■2005年1月20日発行号

▼車中の疎外感( 1月14日)

所用で群馬県へ行った。隣県なのでハンドルを握って車を利用することが多いが、少し疲れているのでローカル線を乗り継いで会場へ向かった。帰路、夜間となり車中には当然、暖房が入っているのだが、人がまばらなこともあり、どこか寒々しい気がした。

当たり前の事ではあるが、埼玉県内ならどこに居ても私は安らげるが、他県だとどうもそうはいかない。まあ、東京なら生まれ育った所だから、そう違和感はないが、それでももう住んでみたいとは思わない。

群馬県は伊香保などには会議でしょっちゅう行っているが、いつも車なので目的地に直行しているから、道中の妙な緊張は生じない。しかし、電車だと私はどうしても、車中に在って自分自身にヨソ者意識が出てきて、車中にいる地元の人々から自分だけが冷たい眼で見られているような思いになる。一体、この疎外感はどこから来るのだろうか。

列車が埼玉に入った瞬間、酒を呑んで酔いが回ってきたみたいに気が大きくなって、『ここは俺の街だ』みたいな心の変化は、単に私の気の弱さや淋しがりのせいなのかもしれない。若い頃、出版社の営業をやっていて地方へ出張している時から、この感覚はずっと引きずっている。


▼身体の変化( 1月17日)

31才で市議選初出馬以来、自分自身の選挙は7回経験させて頂いている。そして、候補者選びから始まって、後援会づくり、資金づくりまでのプラント選挙を私が担ったのも、それと同じ位の回数を重ねている。側面支援や友情支援といったお手伝い選挙の時には起こらないが、自身が事実上、候補者同様の責任を負うような戦いの時は、選挙結果に拘わらず、必ず身体的変調をきたしている。

若い時は、体重でそれは顕著に表れていた。私は選挙の度に3〜5Kgずつ確実に太っていた。健康を考え、年を重ねてきてからは食事をしっかり制限するようにして、肥満を抑制することには成功した。しかし、最近の身体的変調は、歯と歯茎、頭髪に現れるようになってきたから厄介だ。選挙が終わる度ごとに歯医者さんに通院するようになってきた。そして、頭髪の方は白髪が増し、これはもう人生の年輪と諦めてはいるが、少し淋しい気はしている。


▼良い顔( 1月18日)

森田健作さんが現職の衆議院議員の時、ある選挙の応援で大宮に来られた。私が出迎え、街宣車の上に乗ってもらったその瞬時、集まっていた聴衆の人々に、実に彼らしい爽やかな笑顔を見せてくれた。『あっ、これなんだな』と私は合点した。

選挙応援の要請をしたが、なかなか返事がもらえなかったし、滞在時間も短いとのことで、私が不満で得心していなかったことがあった。その時、付き人兼秘書といった人が、「(短い時間でも)大丈夫ですよ。良い笑顔をお見せしますから」と私に言った。芸能界を全く知らない私は『何、言ってんだろう』とその時、不思議な感覚で受け止めたのだが、あの一瞬の微笑を見て『あ、このことか』と納得した。

あの笑顔を作るのに、恐らく何百回、何千回と鏡で自分の顔と睨めっこしたことだろう。一瞬の笑顔や良い顔は、一流のセールスマンがそうであるように、どんな状況下でも作れなくてはいけないというのが、芸能人たる絶対条件なのかもしれない。

先日、アダモちゃんこと島崎俊郎氏が選挙の応援演説を行っていた際、聴衆の1人から「アダモちゃ〜ん」と声を掛けられ、右手を耳の後ろに回し「ハ〜イ」と独特の仕草をしていた。あの素早い反応と固定化されているであろう笑顔を作るのに、彼も又、素人では考えられない程の鏡との格闘があったことだろう。


▼格言( 1月19日)

いつの間にか、トイレに日めくりカレンダーのような31日分の格言集が掛けられていた。しっかり毎日めくられている訳でないので、日遅れの格言を読むことが多いが、『なるほど〜』と妙に説得力を持った言葉が私に語りかけてくる。

相田みつをの書のように、単純だがドシッとした風格を持った格言の数々であると思う。今日19日には“やればできる やらねばできない”とあった。


▼おじいちゃんの誕生( 1月20日)

1月19日、ようやく娘に長女が誕生した。予定日が11日だったので、8日間の遅れだった。生まれるまで男女の別が判らなかったが、胎内映像などからてっきり男の児かと思い込んでいた。私の時は、長男と長女とも誕生したばかりの顔は、まるでお猿さんそっくりで、お世辞にも可愛い顔立ちとは言えなかったが、今度の孫の顔は、赤児としては今のところ中の下から上の間くらいで、そこそこだと思う。

以前にも書いているが、私は10代の頃から若さが素晴らしいなどと考えてこなかったので、老いることの憧れも心のどこかに持ち続けていた。だから、孫にはしっかりと「おじいちゃん」と呼ばせようと思う。

孫の誕生まではあっという間だった。娘と息子に、結婚しようと思う相手とは半年から1年くらい同棲しなくてはいけない、と言い聞かせてきたが、その時2人は目を輝かせて、「本当に良いの」と聞いてきた。私は「いや義務だ」と答えたのだが、2人ともこういう事では行動力があって逞しかった。