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■2004年5月27日発行号
▼財政金融委員会の味( 5月23日)
高度な専門性が求められる委員会に何故、自分が振り当てられなければならないのか、と戸惑いと疑問を当初持っていた。財務省や金融庁から法案説明を受けても、にわかに理解できない事もあり、不安を持ったものだった。
しかし、資料集めなどで調査室や国会図書館の職員の支えもあって、漸く委員会に馴染み始めてこられたように思う。民主党の参議院会派は、常任委員会は1年に1度、交替する原則となっているが、財政金融委員会はあまり希望する人がいないようなので、自分が望めば継続の可能性もあり、できればやり続けてみたい気がしてきた。
大蔵省や金融機関の出身でもない私のような異色の感覚を持つ者が、この分野で論戦に参画するのも客観的にはおもしろいのではないか。できれば私が味わった不安と戸惑いを、今度は逆に政府側に与えてみたいものだ。
▼藤井新幹事長との面談( 5月24日)
所用があって、お目にかかった。同じ党内でも、部会や選挙の時にご一緒になったりはしたが、じっくり話し込んだのは初めてだった。自民党と論争の時は、かなり激しく舌鋒を傾けておられるが、その席を外れれば誰とでも穏やかに交歓できる方で、まして党内の仲間内なら尚更だろう。幹事長就任については、かなり難色を示しておられた、と後日談で伝わっているが、この方なら誰しも認めるところだと思う。
困難には逃げずに真正面から取り組み、耐え、克服していく過程の中で、人への思いやりに心を配ってきた人ならではの滋味が有って、同じ空気に触れているだけで、ほのぼのとしてくる人格のレベルは、相当、高いのだと思う。私のような人間だと差があり過ぎて、そのスケールを窺い知ることができない。政界癒し系の中でも人格ベスト10には、間違いなく入られている方だと思う。
▼拉致家族の帰国( 5月25日)
5人の帰国は素直に喜びたいと思う。政府関係者の努力を認めない訳ではない。個人的には謝意を表することも、やぶさかではない。
しかし、政治家として小泉さんのやり方を見ていると、深謀な打算をいつも見せつけられる思いだ。帰国後、家族への報告は非公開の予定だったが、総理サイドの意向で急遽、マスコミへ公開されることになったという。邪推と言われればそれまでだが、家族会の反発が既に報じられていたので、家族が、総理に感謝するよりも、食ってかかっている画像を国民に見せることで、逆に総理に同情が向けられるように側近が仕組んだと、私には見えて仕方ない。
総理の年金未納が発覚し公表を余儀なくされると、時を同じくして訪朝を発表し、自分へのマスコミからの批判の矛先を変える、という打ち出し方をした。又、少し遡れば、小沢さんが民主党代表になるという流れが決定的になってからの総理の年金未納公表は、強制加入以前の内容だから、事前に総理側が小沢さんの任意加入時期の未納状況を、何らかの形で情報収集していて、小沢さんが攻撃してくれば逆襲できると計っていたと考えるのは深読み過ぎるだろうか。過去には、1年8ヶ月前の初訪朝を民主党代表選挙の時期に、また昨年、突然の藤井道路公団総裁の更迭を、民・由合併大会の日にぶつけたりしてきた。
総理となってから小泉さんの政治手法を見ていると、マスコミ、世論操作に非常に長けていて、何をやっても計算高さが感じられて、私には違和感が拭えないのはどうしようもない。どこか大きなところで国益を損ねてはいないだろうか。仮に、もう北朝鮮と内々で話しが付いていて、参院選挙前に、死亡や不明としてきた方々の消息を明らかにしたり、帰国が果たされるような事になったら、結果は喜ばしいが、私は小泉純一郎という人の人格を疑わざるを得ない。わが国の総理なのだから、国民の人権を操って自己保身を図るような事はあるまいと思いたい。
拉致問題の真の解決は、どのような事由であっても北朝鮮に在る全ての日本人が、希望すればいつでも自由に帰国できる、という状況をつくり出すまで完結したことにはならない。
▼狭山事件再審要求中央集会( 5月26日)
国会議員になってから初めて、党中央を正式に代表してのスピーチをした。
私は、狭山市の隣の川越に住んで31年になるが、この間、父の死、恋愛、失恋を重ね、結婚し、議員となり、子供を2人つくり、妻の母と暮らし死別したりと、公私に数え切れない程の人生の変転を経験した。誰しもが30年の歳月があれば充分に喜怒哀楽を繰り返し、人生を満喫してきたに違いない。しかし、石川一雄さんは31年7ヶ月の獄中生活を余儀なくされ、これから青春の第1章を書こうとした矢先の事件との遭遇であった。獄中に在っても31年の歳月は確実に刻み込まれたのだが、外界がフルカラーの色彩なら、獄中は墨一色の世界と言えようか。
私自身、石川さんが事件当時に住んでおられた自宅を視察するなどして、この冤罪事件と関わりを持ったが、仮出獄されている石川さんとお会いしたのは極く最近のことで、穏やかな語り口が印象的であった。法的には「冤罪だ」と断定する立場ではもちろんないが、私は限りなくそれに近いと思っている。最高裁は再審に何故踏み込まないのか解らない。
▼怪文書を発信する人( 5月27日)
個人攻撃ではなく、社会の木鐸としてなら、あるいは匿名で発信する怪文書も意義のある場合があるのかもしれない。しかし、大抵その内容は激しい個人攻撃で、中傷に終始していて、ライバルや政敵を倒したり傷付ける事を目的としたものが多い。被害者にとり、発信者の目途は、タイミングや内容などから大凡、見当が付くものだが、本人は完全に目眩ましに成功していると思っているのだろう。
一時的に相手をおとしめるのに成功したとしても、ブーメランのように、やがてはその牙が自身に向かっていくことは間違いがない。19才から政界に身を寄せ、多くの人々の人生の顛末を目の当たりにし、時に触れ、交わりもしてきた中で、確信できる因果応報の原理からも、怪文書づくりや発信は、自らも焦がす業火となることだけは申し上げておきたい。
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