|
■2005年6月9日発行号
▼ノーネクタイ( 6月 3日)
参議院では、室内温度の設定を28度としたため、夏期における議員や職員の公的な場での服装について、申し合わせ事項が変更された。委員会室では、ノーネクタイ・Yシャツ姿でOKとなり、本会議場では、背広着用・ノーネクタイも可とされた。これは議院運営委員会での決定だが、これに先立ち、参院・民主党では全議員にアンケート調査が実施され、本会議場での背広着用支持派は、やはり年配者が多かったようだが、私を含め極めて少数派だった。多くは、本会議場での背広着用は不要とする意見が多かった。私は党内保守派ということになるのだろうか。
地球温暖化防止への姿勢を、国会が内外に示すための措置で率先垂範だが、中途半端ではなく、こういうことは徹底すべきだと思う。昨年などは省エネを提唱しながらも、実際には本会議場内の温度はかなり低くなっていたように記憶している。
▼議会用語( 6月 6日)
国会には、独特の隠語があることは以前書いている。それとは別に、隠語ではないが、中央・地方を問わずよく使われる政界用語に“強行採決”“審議拒否”がある。2つとも言葉のイメージはかなり悪い。今国会、郵政法案をめぐるわが党の対応も“審議拒否”と報道され、党幹部も、この言葉を使っていたと思う。しかし、これは与党の行為への対応としての行動であるのだから、まず与党の非を端的に表現する言葉が必要だったと思う。
郵政法案を審議させるのには、政府で十分な準備を整えなければならないのは当然である。まず、他の法律には「郵政公社については、見直しをしない」と書かれているのだから、郵政法案とは明らかな矛盾で、これを法整備しておくのは、法治国家としては絶対条件だろう。そして、出された法案条文に既に多くのミスが指摘されており、これを正しいものに提出し直すのが筋である。第3に、法律の重要な部分を151項目も政省令に委ねている。これは民営化に名を借りた、官の肥大化以外の何者でもないだろう。第4に、政府と与党の間で、法律を修正することに合意しているという。それなら最初から、政府・与党で責任の持てる法律に書き直しておくべきだろう。
つまり、法案をしっかりとしたものにしてから提出すべき、と民主党は求めていた訳だが、耳を傾けず強引に出してきたこの行為を“強行提出”“強行開会”と表現したら、国民に解り易かったのではないか。そして、審議にこれでは参加できる状況ではなかったのだから、“審議拒否”ではなく、“審議不能”又は“審議参加不能”と表現すれば、国民にも多少わが党の立場を解ってもらい易かったのではないか。しかし、参院の会長や仲間に私の造語を示してみたが、皆ノリは悪かった。ということは、もう一工夫必要ということかもしれない。
▼超党派で国を守ること( 6月 7日)
今、世界中から日本国民の財産がむしり取られているように思えてならない。アメリカからは1994年以来、「年次改革要望書」というものが突きつけられ、アメリカ経済界からの要求に添った内容を、わが国が呑まされ続けているという学者の指摘がある。1994年には「対日投資会議」というものが設けられ、具体的なアメリカの要求を詰めていく作業が行われているのだという。アメリカは日本にとってかけがえのない国だが、ギリギリのところで、私は日本国家の尊厳を、体を張って守っていくべきだと思う。
中国・韓国との領土問題、石油採掘権の問題でも、国際法にのっとって毅然と対応していかないと、近隣諸国から侮られ続けることになる。政治家の国内に於ける失態やスキャンダルは批判に晒されるが、私たちの見えないところで行われている売国的行為が、どれだけ国を傷つけているか計り知れない。冷戦時代のように、左右のイデオロギーで単純に政治の正邪をジャッジできる時代ではなくなってきており、政治の善し悪しは、わが国の国益や尊厳、世界平和構築に有益か否かを私は物差しとすれば良いと思う。
町村外相は、訪中した自民党国会議員の中国首脳への追従を批判し、一部の学者やジャーナリストが歴史教科書を韓国へ行って、「今度、こんな教科書が出る。問題ですよ」と態々、ご注進する人々がいる、と不快感を露わにしたが、外相の苛立ちが伝わってくる報道だった。
動機は不純だったが、社会党が俄に日米安保を容認したように、時に、外国から小泉首相の発言が何らかの誤解や曲解を生んだ際、少し微妙だが、野党党首がこれを擁護する場面があって良いようにも思う。その時、諸外国にとって日本のイメージは良い意味で一変することになると私は思う。
▼クールビズの普及( 6月 8日)
国会での設定温度は28度とされているが、本会議場で実際に同僚議員が温度計を持ち込んで確認してみたら、27度だった。委員会室よりも本会議場は空間が広いので、この温度だとかなり涼しく、体感温度はもっと低い。半袖の議員は「少し寒い位」と腕をさすっていた。ノーネクタイが一応解禁となったが、多くの議員は様子見で、本会議場では背広・ネクタイ姿の議員が圧倒的に多い。かくいう私も今のところ同様である。
今日の本会議で、伊藤金融大臣がノーネクタイで答弁に立つと、自民党の長老議員などから「ネクタイを付けろ〜」などと野次が飛んでいた。昨日のテレビ入り決算委員会では、鴻池委員長が自党(自民党)の議員にネクタイ・背広を要請したようで、自民党の委員は全員がこれに従っていた。国民の眼からノーネクタイ姿がどう映るのか。議員心理としては気になるところで、大概の人は、「もう少し様子を見てからにしよう」との思いでいる。
個人的には、クールビズにすると全取っ替えだから、自分に合ったコーディネートを考えなければならない。こういうことは、どうも自信がない。
▼肉食の負い目( 6月 9日)
年齢が高くなってくると、コレステロールなどがたまり易くなるので、あまり肉を食べない方が健康のために良いのではないか、という理由で近年は積極的に肉を食べることは避けていた。
一通のメールから、動物の愛護運動に関心を持つようになったが、その発信者の、日本国籍を持つドイツ人女性である田辺リューディアさんが、“死体の晩餐”という本を翻訳したからと送って下さり、読ませて頂いた。著者は若い哲学者だが、あまり難しい表現を使わず、人間の種差別に対して警告を発している。人種差別、男女差別など世界には様々な差別があることは誰しもが経験的に理解しているが、私には“種差別”という言葉との出会いは初めてだった。生物である人間が他の生物を差別するという意味だが、この場合本書では、動物への差別を指している。誰しもが少年の頃、経験してきた人間の食生活への疑問。身近に触れたり見たことのある動物の肉を食べてしまっていることへの負い目に、いつの間にか麻痺して、あるいは眼をつぶってきた自分を、本著は改めて思い起こさせてくれた。
屠殺場に於ける、断末魔の牛や豚の懇願するような表情の描写などは、もう二度と読みたくはないが、確実に私の意識の変革に大きな影響を与えた。私は菜食主義に徹する程の決意はないが、今後、少なくとも自らがステーキを求めることはないだろう。予算委員会の理事をしていた時、九州の水産試験場へ視察に行った折、「魚には痛点はありますか」と聞いたら、研究員が、「あると思います」と答えた。聞かなければよかったなと後悔したが、あの時以来の衝撃だった。牛や豚に与えている穀物を止められるとすれば、今の人数の十倍の人口を養える食糧になるとの試算については、嬉しい驚きだったのだが…。
|