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■2005年5月26日発行号
▼空港の時間( 5月20日)
地方議員の皆さんへの国政報告に宮崎に向かった。地元川越からのルートで羽田空港へ向かおうと、JR川越線南古谷駅に着いたら、朝のラッシュアワーではあるが、それにしてもホームは尋常ではない程の人が溢れていた。跨線橋を渡るところでアナウンスがあり、信号機の故障で30分後でなければ電車は入ってこない、とのこと。
羽田空港には50分前に着こうと、ちょうど30分程の余裕をもたせていたが、『もしかしたら乗り遅れるかも…』といった不安がよぎった。急遽、南古谷駅を出て、5キロ程離れた東武東上線の上福岡駅へ向かおうとタクシー乗り場に急いだら、1台しかないタクシーにちょうど他の客も乗り込もうとしていた。行き先が同じ駅であることを確かめて、一緒に乗りましょうと声を掛け、事なきを得た。怪訝な顔をされたが、私が料金を支払うことで最後には納得してもらえたような気がする。この間、もう1人の客とは車中で一言も発しなかった。
果たして往路は本当にギリギリのところで飛行機に乗り込めたが、逆に復路は、宮崎空港で2時間の余裕があった。本でも読んで過ごそうかと思っていたが、同じ会合に講師として来ていた旧知の、特定失踪者問題調査会の真鍋貞樹氏と30分程一緒に食事をし、その後は空港内にあるタイ式マッサージにかかって、あっという間に2時間が過ぎてしまった。
バンコックでも足裏マッサージにかかった事があり、それをイメージしていたが、内容は全く違ったものであった、テニスで痛めた膝がまだ完治していないので、そこを重点的に施術してもらったが、かなり楽になれた。帰り際、「貴方はタイの人ですか」と聞いたら、青年は「いや、私は日本人ですよ」と笑って答えてくれた。
▼最後の仲人?( 5月22日)
数えたことはあまりないが、仲人は15組程やらせて頂いていると思う。政治家は日程が安定していないので、仲人をお引き受けするにはリスクもあり不安なのだが、本人やご両親と近しい場合には、大役を今日まで担わせて頂いた。
去る21日、友人の子息の結婚式で媒酌人を務めさせてもらったが、事前に神社の貸しモーニングの試着に行ったら、そこに勤めている知人が、「最近、仲人を立てる人は少なくなってきて、珍しい」と言われた。そういえば、このところ招かれて出席している結婚披露宴には媒酌人がいないことが多い。最初の頃、何か違和感があったが、慣れてくるとそれ程でもない。
時代の流れでみると、国際関係や情報化社会では益々、複雑化の様相を呈してるが、ある一定の複雑さの中で保たれてきた社会の諸権威は、簡素化、単純化の波にさらされ崩れかけてきたようにも思える。官僚の脱背広、ノーネクタイも省エネの視点から発想されたと思うが、国会では質問に立つ国会議員が背広で、答弁する官僚がシャツ姿では、という感覚もあり、衆議院では議員も夏はシャツ姿で活動することになるらしい。これは善悪の問題ではないが、服装と権威、社会の秩序との関わりは、哲学的な論議が必要だったと私は思うのだが。
種々の権威が崩壊されていく過渡期にあって、ある種の感慨が個人的にはあるが、“これも歴史”と私は諦観している。崩壊の次には混乱があり、次の時代には又、新たな権威が時代の要請で演出されてくるのだろう。
▼霊柩車( 5月23日)
古からの言い伝えには正鵠を得ているものが多い。しかし現代科学から見ると明らかな誤りとされるものも少なくない。貝原益軒の養生訓には、食べ合わせの悪さで死に至ると書かれていたりするものが、実際には何の支障もないといった組み合わせもある。
又、明らかに迷信ではあるが、どこか味わいのある伝承もある。その1つに、霊柩車を見たら両手の親指を隠さないと親の死に目に立ち会えない、というのがある。私などは子供の時代から親に言い聞かせられていたので、心に沁み込んでいて、今でも反射的に霊柩車を見ると他の4本の指で、親指をしっかり握りしめてしまう。
今日も1人で運転をしていたら、バックミラーに霊柩車が映ったので、ハンドルを握る手で思いっきり親指を隠した。しかしふと考えてみると、私にとってはもう意味のない動作であるのだ。何故なら私の両親も、女房の両親も共に既に逝去しているのだから。
子ども達に、この伝承は改めて伝えておこうと思う。
▼審議拒否( 5月24日)
郵政民営化法案をめぐる国会の攻防で、マスコミは今、民主党の行動に批判的である。しかし、世論の動向によっては又、論調が変わるかもしれない。政府の法案提出から特別委員会設置の強硬措置は、理論的無理があると私は思う。
(我々民主党の主張は
http://www.dpj.or.jp/news/200505/20050520_07kawabata.html
http://www.dpj.or.jp/news/200505/20050520_08yuusei.html
でご覧頂ければ幸いです)
自民・社会両党で国会が動いていた時代には、与野党対決法案の取り扱いは、実際には水面下で話し合いが付いていて、強行採決、審議拒否、再開、牛歩戦術とパターンが実は打ち合わされ、決まっていた。こうした馴れ合い国会を打破しようとして民主党は国会改革を行い、ある程度それを実現してきた。
しかし対決法案では、マスコミも詳細を報道しきれず、我々の主張が国民に届かない時の対応が極めて難しい。“審議拒否”を否定され、一切の審議に野党が応じるということになれば、政府与党は全ての法案処理を、強行に押し切ってくることだろう。委員会審議でいくら問題を指摘しても、テレビ中継がほとんどない所では、国民に法案の是非を判断する術が与えられない。あの一番の華といわれる予算委員会ですらテレビ中継がなければ、ほとんど実際には、マスコミではその詳細はおろか一切が報道されていないことが多い。
どんな悪法でも通せるとすれば、政府与党はどこまで暴走するのだろうか。野党は、時間との戦いで法案修正を果たせることもたまにはあるが、そう思うようにはいかない。イギリスでは、与党の出す法案に対して議論はするが、審議拒否はない。つまりほとんどの法案はすんなり通過する形のようだ。国民が、とんでもない法律を作ったものだと怒れば、次の選挙で政権が変わる筈だという前提がある。しかし、わが国の国民性からいって、過去の記憶はほとんど薄れ、いつの間にか受け入れてしまうといった政治風土がある。
そして正直のところ、そう易々と政権をチェンジできる環境にもない。そうなると次々と強行される法案採択が、本当に国民の為となっていくのかどうだろうか?国民の幸に責任を持つ政党の国会戦術は、こういったところでギリギリの綱渡りを強いられているのが実態だろう。
▼ホームページの改変( 5月25日)
最初のホームページは、他人から「よくできていますね。高かったでしょうね」とよく言われたが、当時、政策秘書だった後藤芳博氏につくってもらった。だから費用は掛かってない。
あれから3年以上も経っているので、全面改訂となったが、忙しさにかまけ、私が書くべき原稿が未提出だった為、中途半端な状態だった。これ以上、業者の方に迷惑も掛けられないので、今日、必死で原稿を書き上げた。書いてみて、これからの自分の活動につき頭の中でかなり整理できた。完成したら、読者の皆様には是非とも改めて私のホームページを読んで頂けたら幸甚です。
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