■2005年6月2日発行号

▼意外なアメリカの眼( 5月27日)

在日アメリカ経済人でつくる商工会議所の会合に出席した人の話を聞いた。今、彼等の最大の関心事は郵政の民営化だという。何しろ350兆円の金が流れ出すのだから、鵜の目鷹の目で事態の推移を見守っているようだ。

アメリカでは、郵政はプライバシーの保護等から国有化を確認しているが、小泉さんはブッシュ大統領に、まるで貢ぎ物でも差し出すように、再三にわたり民営化を約束してきた。もし民営化が果たせなければ、ブッシュ大統領は小泉首相の首を飛ばすだろう、というのが永田町界隈に流れている話しだ。

アメリカ金融界、保険業界では、こんな350兆円もの金が流れ出すことは、後にも先にもこれが最後のビッグチャンスだと狙いを定めているという。在日アメリカ商工会議所での出席者の様々な囁きは、何の為の民営化かを正直に評しているのかもしれない。


▼農婦の昔話( 5月30日)

夜も深く、誰も通ることのない畦道から、田ん中をいっぱいに張られた水の面で気持ち良さそうに風に揺れている苗を、私は見ていた。空の月は薄い雲に遮られおぼろで、田圃に映る月も、名も知れぬ虫の動きで水面は揺れる所もあり、更にぼんやりしていた。多分、六条植えの機械で、泥中に突き刺さるように並べられた苗は、必ずしも一直線に整えられている訳ではない。それでも、どこか機械的な植え方だな、と感じるのは、今朝、農家の老婦から聞かされた昔話によるのだろう。

私の今住む南古谷村(現在の川越市)では、田植えの時、嫁の野良着は決まっていて、白い着物に赤いタスキをしていたのだそうだ。そして、食事もおかずなどはちょこっと畑から野菜を採ってきては、簡単に誰もが済ませていたという。話しの内容は特にびっくりするようなものではなかったが、自分が嫁いできた時と比べて、今の農家や嫁がいかに恵まれているかといったものだった。朝の散歩の時、20分程つかまって話しを聞く羽目になり、農婦の饒舌は澱みなく続いた。しかし彼女は耳が遠く、ほとんど私の質問にはとんちんかんで、会話はとても成立していなかった。それでも私としては、地元での昔日の田植え風景がイメージできて、心が安らいだような気がした。


▼遠ざかる歴史( 5月31日)

1955年に立党した自民党と社会党による2大政党で国が動かされていた時代を55年体制と命名したのは、民社党の委員長も務めた佐々木良作先生だったと記憶している。この体制を打ち破ろうと色々な蠢動があったが、一番、表面に出てきて一定の規模を持ったものが、社会・公明・民社による連立政権構想だった。社会党は実際には、党というより江田グループによる動きだったことから、江・公・民などと言われもしていた。この他にも、天下同憂の土と表現してカモフラージュされた、自民党内の様々な動きもあった。

選挙協力というのは、国政では精々が自党の立候補を見送るといった程度のものだろうが、これを積極的に他党候補を応援し、集票活動をし、大きな結果を出したのは、時の自民党実力者、田中角栄幹事長に強い衝撃を与えた。そして以降、公明党の抱き込みに、自民党は心を砕いてきた。

自・社体制を崩すために、民主政治の上からは禁じ手であった選挙協力をしてまで、国家の改革に燃えた指導者から見れば、今の自民・公明の連立政権はどのように映っているのだろうか。

昨夜、民社党衆院の名物事務局長であった、畑昭三さんの通夜に行って、秘書をしていた頃のことが去来し、35年前の記憶が甦ってきた。もう既に民社党の指導者の多くは物故し、あるいは政界を去っているが、事務局員も含め当時の人々は皆、強烈な個性の持ち主で、独特の臭いを漂わせていた。


▼二子山親方の死( 6月 1日)

決して長くない55才の人生を閉じられた。一度もお会いしたことはないが、この親方の人生はずっと耐え続けた人生だったように思う。初代横綱若乃花の実弟として角界に入門した時は、先輩や仲間の嫉妬から相当のいじめもあったことだろう。出世に伴い、次第にいじめからは解放されていっただろうが、力士としては小柄だったので、角力ではクンロク(9勝6敗)大関と揶揄されながらも、耐えに耐えて力士生活にピリオドを打ったという気がする。そして、親方となってからも私からは“一生懸命の人”“努力の人”“忍耐の人”のイメージは変わらなかった。

サラリーマンでいうなら“モーレツ社員”という言葉がピッタリでなかったろうか。私生活でもじっと耐え続けていたようにも映り、これからは、ゆっくりした人生を歩まれれば良いのに、ということを他人事ながら、考えていたことがある。

私とは2つ違いで、ほぼ同じ世代だから、何をどう感じとるかは解るような気もする。忍耐の上に築いていった成功、栄光に浸る間もあまりなく逝ってしまわれたが、少なくともご自分の天命に対しては、しっかりとこれを全うされたといえるのではないか。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


▼日本の国家戦略雑感( 6月 2日)

お人好しだけでは国益は守れない。日本はアメリカ、中国といった大国に翻弄され続けている。アメリカの占領政策や共産主義思想、これに影響を受けた“反体制”を超えた“反母国運動”そして吉田茂首相以来とり続けられた経済至上主義で、国民の国家意識は極端に低下してきた。国家と個人は対立する概念ではないのだが、国家は個人を抑圧するもの、といった風潮さえ現れてきている。

ここで日本は、超長期、長期、中期、短期の国家戦略をしっかり練り上げておかなければならないと思う。

通産省OBや学者が書いた本から、我が国の在るべき姿を“商人国家”として規定したものが多く、識者の中ではこれに異を唱える人が少ないようだが、これは学者や評論家の知的怠慢ではないのか。もっと様々な主張があって然るべきだろう。貿易立国=商人国家というのは単純すぎるし、私自身、生理的違和感がある。今や世界中が貿易立国であるし、物をあまり製造せずに成り立っている国と考えれば、アメリカは立派な商人国家の一面を持つと言えなくもない。

中国がこれからどのような国となっていくのか判らないが、例え自由主義国家となったとしても、少なくとも30〜50年は、日本はアメリカとの同盟を基軸として、国家の在り方を考えていくべきだと思う。経済戦略で、わが国の資産を時にかすめとるような事が、今後も有り続けるかもしれない。現に郵政民営化で市場に出される350兆円の国民の財産は、今、アメリカ保険業界の垂涎の的となっている。それでも、中国よりもアメリカを私が選択すべきと考えるは、様々な自分なりの根拠を持つが、トータルとしての勘といえるかもしれない。

私は常識外れのとてつもない事を時折、考えている。超長期の目標として私が心に描いているのは、世界連邦であるし、防衛力としての軍事技術では核の無能化ができないものかと思いを巡らしている。例えば、核ミサイルも含め、外国から日本にミサイルが発射されたら、そのミサイルを逆誘導させて発射地点に落とす技術の開発ができはしないだろうか。世界中の核基地は高度なコンピューターにより管理されているだろうから、そこから各基地に共通して特化された制御装置等をはじき出し、そこを一気に無力化させる技術開発はどうだろうか。どこかで読んだが、今、成層圏で核爆発が起これば、世界中の電子機器が機能停止するという説がある。これなどは恐ろしい話だが、核の廃棄についての考察では、軍縮交渉によるものと併せて、核無能化等の技術開発からのアプローチがあっても良いと思う。

とてつもないことをもう1つ。
中国では、8,000万人が既にパソコンを持っているといわれる。これからの対中外交は、しっかりと国家戦略を持たなければならないが、その1つに情報戦略があるだろう。中国ではネットの検閲システムをつくっていて、政府への批判的な情報にはアクセスさせない手口を使っている。この網をかいくぐる手段を開発し、中国8,000万台のパソコンに、中国語で正しい情報を送り続けることなどはできないだろうか。中国人の日本観は大きく変えられるかもしれない。