■2004年8月26日発行号

▼大学生への講演と懇親( 8月20日)

一昨日、埼玉県朝霞市で大学生への小規模の講演を行った。参議院の意義について話すように依頼され40分程、話をし、その後、若干の質疑を受けた。ちょうど私の子供達と同じ世代の学生だったから、ある程度の空気を解っているので気軽だったが、学生の方が少し緊張していたようだ。学生に混じって若手の市議や秘書さんもいたので、彼等からの具体的で詳細な質問もあり、やりとりを聞いていた学生の皆さんも結構、新鮮な感じで問答を聞いてもらえたように思う。

完全会費制で呑み会もあったので、リラックスしたところで、マスコミを通しては絶対に知る事のできない話も敢えてサービス精神を発揮させてもらった。将来、政治家志望の者は、その中で2〜3人だったようだが、彼等を含めこれからの人生に少しでも役に立てる話をしようと努めてみたが、果たしてどうだったろうか。


▼雅子妃の話( 8月23日)

あるパーティーで、渡部恒三前衆院副議長が、皇太子妃雅子様のエピソードを披露された。通産大臣時代の1992年頃、現・米大統領の父親であるジョージ・ブッシュ大統領が来日した時、米自動車会社のビック3の社長を一緒に連れてきて、日本の自動車業界への輸出自主規制だったと思うが、日本に相当理不尽な要求を突き付けてきた。その時、外務省からある女性を通産大臣に付けてくれたという。渡部先生は、初対面の時、若くてきれいな人が私のところに何をしにきたのか、と最初いぶかっていたという。そして、その人が大変な働きをしてくれたお陰でアメリカの自動車問題での不等な要求を押しのけられたと語られた。その人こそが、皇太子妃雅子様だったそうだ。

スピーチを終わり正面テーブル席を立って囲んでおられたので、頃合いを見て静かに渡部先生の所に行き、直接もう少し詳しくお話を聞かせて頂くこととした。私は、雅子様が通訳として付かれたのかと思いその事を質したら、そうではなく、どうもブレーンとしての役割を担われたようであった。当然臨機応変に通訳もされただろうが、外交交渉にも関わり、大臣を強力にサポートされたようで、「あの件は、雅子妃の力が大きかった」と真顔で改めて私に話をされた。北米とはアメリカ・カナダのことであり、二課は経済問題を扱う担当課であるが、外務省の中でも最優秀のキャリアが配されるところだから、雅子妃の能力が極だっていたであろうことは十分推察することができる。

皇太子も雅子様の能力、意欲を皇室外交にもっと活かしたいと思われているだろうし、雅子妃も多分「こんな筈ではなかった」という思いをお持ちなのだろう。旧来型の皇室外交を大きく越えることの是非を国民に問うたならば、恐らく「越えるべし」が大多数を占めるだろうが、その先に何が見えてくるのか、事態がどう展開するかは、難しいところだろう。神秘性が薄れ、国民に開かれた皇室から、親しい皇室に移り、やがて庶民的な皇室に変質していった時、皇室不要論が台頭し、民主主義の名に於いて皇室が否定されかねないという思いは考え過ぎだろうか。

チャーチルは「民主主義が決して最良のものとは思えない。ただ、それに代わる制度が今のところ見つからない」と語っているが、突き詰めて考えれば、皇室は民主主義の内にあるものではなく、外にあるものである。数千年の歴史を積み重ねてきた皇室の存在を、僅か59年の歴史でしかない戦後の“民主主義”が存廃の断を安易に下せるものではないだろう。しかし、絶えず国民の理解と支持を得る為の努力、工夫を怠ることは許されない。閉ざされた皇室との批判があるとすれば、どのように、どこまで開扉すべきなのか、雅子妃の苦悩は、やがていつかは直面しなくてはならなかった、皇室の在り方に於ける国の苦悩でもあったと私は思う。


▼暗算の能力( 8月24日)

20代前半の頃、秘書仲間や政党若手職員など、金の無い者同士で酒を呑みに行くと、キッチリ割り勘で支払うことになっていたが、大抵は私が計算して、一人当たりの金額を提示する役割を担っていた。私は小学生の時に近所のそろばん塾に通っていて、東京商工会議所認定で、2級をとったが、2級からは、暗算のテストが入ってきていて、しっかり訓練してきた。だから、万の単位なら割り算でも暗算が正確にできたから重宝がられた。

ところが、先日駅まで送ってもらう車の中で、女房が銀行に振り込む金額を万の単位でいくつか合算して、と言われやってみたら、足し算で3つを越える辺りから、下2桁が消えてきてしまった。そろばんをやった方ならお解りだと思うが、暗算は頭の中にそろばんを浮かべて、実際に指で弾くイメージでやるものだが、そのそろばんの下2桁がおぼろで、見えなくなってきたのだ。アバウトな計算で良ければ間に合うが、正確さを要求される場合には、もう私の能力は、3桁まででイッパイ・イッパイとなってしまった。居酒屋での酒代は、もうこうなったら最初からの会費制を除けば、おごってもらうか、おごっちゃうしかない。


▼ディープ・ブルーを見て( 8月25日)

テレビでスポット的に紹介をしていたこの映画の映像が美しかったので、是非観に行きたいと思い、六本木ヒルズの映画館へ足を運んだ。小泉総理も同館で観ているから、真似るようで、ちょっと抵抗もあったが、時間の都合上仕方なく同じ所へ行くこととなった。音や音楽に、劇場ならではの迫力があった。そして座席は、リクライニング席でその脇には気の利いた、内側からの照明で美しく浮かび上がった小さなテーブルが備え付けられてあった。サービスで出されたドリンクを飲みながらの鑑賞は、私には贅沢な初体験だった。

映画の内容は、私が予想していた、海の美しい自然を求めるというより、海の中で生き物たちが生命がけで食い合い続ける生存の為の激しさや、むごさを描いたものとなっていた。これでもか、これでもかと大が小を呑み込み、食いちぎる映像は、私には唯残酷なシーンでしかなかった。小泉総理はテレビで「良い映画だった」と語っていたが、何がどう良かったのだろうか。

生き物が生き物を食することによってしか存在できないことの懊悩は、古代インドでも仏教存立以前からの哲学的大テーマであるが、映画の製作者は、何をどう訴えようとしたのか、私には解らない。自然の在るがままの姿を伝えて「あとはご自身でお考えを」ということなのだろうか。あまり後味が良くなかった。


▼オリンピックの選手達( 8月26日)

メダリスト達の栄光までの軌跡を、テレビで紹介する番組を見ていて、思ったことが二つ程あった。一つは、世間的注目度が低いメダリストをあまり追っていないという事で、私にはちょっと不満だった。メダリストになる位の人達なら、その背景には克服してきた多くの困難があった筈で、そこをもっと公平にスポットを当てるべきでないのか。仮にあまり話題性がなく、テレビ的に商品バリューがなくても、極く普通っぽい人がメダルをとったのなら、これを見ていた極く普通の人が励まされる筈ではないか。

私は、いつの間にか選挙のマスコミ報道とダブらせて考え始めているが、派手な人と地味な人は、植物でも顕花植物と隠花植物があるように、持って生まれた性(サガ)はあるのだろう。数で言えば、コケなどの隠花植物の方が圧倒的に多いのだが、植物なら私は間違いなく隠花植物で、こうなったらしっかりと長生きだけはしてやろうと思っている。

二つ目は、メダリストになった人達は、同世代の人達と絶対に同じように暮らしてはいなかっただろうという、当たり前のことを考えていた。友達と旅行に行ったり、呑みに行ったり、繁華街に出て遊んだり、デートをしたりとかできなかったろうと思う。野球ではイチローや松井秀喜も野球漬けの青春だったし、同世代の仲間と同じような楽しみ方はしていない、いや、できなかった。

タレントの明石家さんまさんが「仕事と金と恋愛と健康と家庭、これが皆、上手くいっているのは、恐ろしいもので、普通何かが欠けている。だから、いくつか欠けていて当たり前」という事をテレビで言っていたが、解る気がした。何の犠牲もなしに栄光を手に入れる事なんてできはしない。

人生、夢中になり必死になるべき時があって、その時は棄てるべきものは棄て、背負うべきリスクは背負い、脇目もふらずにその中に身も心も入れ込んでおくべきなんだろう、そんなことを考えていた。数年前、私は社会人入学で埼玉大学に入ったが、ミクロ経済学の教授が、海外留学していた時の経験談を語る中で「人間、一生のうちに2〜3度は、死ぬような思いで勉強しなくてはならない時がある」と言っていたのを、今でも印象強く覚えている。国会質問の準備で2日間、徹夜した程度の経験は何度かあっても、死ぬ程の勉強はした事がない。

イヤという程呑み歩いた経験しかなかった自分には、同世代のあの教授の言葉は本当に強烈だった。死ぬまでに何時かはやってやろうと思う。死ぬ程までの勉強とやらを。