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■2004年7月1日発行号
▼郷土愛( 6月25日)
選挙事務所にスタッフを派遣しているので、私の行動は今、全て自己完結型になっている。具体的には、訪問先へのアポ取り、器材準備、運転という事になる。今はカーナビがあるので助かるが、一昔前だったら大変なことだったろう。とにかく私は、甚だしい方向音痴なので。
海外から帰国する時、日本の領空に到るとホッとするものだが、国内でも車の運転で今、同じような気分を味わっている。県外からの帰路、高速道路を走っていて“埼玉県”の標識を見るとホッとしてくる。そして、わが町“川越”の標識を見ると、自然に暖かい気分になる。私の住む旧南古谷村に車で滑り込んでくる時は、まるで自分の家の庭にでも入ってきたような錯覚に陥る。これが理屈抜きの郷土愛であり、祖国愛の素直な発露なのではないか。
生まれはどちらですかと聞かれて、「東京です」と答えると、話はもうそれで絶たれる事が多いが、「どちらにお住まいですか」と聞かれ、「埼玉です」「川越です」と答えると、「自分の知人や縁者がいます」などという話になりがちで、話が弾む。私が通学していた高校は寮があり、生徒は全国から集まってきていたが、友人から「お前はどこから来たんだ」と聞かれ、「東京だよ」と言っても「嘘だろ」としか言われなかった。どこか田舎臭さがあったのだろう。私には埼玉が1番似合っているように思う。
▼知的渇望( 6月26日)
参院当選後、国会での質疑については、与えられた機会は全てお引き受けし、論戦に参画してきた。私の全質問はビデオに録画しているので、何人かの方にはダビングしてお送りした事がある。しかし、この3年間はいわば助走期であり、これからが政策づくり、法案づくりなどで本格的な国会での活動期に入ると私は思っている。
夢は大きく、党務も政務もこなせるオールラウンドプレイヤーを自分としては目指しているが、果たしてどこまで行きつけるか。私の政治経歴からくるイメージで、党務的役割を求められる事が多いが、自分の心の中では知的渇望感が今、強くなってきている。これからは読書、思索、執筆に、自分の人生で一定の時間を意識的に割いて、政策面においても充分に責務を果たしていきたいと思う。
▼盗難事件( 6月28日)
私が選対の事務局長をしている選挙事務所が荒らされ、印刷費などの支払いに保管していた現金とパソコン7台が盗まれてしまった。事務所には0時過ぎまでスタッフがいたので、明け方までの6時間位の間に行われた犯行だろう。
パソコンには若干の名簿や種々データが入っていたので、今、対応に苦慮している。パスワードは入れてあるので、そう簡単に開けられはしないが、完璧な防御とも言えない。入力されたデータは悪用できる類のものではないが、事務所としては選挙運動上、既に様々な影響が出てきている。会議に提出すべき資料を改めて作り直さなければならなくなってきたり、日程の確認作業をしたり、といった仕事が生じている。
又、マスコミには記者会見という形をとったが、県庁の記者クラブを対象としたので、事件の情報をとる為に、選挙戦の取材とは別に殺到してきたテレビや週刊誌からの取材は別立てで行わなくてはならず、事務所は終日、てんてこ舞いとなってしまった。
多少の予算を確保して、警備会社にセキュリティーを任せるなどの措置をとっておけば良かったと今、猛省している。
▼仮面の告白( 6月30日)
1970年1月1日の新聞各紙が、70年代の時代がどう展開していくのかを、国内外の知識人にインタビューや寄稿により見解を求め、記事を特集したのを憶えている。新聞であったか雑誌であったか忘れたが、作家の三島由紀夫が「70年代は虚構や仮面が剥がされていく時代だ」と語っていた事が妙に引っ掛かった。どういう意味で言っているのか、よく理解できなかったのだ。そして、同年11月に三島事件が起きた。今思うと、『こういう時代になる』という読みではなく、『こういう時代にしてみせる』という決意を語ったのだろうと思う。
今朝の新聞で、京都府警の裏金づくりの記事を眼にしたが、公務員の現職、OBはもちろん、マスコミ、政治家も含め、警察ばかりではなく、地方・国を問わず役所の裏金づくりの実態は、恐らく何10万人あるいはそれ以上の人々が、ずっと以前から知っていた事だろう。少なくとも私が地方議員となった1979年当時、全国の地方議員と私はネットを持っていて、お互いに行政改革に取り組み、情報交換をしていたが、裏金づくりは全国どこも同様に行われていた。
民間会社では交際費の枠があり、ある程度、社内外での付き合いに融通が利くが、役所では全く認められず、公費で本来、負担してもらいたい場合でも、個人負担となるケースが多いという実態から当初、生み出された(悪)知恵という事なのだろうか。“清すぎる水に魚は住まない”などと言った人もいるが、私はシステム化され、事実上、制度化されてきたことにおどろおどろしいものを感じる。
社会に潤滑油的なものが必要な事は認めるが、それがシステム、制度として存した時、そこが腐敗の温床となる。潤滑油とは、社会や国家、民族の大きな懐の中に在る温かみの中にこそ、在るのだと思う。
三島由紀夫が語った仮面が剥がされる時代というのは、氏が望んだ70年代ではなく、30年後の今、各界に本格的に訪れてきたと言えるのではないだろうか。
▼国会議事堂の形( 7月 1日)
重厚感は必要なのだろうが、どこか角張って重苦しい違和感を私は拭えない。初登院の頃、そんな感想をメルマガにも書いたような気がするが、政治仲間で私と同じ気分の持ち主がいることを知って、自分だけの感覚でないことに安堵した。国会議事堂は、完成した昭和11年当時の国民感情にはマッチしたものであったのかもしれないが、今、ゴチック建築の英国議事堂を意識した日本人の手になるデザインは、残念ながら日本の風土に合ったものとは、私には到底思えない。自然との共生、和の心、農耕文化、察し合いの精神に適った、もっと日本的建造物であるべきなのではないか。
家屋が幼少年期の子どもに与える影響は、決して小さくないが、ましてや国会議事堂が国家に与える影響は計り知れない。穏やかな空間の広がり、建築資材である木々の醸し出す、そこはかとない温かみ、包容感こそを、日本の国会議事堂は表現すべきではないのか。
議事堂は今、夜は一定の時間帯でライトアップされ美しくはあるのだが、それはあまりに無機質で冷々としていて、異国風のものでしかない。議員会館が数年後、老朽化に伴い建て替えられる。財政的な問題もあり、今日時点での実現は困難であろうが、私は議事堂再建の論議があっても良いと思う。
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