊と刀」が、今でも名著として高く評価されているのは、居ながらにして日本を観想し得た女史の大きな力であったと思う。
日本人に理解し難かった中東の問題が全国民的に関心を持たれるようになったと思うが、やはり複雑で、じっくり学んで行かなくてはなるまい。
勉学で足らざる所は観想し、政策立案に誤り無きようにしたい。

▼五木寛之さんのこと(10月 3日)

五木寛之著「人生の目的」を読んだ。
青臭い書名なので書店で買うときも少し、面映ゆい感じだったが、氏への関心が強く買い求めた。読後感は、この人らしいな、という思いだった。私はカラオケでもよく演歌を唱い、「やっぱり歌は暗くなくちゃ」などとうそぶくことがあるが、この人の少々の暗さにホッとすることは確かだ。
石原都知事とは生年月日がいっしょだそうだが、二人は対照的な風景に見えていても実は似ているようにも思えるのが不思議だ。
同書の中でこれは絶対に嘘だな、と思われた箇所がいくつかあったが一つだけ記しておこうと思う。
「Kというクラスメイトに「ぺー(共産党)に入らないか」とすすめられたのを笑って断ったのは、俺の立場はプロレタリアートの、そのまた下だ、と思っていたからだった。」というところだ。
氏は自分で「俺は組織には合わない」と思っていただけのことだと私は思う。
氏独特のレトリックにすぎない、と断じちゃマズイかな?

▼駆け引き(10月 4日)

参議院本会議でわが党の岡崎トミ子議員が冒頭「昨日、テレビ出演で総理は、野党の質問は官僚が答弁すればいいような内容で、政治家に聞くような程度のものではないとの発言は、暴言ではないか」といった質問を行った。しかしその事について、小泉総理は一言も答弁しなかった。
わが党国会対策委員会で今日、この点を議運(議院運営委員会)理事の郡司議員に尋ねてみた。郡司議員も私と同じ思いで、与野党の理事会で同様の発言を自民党理事にされたという。
自民党は「テレビ発言等の事実確認をして、改めて回答したい」とのこと。
従来なら野党からのこうした申し入れには門前払いだったようで、ある意味で意外な進展と言えなくもないようだ。あるいは自民党内における駆け引き的な要素も遠因としてあるのかもしれない。
人や党の奥にある心を見据えながらの交渉術も、政界には不可欠の、求められる能力ではある。

▼早朝勉強会で(10月 5日)

テレビでおなじみの木元教子さんの早朝(8:00〜9:00)勉強会に出席した。
政治とメディア・ジャーナリズムと題しての講演だった。政治家はテレビを無視することはできないし、しっかり向き合っていかなければならないとの指摘はごもっともだ。
本題からは外れた話だが、同女史は原子力委員会の委員をやっていて、エネルギー問題にも造詣(ぞうけい)が深く、日本の置かれている実情についての話も参考になった。
会が終わって雑談の中で、外務省の様々な問題に話題が移った。勉強会に出席していた議員の中にも何人かの官僚出身者もいて、それぞれの体験談が出てきた。
異口同音に言っていたことは、他省庁からの派遣で在外日本大使館に勤務したが、外務省の人間とは待遇が冷たく差別されていたとのことであった。
妙にエリート意識が強く、食事や情報の提供さえも扱いが異なり嫌な思いをしてきた、という。
田中外相には大臣としての資質的な問題もあるが、外務省の内実は本当にひどい。
外相には外務省改革では頑張ってもらいたい、といった意見が続出した。



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