■2005年3月31日発行号

▼愛知万博( 3月25日)

開会式は、とても感動的なものであった。

大宮から新幹線を乗り継いで名古屋駅に到着しデッキへ歩き始めると、いやに騒がしくなっているので何事かあったのかと訝ったら、海老沢NHK前会長が何人もの人から声を掛けられていた。元々知人である人達なのか否か判らないが、やはり有名人、注目度の高い人である。名古屋からは、招待客専用の列車が用意されていたので乗り込んだら、外国からの賓客が多く、世界の様々な言葉が飛び交っていた。30〜40分で万博八草駅に着くと、そこから更に専用バス等を使って漸く会場にたどり着いた。開会1時間も前に到着してしまったが、会場は華やいだ雰囲気に包まれていて、無聊を感じることはなかった。

開会の辞に続いて国歌斉唱を、私の地元・川越出身の佐藤しのぶさんが私の座っていた席のすぐ脇の通路で独唱された。スピーチは開会の辞も含め、陛下を除き5名が行ったが、それぞれ持ち味を出した聞き応えのある内容だった。小泉総理は、国会での答弁疲れか、時折、口ごもるような発声もあったが、“らしさ”は出ていたと思う。博覧会国際事務局議長であり中国籍の呉建民さんは、15分程のスピーチの全てが舞台両脇の大スクリーンに日本語のテロップが流されたが、完璧に全文を英語で憶えられていた。

愈々、天皇陛下のお言葉である。恐らくは祝意を短い言葉で表現されるものと私は勝手に思い込んでいたが、全く違っていた。万博の意義、日本参加の歴史、そして大阪万博を振り返られてのお話しなど、従来になく踏み込んだスピーチをされたように思った。きっと宮内庁職員の書いた原稿ではないだろう。陛下ご自身のお気持ちを率直に語っておられたように聞かせて頂いた。量的にも内容的にも従来の“お言葉”とは異なっていた。

イングリッド・フジ子・ヘミング氏によるショパンのノクターン「遺作」のピアノ演奏は、私の心の奥の方にある琴線に快く響いた。そして浜崎あゆみさん、森山良子さんの歌は、万博に相応しい歌詞とボリュームの歌だったと思う。

目標の入場者数1,500万人を超えて欲しいと思う。


▼閉村式(3月27日)

埼玉県大滝村の閉村式に出席させて頂いた。人口1,000人余のこの村が、国策として自治体の大合併を国が進めている環境の中で、この先、自立して生き残っていくことには、あまりに大きく多くの困難が待ち受けていることは誰の目にも明らかだった。初当選して間もなく、年も55才と首長としてはまだ若く、夢や希望もあったろうに、吉田町、荒川村と共に村の将来を期して、秩父市に事実上、吸収合併される選択を自ら下した村長の決断は、断腸の思いであったろう。

閉村式もクライマックスを迎え、体育館の正面舞台脇の、にわか作りであろうポールに高々と掲げられた村旗が、村歌の合唱と共に、愈々降ろされる時、こらえきれず落涙していた山口民弥村長の胸中は、いかばかりだったろうか。116年の時を刻んだ村の歴史にピリオドを打つ決断の時、村長は多くの人々の理解を得て尚、重く恐ろしいまでの孤独を味あわされたことだろう。降旗され、きれいに畳まれた村旗を受け取った一瞬、もしかしたら、自分はとんでもない選択をしてしまったのではないか、といった恐怖を覚えたかもしれない。

村役場の職員が、村長に恭しく村旗を渡す時、小刻みに震えていた無念の手が、全村民の心を表していた。


▼村上世彰氏( 3月28日)

国会議員10名程で、勉強会の講師として1時間、氏の話を聞かせてもらった。“敵対的M&Aへの対応について”と題しての話しは、氏の基本理念を余すことなく披瀝してくれたのだろうと思う。6年前には通産省にいて、官の立場から産業界をリードしていった訳だが、もう時代が違うといって飛び出し、実業の世界に身を置き成功を収めた人だけに、視野の広さを感じられた。

「外国資本では何故いけないのですか」と質問者に逆質問する姿に、一部世間の無理解への苛立ちを募らせている思いを感じたが、「外国資本により日本が大きく不利益を被るような事があれば、立法措置をとれば良いことで、外国資本をいたずらに排除したり、恐れたりするべきでない」といった主張は、的を射ているように思った。


▼ボキッという音( 3月29日)

西武の堤さん、NHKの海老沢さん、読売の渡辺さんといった自信に満ち溢れた人々が、次々と失脚していく中で、ソフトバンク系列にある金融会社の最高経営責任者という肩書きを持つ北尾吉孝氏が、ライブドア批判を時に恫喝ともとられかねない表現を敢えて使って、テレビカメラを見据えて行った姿は、強烈な印象を国民に与えたと思う。『フジテレビ社長、ニッポン放送社長の上に堀江氏が乗ろうとしているが、その上に今度は、北尾氏が乗ろうとしているのか。上には上がいるものだ。』といった感じで国民の眼には映ったのだろうか。

エネルギッシュで自信満々の人は、頂点を極めるかもしれないが、穏やかなエピローグを迎えることは難しい、という人生の原理があるように私は思っている。北尾氏とは面識もなく、テレビニュースを見ただけで断定的なことは言えないが、印象としてはちょっと引っ掛かるものを感じた。孫正義氏のような自信家でありながら、どこか何者かに恐れを抱く謙虚な空気を持つ人は真の強さを持つが、北尾氏はどうだろうか。

氏は一方では、児童虐待に心を痛め、福祉施設に私財を費やしているともいう。一見、相矛盾するイメージが同一人物の中に納まっていることに妙を感じるが、私は個人的に魅力あるこの人物のボキッと折れる音は聞きたくない。


▼「ジャパン アズ ナンバーワン」を読んで( 3月30日)

もう26年も前に出された本が復刻版として改めて出版されるというのは、いかに本書が評価されてきたかを表しているといえる。復刻版を世に問うに当たって、著者のエズラ・F・ヴォーゲル氏は、初版出版から今日の日本の状況変化を踏まえて26頁に亘って新たなメッセージを寄稿されたが、これが極めて読み応えのあるものとなっている。「改めて全文を読み返すのはどうも…」という人は、この章を読むだけでも十分満足できることだろう。

私は訳者の広中和歌子さん(参院議員)から贈られて読ませて頂いたものだが、初版で以前読んでいるので斜め読みにした。本書は戦中、書かれたベネディクトの“菊と刀”に匹敵する程の日本論であると思う。広中さんからの話では、日本で著者の住んでいたご近所の主婦からの取材も多かったので、女性的な視点もある筈、と言われた。「しかし、人間的な優しさも感じられますが…」と言ったら、「確かに」と同意してくれた。

議員会館から院内への通路を歩きながら、本書について私から広中さんへ感想を述べ意見交換したが、消化不良だったので、日本のこれから、アメリカのこれからについて、改めてじっくり2人で議論することを約束した。