■2005年4月21日発行号

▼葬儀への人選( 4月15日)

ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀に各国の元首級の人達が参列する中で、日本では首相補佐官(前外相)の出席だった。国際舞台では人選そのものが政治的意味を帯びてくるが、多分、官邸主導の人選だったのだろう。外務省としても、前外相という指名には異議を唱え辛かったのだろうが、外国主要国のメンバーと比較した時、やはりミスキャストと言えるのではないか。川口さん自身の能力や人格等の問題などでは全くなく、政治的意味合いでの“格”が肝要だったと思う。それに、外国要人との会談には千載一遇のチャンスだった。北朝鮮の拉致問題や対中関係などを考えると「本当に小泉さんで大丈夫?」という程の外交感覚ではないのか。

前々法王のパウロ6世がバチカン公会議で初めて異教徒を招き、世界の宗教協力の重い扉を開くのに勇気ある決断をされたが、ヨハネ・パウロ2世はそれを更に大きく前進させた方といえるのではないか。パウロ6世には心温まる慈愛を、ヨハネ・パウロ2世には時代を創る逞しいエネルギーを、テレビの画面や写真を通じて私は感じ続けてきたが、ヨハネ・パウロ1世を挟んで2人の法王によって、1つの歴史が創られ、完結されたという気がする。

法王の昇天から数日後のことだが、ダライ・ラマ14世が来日し、明治神宮を参拝されたというニュースを見た。今、世界的宗教とその指導者は、一様に融和と協調の軌道に完全に乗ってきた。寛容なる宗教が世界政治に及ぼす影響は決して小さくない。世界の宗教界の歴史的流れから見ても、小泉総理自身が参列すべきだったろう。


▼「何があっても大丈夫」櫻井よしこ著を読んで( 4月17日)

ジャーナリストが第一線を退いてから書いたものを何冊か読んでいるが、大抵は文章が短く読み易くはあるが、どこか物足りない場合が多い。本書は読み易くはあるが、単なるジャーナリストの自叙伝のレベルを超えて、1つの文学作品にまで高められている。文体は、推敲を重ねられたのか無駄な部分が削ぎ取られ、それでいて優美に流れている。

本書の中身は、赤裸々に著者の生い立ち、家庭をそっくり書いたもので、まるで個人の日記を窺知するような後ろめたさを覚えながら、私は読み耽った。御尊父の、数人の愛人との同棲は、まるで壇一雄の“火宅の人”を彷彿とさせるもので、複雑な人間模様を織りなし、生々しい男の性(さが)を見せつけられたような気がした。愛された人々、そして彼女たちとの間で生まれてきた人々、それぞれの懊悩が、もしかしたら著者を含め思慮深い人々をつくったのかもしれない。

読み進むうちに、残り頁も少なくなってきたところで、『そういえば著者自身の恋の話しは?』と思っていたところで、8頁を費やして恋から別離の章が加えられていた。若干の唐突感はあるが、ここはきっと一気呵成に、種々の思い出と共に心を揺らしながら書かれたような気がする。美しく記述されているこの章が圧巻かもしれない。


▼迷惑音量事件に思う( 4月18日)

ワイドショーで河原美代子容疑者逮捕の報道を見た。ラジカセの音量を最大にして、向かい側の家に向け嫌がらせをする時の表情がビデオに撮られ放映されていたが、彼女の顔は何を言っても受け付けない凄まじい形相であった。一度、裁判で罰金刑を言い渡され納金されたようだが、一時を過ぎると同じように騒音行為に戻っていったという。あのビデオを見る限り、逮捕やむなしという気になる。世の中には、厳密には民法や刑法に触れるが、現場では灰色のゾーンとして、近隣の人々が眉をひそめる非常識と反社会的行為の狭間に在る人々が数多いて、地域社会を苦しめている。

今、社会が病んでいることは誰の眼にも明らかだが、私はかなり重く深刻な状況に入りつつあるように思えてならない。駅頭演説で、その内容を政策的に批判する野次は随分受けてきたが、最近では何を言っているのか理解不能で、時折「馬鹿かー」「テメエなんか…」といった声が届いてくる。私には罵声というより、何かすがるような訴えに聞こえてならない。ぶつけようのない怒り、不満、あるいは不安、焦燥から絶望への心理状態にあると言えないだろうか。

自己の存在の確認を必死で求める心理と考えれば理解し易い。毎日のように報道される殺人事件や自殺にも、孤独な深層心理を見ることができる。狩猟に於いて、銃の引き金を引いた者が、餌食になった動物との間で一瞬ではあるが死を通して初めて味わえる、自分達だけの絶対的な関わり、といったものを求める心理とどこか似てはいないだろうか。

今、“不確かな自分”という不安に耐えきれない人々の叫びや呻きが、国中に横溢している。


▼中国はどこへ( 4月19日)

参議院の国際問題調査会は“多極化時代における新たな日本外交”をテーマとして、今後3年間調査することとしたが、先ず初年度では、このうち“日本のアジア外交”について調査し、論議することとした。昨年11月24日から今月までに8日間に亘り、16人の専門家から意見をお聞かせ頂いたところで、去る18日、各党代表からメーンスピーチを行った後、自由に各議員が意見を述べ合った。

党を代表しての意見表明は筆頭理事である私からさせて頂いた。折しも中国では反日デモがあり、この問題に触れない訳にも行かず、どう表現するか、それなりに悩んだが、党としての統一した見解をまとめる作業が組織的に行われていない状況下では、自分なりの意見表明でも構わないだろうという判断で、考え方を前日までにまとめておいた。

時間厳守の10分間であり、自分の思いの全てを表明しきれなかったが、東アジアの共同体を築いていくのには、中国が不可欠である。しかし、共産主義国家中国であるのか、民主主義国家中国を我々は相手にするのかによって、共同体の在り方も、安定性も全く異なってくる、というのが私の持つ根源的な懐疑だ。昨今の反日デモに現れた共産国家中国の揺れは、どう見ても国際的に受け入れられる限度を超えているのではないか。

中国が潜在的に、あるいは顕在的に持つ中華思想は、時に周辺諸国の主権を脅かしかねない危険な要素を内包しているが、一方で終戦の混乱期に於いて、いわゆる日本人の残留孤児を、国家としてでなく全く個人の善意で家族として受け入れ養育して頂いた国民性を考えると、複雑な思いに至る。中国が1日も早く民主主義国家となることを私は切望している。

調査会の記録は
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/library/index.phpまたは
http://www.sangiin.go.jp/japanese/frame/joho2.htm へ。


▼苦悩の顔( 4月20日)

韓国、中国の反日の動きは、日本人の親韓、親中の心情に冷や水を浴びせた。しかし、わが国の国民の冷静な、抑制された受けとめ方は、国民の安定感を何よりも表しているように思う。今、両国に何が起こっているのか、どのような真意があるのかといった忖度する思いは、民主主義国家としてのある成熟度を示しているのではないか。

小泉総理のコメントも、個人的には概ね妥当なものと思うが、言葉を発する時の表情が、私にはどこか無機質なものに感じられてならない。あるいは私の誤解かもしれないが、総理の顔は国の困難と苦悩を背負った人の表情とは、どうしても思えないのだ。

過般、私は町村外務大臣に初めて、予算委員会に於いて中国問題などで質問をした。答弁は差し障りのないものであったが、ある範囲では、奥行き、風格といったものを感じさせてもらった。今回の中国の反日デモで、駐日大使や李肇星外相に抗議していた時の映像で、その苦悩の表情を見た時、「この人は…」と思わせるものがあった。民主党にとって手強い政治家となってくるだろう。


◆◇◆ 山根りゅうじ首都圏政経フォーラム2005のご案内 ◆◇◆

▼日 時  2005年 4月 26日(火)
      午後6時00分受付 6時30分開会

▼場 所  川越プリンスホテル 3F プリンスホール
      川越市新富町1-22 TEL049-227-1111

▼会 費  20,000円

▽どなたでもご出席頂けます。
 お誘い合わせでのご参加を心よりお待ちしております。
 皆様の率直なご意見をお聞かせ頂き、又、山根りゅうじの 今後一層の活躍を期し、ご激励ください。

▽当日は、TVタックルなどでお馴染みの河村たかし代議士も お祝いに駆けつけて下さる予定です。

▽参加ご希望の方、お問い合わせは 山根りゅうじ川越事務所
  (TEL049-230-1350)までご連絡ください。

▽この催しは政治資金規正法第8条の2に規定する政治資金パーティーです

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