■2004年9月9日発行号

▼輪島さんとの話( 8月28日)

昨年同様、今年も盆踊り会場の来賓席で元横綱 輪島さん(以下 横綱)と隣り合わせになり、雑談する機会があった。横綱は昭和22年生まれで私とは同学年になる。

現役時代、誰と仲が良かったのか尋ねたら、貴ノ花(二子山親方)と北の湖(現・理事長)だったという。今でも強いつながりを持っているような印象だった。先般も横綱審議会だったかに、非公式に顔を出されているらしい。一時、相撲界からは全く離れていたかのようだったが、「これからは、どんどん表へ出て行きますよ。相撲界の発展の為には協力するつもりです」と意気軒昂だった。星野仙一前中日監督、堀内現巨人監督など同世代の野球人や芸能人の人達の名前も出て、交友の広さを物語っていた。横綱は人に好かれるようなタイプの感じだ。

又、ライフワークのアメフトについても、昨年に続いて改めて聞いてみたが、アメリカとの比較についての質問に対し、追い付くのに100年掛かる、とまで言われた。今回のオリンピックでも指摘されたが、やはり企業のバックアップがないと、どうにもならないのだそうだ。


■モンゴル公式訪問<1>( 9月 8日)

日本の国会に当たる国家大会議の招待を受けて、モンゴルを公式訪問した。9月1日に出発し6日に帰国したが、時差が全くなかったので、帰国後の体調もすこぶる良好である。自民党、民主党から各3名、公明党から1名というメンバーだったが、皆、明るく穏やかな人達で、気持ちよく視察できたような気がする。

国会予算の1/10がODAによって支えられ、日本がその中でもアメリカを凌ぎ最も多額な援助国という事もあって、日本への感謝と期待には極めて大きいものがあった。海外に出て初めて真の日本が解ると多くの人々が語るが、欧米やアジア、アフリカ、オセアニアで、国により若干異なる見方もされるが、概ね日本への評価は高い。バガバンディ大統領は外交辞令もあるだろうが、「わが国にとって日本が1番大切な国」と言われた。各界のリーダーともお会いしたが、日本の支援の在り方に批判的声を聞くことはなかった。

以下、現地でのメモを基に、2週に分けてモンゴル視察のレポートを掲載させて頂くこととします。


▼ 9月 1日

空港から首都ウランバートルの中心街にあるホテル・ウランバートルにPM7時30分に到着したが、暮れなずむ、というより陽はまだ高く昇っている。部屋に入り洗面所を使ったが、照明をONにしても20秒もするとすぐに切れ、再び電源の挿入口に差し込んだマスターカードを強く押して再点灯させるが、何度繰り返しても状況は変わらない。ノブを軽く回して洗面所を出た時、もう既にノブが外れてしまっているが、この先まだまだこの部屋のトラブルは覚悟しなければならないだろう。

空港からホテルまでの20分程の道中、車窓からずっと外を眺めていたが、民族衣裳めいたものを見ることはなかった。顔立ちでは日本人かモンゴル人かの判断は難しい。空港やホテルで大使館員の出迎えを受けたが、モンゴル政府の関係者なのか、日本大使館員なのかは全く判別できない。噫!我等アジア人。


▼ 9月 2日

朝食をとりながら、在モンゴル日本大使のブリーフィングを受けた後、日本人抑留者慰霊碑へ行き、派遣団全員で献花し黙祷を捧げた。小泉総理が厚相時代にここを訪れているが、礼拝堂には、その時の写真も掲げてあった。戦後、モンゴル全土での13,000〜14,000人の日本人抑留者のうち、僅か2年で1,700名が物故していて、劣悪な環境下での強制労働に1割を超える人々の犠牲を考えてみると、その過酷さはいかばかりだったろうか。

慰霊碑は小高い丘の上にあったが、何事も無かったかのようになだらかな山の斜面には、木造で簡易に建てられたログハウスのような家々が林立していた。未舗装で凹みだらけの道路には、放し飼いにされている大型の犬たちが、時を持て余す様子で気だるそうに歩いていた。

午後になると、矢継ぎ早に国家大会議議長、それに3名の各党党首との会談がセットされていた。4名との会談で、異口同音に話されていたのは、日本のODA支援に対する感謝の言葉と、相撲のことであった。モンゴル相撲は国技だが、日本で朝青龍が横綱になっていることもあり、今では日本の大相撲の方に人気が集まっているという。年6場所の大相撲は生中継でモンゴルに送られ、国民を夢中にさせている、という話は嬉しかった。

エンフサイハン民主党党首(外交安保委員長)との会談で、私は石油資源の可能性を質してみた。すると、東部地域ではアメリカの石油会社が30工区に分けて既に調査しているが、最近、中国も試掘調査に入っているとのこと。そこで私は、モンゴルがロシア、中国と国境を長く接しているので、「試掘は両国のことだから、できるだけ内へ入った所が良いですよ。油田発見となれば、何やかんやと領土問題で新たな主張をしてくるかも知れませんよ」と言ってやったら、「今、出ている所は中国国境なんですよ」と笑っていた。

又、オヨーン国民勇気共和党党首との会談では、女史がケンブリッジ大学で博士号も取っている地質学の専門家でもあることから、モンゴルでの今後の農業の可能性を聞いてみた。この国の土壌が農業を受け入れられる地質なのか否か。そして、作家の司馬遼太郎氏がモンゴルに造詣が深く、かつて遊牧民は農業への関心と評価が低いと書いていた気がしたが、そこで国民意識として農業への社会的認知がどうなっているのか気になり質問した。ロシア人との混血であるとも聞くブルーの瞳を持つ美しい才媛の口から「灌漑で農業は可能です。そして国民も牧畜や製造業などと均衡のとれた社会の必要性を感じ取っているので、社会的にも大丈夫です」との答えが返ってきた。

夜、首相公邸も同敷地内にある郊外の迎賓館に、モンゴル議員側から夕食の招待を受け、オヨーン副議長とは再びお会いした。日本にも留学経験のある日本語のできる議員に小声で、「オヨーン氏は雅子皇太子妃に似ているのでは」と話したら、彼はそのまま本人に通訳してしまった。誰が誰に似ているとは決して言ってはいけないと、日頃、女房に注意を受けていたので、『また失敗しちゃったかな』と思ったら、女史には極めて好意的に受け取ってもらえたので胸をなでおろした。

宴会は長方形のテーブルを囲んでのもので、私は主に右隣の同僚議員と話をする時間が長くなった。左隣にはモンゴルの議員が座ったが日本語は話せず、辺りには通訳もいなかったので、なかなか空気は和まなかった。「英語は話せますか」と聞いてみたら、「チョットだけ」とのこと。「お互い似たようなものですね」と言ってブロークンで会話してみた。TODAYをツダイと発音されたりして聞き取れず、「パードゥン」を連発してしまったが、お互いとにかく最後まで頑張って話し合ったという気はする。


▼ 9月 3日

今日は、今回の視察でハイライトの1日となった筈だ。首相、大統領との会談があったからだ。エルベグドルジ首相は41才と若く、穏やかな風貌の中でも瞳は意欲に満ち、青年のような輝きがあった。私からは首相に2つの質問を試みた。1つは、「日本には更にこれから、どのような事を期待しますか」というものであった。実は聞いてしまった直後に、『少し美味し過ぎる質問をしてしまったかな』という思いが浮かんだのだが、やはり首相からの答えは「たくさんあります」と冒頭に前置きして、いくつもの要望を長く語られることとなった。日本への期待が一気に溢れるように口からこぼれた。

2つ目の質問は、多分首相は予想だにしていなかったと思うが、「首相は41才と若く、同僚や政敵から妬みを受けていないのだろうか。そして、それに対して自分の心持ちをどのように収めているのか」というものであった。つい先頃、行われた選挙で人民革命党と民主党連合の議席が全くの5分となり、大連立政権を組んだこともあって、「誰とでも敵対しないでやっていきたい」と当たり障りなく、逃げるように首相は答えるに止まったが、会談の席には多数の有力議員もいて、とても本当の真情を吐露できる環境でなかったのかもしれない。

バガバンディ大統領との会談では、大統領に時間がなく、私が質問を発することはできず、団長からの儀礼的な話に終始せざるを得なかったが、間もなくロシアから得られる哲学博士の称号に相応しく、国家の現況を大統領は理知的に把握しているように見えた。同国の大統領は象徴的存在と法的には位置付けられているとの事であったが、全身から発せられるエネルギーは、今にも象徴の枠を弾くほど強いものと私には思えてならなかった。


○モンゴル出張のため、先週号は予告なく休ませて頂きました。今週号は、視察レポート掲載につき、特別編成といたしました。