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■2005年1月6日発行号
明けましておめでとうございます。
本年もご愛読の程、よろしくお願い申し上げます。
▼論争の裏(12月28日)
テレビタックルを見ていたら、ハマコーさんと西村眞悟代議士が激しくぶつかっている場面だった。ハマコーさんは、日本は憲法9条があるから戦争ができないと主張し、西村氏は、自衛戦争ならできると応酬した。ハマコーさんの9条解釈は、共産・社民と同じ見解であり、今は少数派だ。しかし、多分ハマコーさんは「しまった」と思ったのではないか。かつての自社55年体制の不毛な防衛論議を揶揄する為に、敢えて「戦争はできない」と口を滑らせたに過ぎなかったのだろう。そこを間髪入れずに西村氏に突かれてしまったので、今更、前言を取り消せなくなった、というのが本音ではないだろうか。
番組では、以前、放映されたものの中で出演者とハマコーさんの激論というか、ぶつかり合いをまとめて流していたが、ハマコーさんの喧嘩の仕方は代議士時代と全く変わっていないと思った。事の本質を見抜く能力が極めて優れている反面、論理展開に行き詰まるとキレ易い。そして、相手の弱点を躊躇うことなく思い切り叩いてくる。例えそれが身体的なハンディ、あるいは特質であっても容赦しない。時にはハラハラする差別用語さえ使ったりする。しかし、ねちねちせず気性がカラッとしているので許されるのかもしれない。あるいは怖さがあるのだろうか。
ハマコーさんのもう1つの武器は、永田町では広く知れ亘っている議員個人のスキャンダルを実に効果的に暴露する、という手法である。野次一発で議員辞職に追い込まれた人もいるという。多分20年以上も前のことになるかもしれないが、テレビの討論番組で、ある野党の論客と議論している最中、マスコミは流していなかったが、その議員の永田町では結構知られていたスキャンダルがあって、その事をハマコーさんがほんの少し触れただけで、相手を黙らせてしまったことがあった。視聴者には全く解らなかっただろうが、私にはすぐにピンときた。
翻って、西村眞悟氏は歯に衣着せずにズバッと発言する政治家だが、その身辺は実にきれいな人物だと氏の側近だった人から聞いたことがある。清貧に徹している。ハマコーさんにとって氏のようなタイプの政治家は苦手かもしれない。
▼農家のクリスマス・イブ(12月30日)
年末には今迄、訪問したことのなかった地域の農家を、かなり訪ねさせてもらった。12月24日のクリスマスイブの日も何軒ものお宅に伺ったが、クリスマスを祝っているような風情はほとんど感じられなかった。イエス・キリストの生誕を祝う行事なのだが、日本には戦後、進駐軍がクリスマスを普及させたと言われているが、日本人は宗教色を薄め、祭り事としてクリスマスを受け入れるようになった。
私は東京生まれで東京育ちだが、子供の頃はクリスチャンの医師や看護婦さんによって設立・運営されていた早稲田診療所という所が、確か新宿区になるのだろうか、面影橋という今でも残っている都電の駅そばにあって、毎年のようにここでクリスマスイブの催しに参加させてもらっていた。医師がサンタになって私たち子供にオモチャやキャラメルなどを配ってくれていた。私が5〜6才の頃、脱腸の診断を受けたのもこの診療所であった。本当に幼い頃のことであるが、今でも親切だった看護婦さんの顔ははっきり憶えているし、優しい痩せぎすの医師・田辺先生の顔もしっかり記憶に留まっている。あの診療所には他の医院や病院と明らかに違った暖かく安らげる空気が流れていた。
時代が流れ、幼年から少年へと成長するにつれ、私自身が健康児となり、早稲田診療所から離れると、私にとってクリスマスはサンタの贈り物とケーキにありつける日にしかなっていなかった。それでも、毎年、何らかの形を親は調えてくれていたように記憶している。都会の子供達は皆、同様だっただろう。25才でこの川越に越してきてからも、この慣習の中に私はずっと浸っていたような気がする。
話は戻る。私は訪問の際、家の中に入り込んだ訳ではないので確かな事を知らず、あるいは地元川越の農家のイブも都会と同様だったのかもしれない。しかし、それから5〜6日経った29日、30日になると、ほとんどの農家で餅つきが始まり、親類縁者がどこもたくさん集まってきて、賑やかに楽しく談笑する姿を見させてもらった。やっぱりこれが日本の風景なんだと、妙に嬉しかった。
▼近未来からの声(12月31日)
年末の降雪は23年ぶりだという。その前は何年ぶりであったか知らないが、23年前のことはおぼろに記憶に残っている。いつでも、辺り一面、斑(はだれ)の雪景色は、不浄なる全てを清めてくれているように思える。新雪に被われた未踏の土堤を散歩しようと勇んで犬と出掛けたのだが、先人が既に犬の足跡とともに白化粧を侵していて、出鼻をくじかれてしまった。しかし、その足跡は20〜30分も前に刻まれた跡のようで、雪はその形をさえ消す程の勢いで更に更に舞い降りていた。
子供用のパーソナルなソリが市販されているらしく、川辺に住む近所の人がその上に子供を乗せて、土堤の上から河川敷への斜面を利用して一気に子どもを滑り落としていた。河川敷は広く、流水までは数10Mもあり、子どもの安全は完全に保障されている。幼子の哄笑は元旦まで未だ未だ10時間は残していたが、私にはもう新しい年を告げる近未来からの声に聞こえた。
▼今年の抱負( 1月 1日)
自分の目標を公言して自身を追いつめることで、達成力を高めるタイプがあるが、私の場合は逆だ。心密かに目標を定めないと集中力を欠きがちなのだ。今年の私の目標は、知的なものと、体力的なものと、精神的なものがあるが、家族も含め、あまり具体的には明らかにしないつもりだ。
しかし大雑把には、知的なものでは、県連党務から少し離れ、国会で政策を重視していきたい、といったことが有る。体力的なものでは、水泳を○○○M泳ぐ、といった類のことである。そして、精神的なものでは、自分の人格をここまで何とか高めたい、というものがあるが、これは今年の目標というより、今年も目標とするもので、この先、もしかして終生、同じ目標とし続けるかもしれず、少し淋しいかもしれない。
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