■2004年8月19日発行号

▼平和な光景(8月13日)

心の中には、いつも重苦しい憂鬱が有って、決して晴れることはない。政治運動に飛び込んでいった1970年頃の不安は、ソ連などの共産主義勢力に日本が侵略され革命が起きたりすれば、多分、自分は殺されるのだろうな、といった今からみれば杞憂を心の隅にずっと持ち続けていた。

今の私の憂鬱の原因は、わが国が国家としての誇りを保ちながら、どうアメリカと、そしてやっかいな中国、朝鮮半島との関係を築いていったら良いのか、という課題にある。加えて、現下で世界の政治指導者中、中国の胡錦涛に次いで私が注目しているロシア・プーチン大統領の対日戦略、アジア外交の動向が気になるのだ。

一人の人間にとって個人的な悩み、苦悩は錐で突かれるような痛みを伴うのだが、一挙に全面解決することも有り得る。しかし、公の苦悩というものは、不安、焦燥、憂鬱が全身を被っていて決して晴れることはない。

お盆の真っ只中にある今、駅のホームで孫の写真を撮りまくるおじいちゃんの幸福そうな笑顔に心が和んだ。


▼愛車の破損( 8月14日)

ファミレスの駐車場で車を当て逃げされた。フロントのバンバーがそっくりもぎり取られてしまった。隣りに停まっていた車が出る時、後部のバンバーが接触し無理にそのままハンドルを切ったのだろう。
駐車場にたまたま居合わせた女性2人が、大きな音で気付き、車を追いかけてくれたが、車のナンバーは残念ながら確認できなかったという。態々、逃亡車を追いかけてくれ、知らせてくれた2人の女性は20代の人で、看護師をしている方だったが、他人の不幸な出来事に関心を抱き、行動に移してくれた事を心から有難いと思った。

逃げ去ったドライバーは恐らくバックミラーを見てもいただろうから、後を走って追いかけてくる2人の女性の姿が視野に入り、車のナンバーを見られたのではないか、捕まらないだろうかなどと、今頃はドキドキした思いでいるのではないか。きっと自らの車も破損しているから、足がつくので近所では修理できないだろうし、逃亡者の心の中は散々だろう。


▼終戦記念日に思う( 8月15日)

310万人の日本人が大戦により命を落とした。米軍による無差別爆撃も受けたし、どう正当化しようにも説明がつきはしない広島、長崎への原爆の連続投下の惨劇も味あわされた。日ソ不可侵条約も一方的に破られ、戦後70万人がシベリアに抑留され、7万人が極寒の地に生命を奪われた。

私たち日本人は決してこうした事実を忘れるべきではなく、しっかり記憶の中に残しておかなくてはならない。しかし、一部の人々を除いては、占領政策が奏功した事もあって、アメリカやロシアを心の底から憎み続けている日本人は少ない。恨みや憎しみは相手に打撃を与えるのも確かだが、又、それが自分の身をも焦がすのも一方の真実なのだ。個人に於いても、社会に於いても、国家に於いてもこれは普遍的な原理であると私は思う。だから日本人の平均的な戦勝国への感情は概ね、妥当なものだと思う。

一方、中国や朝鮮半島の人々へ多大な苦痛をかけた事も事実で、私たちは大いなる反省もしなければならない。だからこそ、長年に亘り、無償援助をはじめとする数々の支援を両国になし続けてきた。率直に言わせてもらえば、両国の今日の発展は、日本の支援なくしては有り得なかった。この事を私たちは秘かに誇らしく思おうではないか。謙虚さを忘れずに。

中国や、やがて統一されるであろう朝鮮半島の統一国家が更なる発展を目指すのであれば、政治指導者の反日教育や、時に国民の不満を外向きにさせる為の反日的言動の抑制や撤廃は、避けて通れないだろう。韓国・ノムヒョン大統領の光復節での演説は私には遺憾である。演説で「過去の歴史で争点となった事案を包括的に扱う」とし、日本の植民地支配への協力者を、国会に特別委員会を設置して糾弾するのだという。

ワールドカップや“冬のソナタ”など文化面での交流がかつてない程、進んできて、せっかくの友好ムードに水を差すような動きを今、何故とろうとするのか、ノムヒョン大統領の真意が理解できない。日本の国会でのあの友好的演説は、一体、何だったのだろうか。


▼海の力( 8月16日)

キラキラと黄色に光る海、水平線に浮かぶ船、絶えることのない潮騒、海の風景は変わることなく私たちに自然の美しさとスケールを示し続けてくれている。知人から海水浴を勧められ、ありきたりの海水浴場に行き、少し沖へ出て、海面にわが身を仰向けに浮かべてみた。
思い切り手足を広げ大の字となって、少しまだらの雲が散りばめられた青空を見続けていた。浜からの子ども達のはしゃぐ声はもう聞こえないところに私は浮かんでいる。静寂、光、波、雲、過剰すぎる潮の香、私の辺りに人は無く、唯々、私は海に包まれていた。死の恐怖から解放され、完全に水への恐れを拭い去れば、人は自然に海の中に果てる事を望むような気がした。

夕刻になり少しずつ陽が沈み、夕陽に海が紅く輝き始めた。やがて海に夕闇が被り、空と水平線の境を示すかのように船の灯が不等間隔に瞬いている。
私たちの星・地球に海が生まれてから、決して片時も休むことなく続けられてきた、疲れを知らない無数の海の営みは、人々の苦悩の全てを受け入れて尚、有り余る途轍もない慈愛を持つ母のように私には思えた。


▼スポーツでの対イタリア戦( 8月17日)

夏は秩父の妻の田舎で数日を過ごすことが多い。山の冷気が気持ちよく、ここで親戚が思い思いに集まってきて好き勝手に過ごし、帰っていく。普段は空き家なので、最初に到着した人が布団を干したり掃除したりするが、誰もそんなことを厭うことはない。時に1家族だけだったり、4〜5家族だったりすることもある。

私は生来、怠け者だから、昼間から酒を呑んで庭から山を見上げボヤッ〜としている事が多いが、他の人達は川遊びを必ずと言って良いほど楽しんでいる。荒川の源流地である大滝村の水は冷たく、とても長い時間、泳げるものではない。この数年、全く川泳ぎはしていないが、それでも子ども達が幼かった10年程前は、情操教育という思いもあって、頑張って水の中に入ってはいた。

田舎に置いてあるテレビは、新たにアンテナを張っていないので、NHKしか映らない。従って、ほとんどオリンピック中継を見る他なかったが、日本人選手の活躍には皆一様に拍手したり、胸躍らせていた。日本人向けの番組編成だから、当然、日本選手の活躍を中心とした放送である。しかし、遊びに一緒に来た、年下で気の合う義兄はイタリア人なので、さぞかしイタリアの活躍ぶりが気になっていたに違いない。そこに野球では日本が大勝した対イタリア戦があった。

私は仕事で翌日が早いので、泊まらずに帰ったのだが、とてもこの試合を一緒には見たくなかった。反応のしようがないのだ。それこそ両チームとも頑張れ!という態度しかとれなかっただろう。義兄のいない場所でも、どうもスポーツの国際試合で日本対イタリアの戦いというのは楽しめなくなってきている。