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■2004年12月22日発行号
▼お見舞い(12月17日)
職業柄、病気お見舞いや葬儀への参列が多いが、身近だった人の死は一層、淋しい。若く活力が満ち溢れる青年の結婚披露宴は眩く、その輝きに圧倒されるような気分になる事もあるが、人生を去って逝った友・知人を送る時の言いようのない圧迫感は苦しい。人生は輝きばかりではなく、四苦八苦は避けようもなく、全て受け入れての一生なのだとは解っているつもりでも、無病息災を願わずにはいられない。今、市内全域を私の政治活動への理解を求めて、数年ぶりに歩いているが、家を新築された方々と、年配者の物故、怪我や病で倒れ傷害を引きずっておられる方々の多さに衝撃を受けている。
病気見舞いというのは微妙で、家族や容態を知る身近な方に相談してからでないと、なかなか伺えるものではない。病気の程度、回復の見込みによって、患者さんの気持ちは変わってくるものだからだ。治癒の可能性が少なく、憔悴しきっている状態では、元気な他人には会いたくないだろう。死の床にあって、家族以外でこの人にだけは会っておきたいという人は、私にも数人はいるが、大概の人はどうなのだろうか。やはり家族だけだろうか。それとも…。
▼福岡での党大会(12月20日)
衆議院補選に狙いを定めて、福岡での開催となった訳だが、費用や交通の便、選挙で敗れた時のダメージの大きさを考えると、本当に良かったのかと疑問に思えた。しかし今朝、九州大学の門前で菅直人前代表等と街頭活動をしてみて、少し気分が変わった。『まあ、これで良いんじゃないの』といった感じになってきた。理屈よりも身体を使うことでモヤモヤしたものを私自身、消化できたのかもしれない。
私は政治活動で裏方をやることが多かったので、ついついお金のことを考えてしまう癖がある。ホテル代だけでも本部負担は少なく見積もっても1千万位は掛かっているだろう。その金を福岡県連に落としてやった方が、選挙は戦い易いのではないか等々、思い巡らすのは止そうと今、自分に言い聞かせている。
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数年ぶりの福岡の夜を、屋台のラーメンを食べて過ごそうと思ったが、日曜日で出店も少ないのか見つからず、早い時間にホテルの自室に戻って、NHK海老沢会長が出演した「NHKに言いたい」という特集番組を視た。2時間余の時間だから種々の問題があぶり出されていたように思う。特に視聴者からの率直な声が紹介されていたのは良かったのではないか。
党の早朝勉強会でNHKの役員を呼んで、NHK決算のヒヤリングを過半、行ったことがあったが、個々の役員はどこか質疑への対応も自信無げで、伝えられる“海老沢(会長)独裁体制”を見るような思いがした。
どこの国でも、どこの社会でも、どんな時代でも、必ずしも良くはないと思いながらも人々は独裁を求める時がある。思い切った変革や速効性を期待する熱が頂点に達した時がその時である。そして、独裁者はその期待に見事に応えてくれる。ここまでは、“めでたしめでたし”だろう。しかし、ほとんどの権力者は求められて課題を解決した後も、長くその位置に留まりたがるもので、ここから独裁の弊害が少しずつ重畳されていく。それは権力者の奢りが極まり、組織が硬直し、行き詰まるまで誰も止められない程の勢いを持つものでもある。そして、やがて独裁体制が限界的に達した時、崩壊につながりかねない程、組織は疲弊している。
数々の大企業の独裁と顛末を見て私は、非効率の欠陥はあるが、やはり、ある程度、手間暇かけた民主的組織運営の方に、独裁よりも軍配が上がるように思う。組織の上に立つ時、権力者は常に独裁の誘惑に駆られるものだが、ジッと我慢だと私は思う。
▼大臣への陳情(12月21日)
医療に関する陳情が地元から出て、その対応をどうするか考えた末に、大臣の顔が浮かび、思い切って電話してみた。電話口からは、いつもの円みを帯びた優しい語り口の尾辻厚生労働大臣の声が聞こえた。用件を簡単に話すと、すぐに段取りをしてくれ、面談の時間をとってくれた。
事の成否は別として、党派を超えて人間関係の中で協力してもらえたことは嬉しかった。私の所属委員会の大臣だと、何か借りを作るようで、とても陳情事を持ち込む気にはなれないが、所属外であり、尾辻大臣のお人柄もあり、甘えさせてもらった。以前、2度メルマガに書いているが、尾辻さんとは予算委員会の理事としてご一緒させてもらったり、モンゴルへの視察で1週間、行動を共にした仲である。
一般の国民には、やはり直接、大臣に会う機会は無いだろうから、地元の方々も最初は、緊張すると言っていたが、話し出したら皆さん饒舌になっていった。傍らで見ていてふと、政権を取れば、いつだって遠慮無くこういう機会は作れるのだろうな、といった思いを私は抱いていた。
▼理想の死に方(12月22日)
文藝春秋1月号に、各界著名人58名の「理想の死に方」が掲載されていた。知人の一文は個人的な興味を持って読んだが、ここでは脇に置かせてもらうとして、それ以外の人の文章では、角川春樹氏の死への諦念が私には心地良かった。どこの数行をとっても換骨奪胎の死生観でなく、氏独自が到達した本物の心境のように思える。
私自身の“理想の死に方”は、もう家族に数年前から語っている。死の恐怖、痛み、気だるさ、生への執着を避ける為、3ヶ月から半年ほど呆けて、子供達に思い切り得心いくまで親孝行をさせてやってから死に至る、というものだ。1人娘の史子と長男の恋人は、共に1m70cmの身長で、膂力もありそうで安心していたのだが、長男の方はもうその恋人とは別れているので、これはご破算の話となった。嫁はともかく娘にだけは、何度も同じ話をしているので、理解し了承してくれているものと思う。
私の死生観は、“霊魂は不滅”という事に尽きると思う。幼年期にはまだ前世の記憶が少し残っていて、自分が生まれる以前の土地の風景を語ったりして、母親から少し不気味がられていたような事があった。そして、小学生の時にはトロロ昆布が喉に引っ掛かり意識が遠のき、あの世に行きかけた事があった。その時、死の恐怖は全くなく、安らいだ世界に私はいて、自分が望めば、生も死も可能だった。私は平安で自然の中に透け入るような死の世界に留まりたかったが、母親に悪い気がして、生を選択することを決意した。その瞬時、私は意識を取り戻していた。これは臨死体験といえるものかどうか判らないが、あの世の入口を見たような気が今でもしている。
生々しい体験としては、当時、言葉として聞いたことはなかったが、いわば幽対離脱の経験が2〜3度ある。20歳前後の頃だ。朝、意識は完全に醒めているのだが、魂が離れてしまっていて天井から私は自分を見つめている。自分が願えば、その時どこへでも行くことができたのだが、小心者故、一刻も早く私は自分の身体に戻ることだけを考えていた。あの時、望めば宇宙のどこへでも瞬時のうちに行けたような気がする。
これらの経験等を通して、霊魂は不滅と信じるのだが、こうした死生観で実社会の中に在ると、短い時間単位で物事を見なくなるという効能が生まれてくる。人が夢や目標を持ち、何としても時間限定で今世中に成し遂げようとすれば無理もするし、排擠(はいせい)の誘惑にも駆られるだろう。そして、他人の成功への嫉妬で心が張り裂けんばかりの思いから、ついつい言わなくても良い皮肉や厭味で自らの運命を傷つけているケースも枚挙に暇がない。
犬儒主義に走り、佞奸(ねいかん)に陥る者も多いが、人生を少なくとも200〜300年単位で考えてみれば、心に余裕が生まれ、安楽な中で人生を送れるのではないだろうか。『今世ではあいつが成功したな。よしよし、来世は俺の番かな』くらいの気持ちに持っていければ、嫉妬や焦燥から解放されるように思う。
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本年も残すところ、あと僅かになりました。
今年のメールマガジンは、これで終わります。
1年間、ご愛読ありがとうございました。
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