■2005年1月27日発行号

▼積ん読(つんどく)( 1月21日)

この1年位の間で、人に薦められたり書店に立ち寄って購入した本がかなりある。全く手付かずで読んでいない書籍が、議員会館の私の机の上にかなり高く積まれている。今、何冊か数えてみたら31冊になっていた。自宅の仏間にも同じように堆く積まれているから、読むべき本が50冊はゆうにあるという計算だ。

これからも知的浮気心で、とりあえず買っておきたいという本が出てくるだろうから、かなり気合いを入れないと、この1年で全部読むことは無理だろう。家族からは、買っただけで読んだ気になっていると馬鹿にされているが、中らずといえども遠からずと認めない訳にはいかないだろう。

吉田松陰は獄中に在った時、今の時代とは当然、活字の大きさも違うので単純比較できないが、ひと月で数十冊を読破していたという。少なくとも現在に置き換えて30〜40冊に当たるというから尋常ではない。

私は読んでいくうちに色々な連想をしてしまったりする癖もあって、とにかく遅読(造語)である。生き方も実はゆっくりしているのだが、『そうではいけない』と自分を奮い立たせるように仕向けているうちに、人に「せっかち」と言われるようになってしまった。生来が怠け者なので、そう言われると少し嬉しくなってしまうので、“せっかち”は私にとっては褒め言葉となっている。


▼来賓代表の挨拶( 1月24日)

党県連主催の“新春の集い”が開かれた。国会議員の数が増えるにつれて、年々、来賓の参加者も増加してきた。今年は例年にない程の数で、総参加者は350人位となった。

首長選で推薦している市町村長の皆さんの参加も多かった。知事とさいたま市長は別枠でご挨拶頂いたが、他の首長を代表しての挨拶をどなたにして頂くか、難しい選択を事務局から私に求められた。こうした場合、大抵は人口規模の大きいところか、当選回数の多い方、あるいは市政の古い順、といった基準に従っているが、今回はこの3つの要素で見ると1人の方を絞り込むのが困難だった。

そこで私としては、異例ではあったが、人口1,000名余の大滝村の口民弥村長にご挨拶をお願いすることとした。大滝村は本年4月に秩父市と合併することが決まっており、恐らくわが党へは最後の行事へのご参加となるに違いなく、色々な思いを述べて頂きたかったのだ。山口村長は、荒川源流となるこの村の果たしてきた役割や森林保存などについて触れ、短いスピーチだったが、参加者にそれなりの感銘を与えた名演説をしてくれたと思う。小さな村の大きな村長と評させて頂きたい。

この人選に、27年来の仲間である和光市の野木市長は、冗談で笑いながら「もしかしたら個人的な思い入れもあったんじゃないの」と私に囁いた。実は妻が大滝村の出身で、私も年に数度、墓参などで訪ねている。心のどこかで村への感謝の思いとつながっていたのかもしれない。


▼新駅と私〜上越新幹線本庄早稲田駅開業記念誌への寄稿より〜
  ( 1月25日)

埼玉県のもう1つの北の拠点である本庄に、この度、上越新幹線本庄早稲田駅がつくられたことは、県の発展にとっても大きな慶事であると思う。

どんな立派な施設を造っても、それだけでは地域の発展の決定打には成り得ないのは明白である。人がトータルでの魅力を感じられなければ、定住にまで至ることはない。多くの人々が集まり、暮らすに至って初めて、“発展”の2文字が妥当するのではないか。本庄早稲田駅の開業は、その絶対的条件の1つを満たしたことになる。既に成熟した都市部では人が住まず、昼間人口だけで施設の誘致があれば地域の発展は可能だが、地方の発展途上の街には鉄道駅の開設は大きな弾みとなる。

私が生まれたのは、東京の豊島区高田南町一丁目というところだが、ここは最寄りの国鉄駅は山手線の高田馬場であり、距離にすると2〜3kmの遠きにある。だから都電の早稲田駅が数百mのところにあったので、「住まいはどこですか」と聞かれると、地域の人々は誰しもが「早稲田」と答えていた。「WASEDA」エリアは、埼玉にある工場が“東京工場”と命名されているように、正規の町名を越えて広く近隣の町の人々に用いられていた。幼い頃、私は、早稲田以外の大学名を知らなかった時期があった程で、地元の人々は“WASEDA”に染まりきっていた。

郷愁とともに、本庄早稲田駅の開業を心からお祝い申し上げます。


▼法律づくり( 1月26日)

国会の最も大きな、あるいは多くの役割は、法律をつくることにあるだろう。その数は1,800を超えている。医師や弁護士の数は、社会にそのニーズがあれば多いほど良いのだろうが、満たされているなら少ないに越したことはない。法律も同様である。社会が複雑になり、人々の心が荒廃し、不正がはびこる程、それに対応する新たな立法措置の必要が生じてくる。私の所属する総務委員会でも今、オレオレ詐欺への対応措置として議員立法で法案づくりが行われ、その審議が今国会で行われる。

「有能な官僚に比べ、政治家は勉強不足だし、能力はエリート官僚より下」というのは一昔前までのことで、今のわが党国会議員の知的レベルはかなり高いと言えるだろう。私のようながさつな者もいるので玉石混淆の面もないではないが、法案づくりに必要な知的能力は、党として充分に備わっている。しかし、多発する犯罪や凶悪な事件をテレビ報道等で見る度に、今、喫緊に問題なのは、社会の激変に対応する法的な措置などではなく、その奥にある根源的な問題にこそ我々政治家は眼を向け、メスを入れることではないか。

それは、“教育”に全て収斂されていくことになるだろう。欧米の合理主義が人類に物質的富をもたらしてくれたが、今その歪みが世界的規模で起きているのだという文明史的な捉え方をした上で、改めて日本の教育を考えるべきと私は思う。わが国は2,000年の歴史の中で、独特の日本文化を創り上げているが、朝鮮や中国の文明文化を素直に学び、採り入れてきた。同じく4,000年あるいはそれ以上の歴史を持つエジプトやシリア、中東の国々からも学ぶべき多くのものがあるだろう。古代人の知恵は一地域のものではなく、人類共有の財産であり、欧米の人々も含め、素直に謙虚に先人の叡智に学んでいくべきでないのか。

政治家は国益を離れて在ることはできない。しかし又、人類や地球感覚無しで在るべきではない。タブーがいかに少ないかが自由社会のバロメーターだと思うが、法律などつくらずとも健全な社会が維持されるに越したことはない。法律の少なきをもって、善意なる社会と必ずしも言い得ないが、本来はそう在るべきものと思う。


▼MDC(ミユキ・ダンスカンパニー)20周年記念誌への寄稿より
                         ( 1月27日)

20周年を迎えられたことは、多くの方々の支えがあって初めて成し遂げられたことであり、深く感謝申し上げます。私が後援会長となってからは未だ10年に足りませんが、先人のご協力、ご努力に心より敬意を表したいと存じます。

そして何よりも、美幸先生の意欲、技術、体力が有ったればこそのことですが、『踊り大好き』の心が、全ての原動力だったのだろうと思います。毎年のクリスマスパーティーでの熱気も凄いものですが、やはり舞台で爆発するあのエネルギーは感動ものです。

感動のある人生こそ生き甲斐というものです。人生に偶然などというものは何一つ無く、美幸先生はきっと踊るために生まれてこられたのだと思います。そして、踊りの灯を多くの人々に点す役割も担われていますが、この先、どれ程の人々に点灯されるのか楽しみです。

変化し、向上する踊りが今日の舞台で披露されますが、いくつもの感動を持ち帰って頂ければ、これ以上の幸はありません。音、光、熱の中に次から次へと繰り広げられる肉体の躍動に酔って頂きたいと思いますし、子どもさんやお孫さんの緊張した表情に拍手を送って、心持ちを和らげても頂きたいと思います。

それでは、じっくり舞台をお楽しみ下さい。