■2004年8月6日発行号

☆所属する委員会と、会派での役職が変わりました。
 新しく加わった仲間の皆さんと共に、頑張っていきます。

  ○委員会 ・総務委員会 理事
       ・政治倫理の確立及び選挙制度に関する
        特別委員会 委員

  ○民主党・新緑風会 ・副幹事長
   

▼「人間回復の経済学」神野 直彦 著を読んで( 8月 1日)

先の参院選で惜敗された紋次郎こと中村敦夫さんに薦められた本である。本会議場で席が隣り合わせだった時、議場でこの本のことを話されていたので、そんなに良い本ですかと聞いたら、「評判になっていて、結構多くの人が読んでいますよ」と言われた。

すぐに書店に注文して購入し、ずっと家の書棚に置いておいたが、財政金融委員会に所属してからは、なるべく早く読もうと決意していた。経済学の本なので、小説を読むような訳にもいかず、少し時間を掛けて読んだが、著者の他人思いの労りが伝わってくる内容となっている。

後先は分からないが、著者は東大の博士課程を修了し同大教授の経歴を持つが、併せて自動車工場で組立工として働き、自動車のセールスマンも経験した履歴をも持つユニークな学者である。小泉流の改革路線というのは聞こえは良いが、情の薄い古典派経済学を竹中金融・経済財政担当大臣はそのベースに敷いているので、そこの所の批判は私にも心地よく読めた。著者の思想傾向は、スウェーデンなどヨーロッパの民主社会主義に於ける、混合経済思想の概念に大きく影響を受けているように思える。

それにしても、私とは思想傾向もかなり違うが、中村敦夫さんはご自身の信念に忠実で、環境問題などで生命懸けの仕事をしていた数少ないホンモノの政治家だったと思う。政界への復活もあり得なくはないが、今、あの方に議席がない事は国家的な損失だろう。


▼募金活動と募金者の心( 8月 2日)

県での集中豪雨による被災地への救援募金活動を行った。私がマイクを握り、小宮山泰子衆議院議員、島田智哉子参議院議員事務所のスタッフと合同での活動となったが、予想以上の反応だった。被災者の皆さんへの思いを語られた方々や、民主党応援の立場からご協力下さった方も多くおられた。募金は32,702円となり、一括して党本部へ納め、被災地へその全額が届けられるが、僅か1時間の活動でこれだけの募金を頂けたことに驚き、感謝の念を強くした。

7月28日の埼玉新聞に、歌手で作詞家の一青 窈(ひととよう)さんが一文を寄せていた。冒頭、赤い羽根募金活動に対する思いを書いていた。『不特定多数の人にお願いする行為は、よっぽど気持ちがこもっていない限り、他者を動かす力にはならない。お金を箱の中に入れることは、そこに酔いしれる自分が僅かでも存在すれば、偽善行為となる。自分の思いが、見ず知らずの「かわいそうな」境遇の人達に受け取ってもらえる瞬間を買っているのではないだろうか。その後のお金の流れや事後の経緯に関し、透明性を追求する募金者はいるだろうか』と記し、問題を提起した。

27才の女性シンガーの細やかな感性は、私に希代の風刺家ラ・ロシュフコーを思い起こさせてくれ、ギクリとさせられた。しかし、彼女に反論する訳ではないが、他者への寄付という行為の意義をもう少し掘り下げて考えてみる必要があると私は思う。どのような思いであるにせよ、先ず、寄付するという行為が自身の心に善意の刻印を押したことになるのであり、その刻印が多ければ多い程、深ければ深い程、やがて本物になっていくのだと私は思う。

キリスト教ではチャリティー、イスラム教ではザカート、仏教では布施というこの行為は、人格の向上には欠かせないものだろう。仏教では布施を3種に分けていて、法施とは人に仏法を説くこと、身施とは勤労奉仕とでも言えるだろう。そして、財施がお金で他者に尽くす行為とされている。

自分の思いや経済環境にふさわしい額を布施すれば良いのだが、時に思い切ってそれなりに多額の寄付をすることで、実は一時的にせよ、心の奥にある強欲な金銭への執着を断つという効用もある。多額がどの位の金額かは、それぞれまちまちだが、通常より多いといった概念でよいと思う。今迄10円玉しか募金箱に入れなかった人が100円玉に、100円玉の人が1000円札に、1000円札の人が1万円札に切り換えた時、どこか吹っ切れた思いを持てるものだ。


▼遅すぎた総理のサミット報告( 8月 3日)

臨時国会は先ず総理の本会議に於けるサミット報告と、それに関する代表質問で幕を開けた。しかし、国民の眼からは「何を今更」という思いではないだろうか。サミットが開かれたのは6月8日から5日間であり、既に参院選を挟んで2ヶ月が過ぎ去ろうとしているのであり、報告は遅きに失したと言える。

先の通常国会はあの時、開会中であったのだから、しっかりと国民の前に、サミットでの論議を詳述すべきであった。さしたる成果を得られなかったからといって、参院選を前に国民の評価を避けようとした事は、一国の総理として恥ずべき事であった。世界経済、イラク、拉致問題などで説明責任を果たし、国会で徹底した論議を尽くした後に、国民の審判を求めるのが筋で、論争を総理自身が避けていたことは誰の眼にも明らかだった。

又、サミットでの拉致問題での成果を報告しておきながら、7月21日に訪韓した際の盧武鉉大統領との会談内容に触れないのは不自然である。外交防衛、拉致の問題でサミット後の情勢分析もしてきた筈だろうに。小泉総理は皮相的な論議は得意だが、本格的な論争から、どうも逃げ回っているように思えてならない。


▼加古川の刺殺事件に思う( 8月 4日)

2家族7人を刺殺した容疑者は、「恨みがあってやった」と言っているという事だが、ここまでの犯行となると単なる恨みのレベルを超えた何かしらの衝動が、彼を狂気に駆り立てていったのだろう。それが何かは解らないが、私には強い関心がある。

人が行う凶悪犯罪の原因というものを突き詰めていくと、私自身に関わりを持たない要因というものを見つける事はできないと私は思っている。生まれ持った粗悪で暴力的因子、劣悪な家庭環境、醜い容姿、それらの諸要素は、自分とは遠いところのものであるにせよ、実は些かでも自分にも孕まれているという自覚が私にはある。だから、被害者への同情と併せて、加害者の心の内の葛藤にもこんな事件の報道の時、秘かに私は関心を広げている。

ただ、一部評論家のように被害者よりも加害者の人権を声高に訴えるような偏頗な主張をするつもりは全くない。社会には極めて暴力的な人々がいて、近隣に不安と恐怖を与え続けているという事例を私も眼の当たりにしている。警察に訴えれば、パトロールを強化してくれたり、本人と話し合いを警察官がすることで、事なきを得ているという場合があるが、それでも住民の不安が解消されない地域社会も多いだろう。

卑近な例では、公営住宅で、どう見ても空き続けている部屋があり、「どうなっているのか」と問われ調べてみたら、管理者が「あの部屋に何人入居させても、直ぐに出ていくんですよ」と言う。不審に思い更に調べてみたら、近隣の部屋に住む人が異常なほど神経質で、ちょっとした物音にも過敏で、クレームを付けてくるのだそうな。「夜中に無言電話を掛け続けられて、皆、参ってしまうんです」とも説明された。

社会と和せず適応できず、迷惑を掛け続ける人々がいて、そうした人々と関わらざるを得ず苦しみ続けている人々が、又一方では無数にいる。アウトローも含めて社会的不適格者群の更生と隔離、剥離の問題は喫緊の政治的課題だと私は思う。


▼政治家とお金( 8月 5日)

国会議員の日常の政治活動や選挙時の活動では、公明党や共産党の人達は党が費用のほとんどを負担してくれているようだ。その他の政党でも、事業家として既に財を成してしている人や、所属する団体、企業が全面的にバックアップしてくれる議員や候補予定者は、お金の心配がないから、個人で政治資金を集める必要がない。しかし、そうした支援のない政治家は、必要不可欠な政治資金を集めなければならない。一切の献金を拒否し、こぢんまりと政治活動をするやり方もあるが、そうなると総体的なエネルギーが弱くなるから、他への影響を及ぼす力が減退してくる。つまり、自分の主張、理念の実現が遠くなってしまう。

自民党の若手議員が正直に政治資金を公表しようと仲間に呼び掛け、数年前にそれを公表したことがあるが、一様に年間1億円を超えていたように記憶している。公設秘書は3人まで公費負担だが、それを越える費用は自身で負担しなければならない。衆院と参院、あるいは選挙区によっても事情が異なるが、仮に私設秘書7人を雇用したとすると、1人、年払いで400万で計算しても、2,800万円となる。10万人の後援会名簿を仮に持っていたとして、年に2度、国政報告書を送れば、紙代や印刷代、郵送費だけで1,500万円程になる。事務所の維持費も掛かる。そう考えると私にも、1億円という途方もない金額も理解のできる範囲となってくる。

自民党議員と民主党議員とでは、使う額がゆうに数倍、議員によっては1桁違うので、活動内容は大きく異ならざるを得ない。真に政治家にとって必要な金はいくらなのか判らないが、政治家と金の在り方を本格的に論議する時、率直に現実を直視しないと、未来永劫、政界から汚職の芽を絶つことができないだろう。公明党と共産党の議員は痛痒を感じないで済むから一切の企業・団体献金を廃止すべきと主張できる。又、一部民主党議員でも、時代の過渡期で民主党への強い期待感で得票できているから、日常活動も金の掛からない駅頭活動等で足らしていて、清貧を武器に、企業・団体献金の廃止を主張している。しかし、時代が落ち着き、本当の2大政党が定着してきた時、活動資金の枯渇は勝敗に決定的な影響を及ぼすことになるだろう。

政治資金の全てを明らかにさせて、企業・団体献金をアメリカのように積極的に認めていくか、一切の献金を廃止して、必要な資金全てを政党助成金のような税金で賄っていくのか、まやかしではなく本気の論議をしないと、政治資金はいつも闇の中に泳ぐこととなる。政治にお金が掛からないというのは、時代の過渡期ではあり得ても、安定期に入れば幻想でしかないことを直視しないと、政界の腐敗はいつまでも払拭できないだろう。橋本元総理の「1億円小切手を受け取った記憶がない」というのは、もしかしたら本当に忘れているのかもしれない。だからこそ逆に、『しょっちゅうなんだろうな』と考えてみたりもする。