■2004年6月17日発行号

▼娘の結婚( 6月10日)

河川改修という公共事業に我が家が引っ掛かり、300mほど離れた今の所に家を建て、竣工した時期がちょうど娘の誕生と重なった。長男と同じく東京の日本医大での出産で、妻の実家で確か1週間程体調を整えてから母子で帰ってきた。だから、拙宅が築何年になるかは娘の年齢を考えればドンピシャと当たることになる。

あれから20年、アッという間の時間の流れだったような気もするし、永かったようにも思う。あの頃、出産、引っ越しに加えて、私が坂戸市議選に立候補者を担ぎ出した為に選対委員長となり、資金づくりから票集めまでしていて、多忙を極めていた。今思うと、出産の準備はもちろん、引っ越しの準備もほとんど妻任せで、申し訳なかった。

生まれたばかりの娘の顔は真っ赤で、長男の時も同じような顔立ちだったが、猿面なのにはちょっとガッカリした事を憶えている。私は2人の子をベッタリと可愛がって育ててきたが、特に娘には溺愛に近いものがあったと思う。その娘が結婚する。妻や息子は私が落胆し、沈み込むのではないかと思い込んでいたようだが、家族の中では私がこの結婚に最初に同意した。6月10日、娘は山根史子(ふみこ)から千葉史子に変わった。


▼本多平直 国政報告会に参加して( 6月12日)

埼玉12区選出衆議院議員 田並先生の後継者に、本多平直さんが指名されたのには、私の知らない事も多々あるだろうが、私も強く推した1人であり、繰り上げ当選は私的にも嬉しかった。枝野議員の政策秘書を務め、その能力は実証済みであったし、1〜2年前、酒を呑んでリラックスした空気の中での彼の人なつっこさが印象に強く残っていて、情の深そうな所も北部地域の選挙区に合っているように私には思えた。

思想を右・左に分けるのは少し時代掛かってきたが、田並先生に「私はどちらかというと右でしょうが、彼は私より若干は左でしょうから先生とは考え方も近い筈ですよ」などと判るような解らないような推薦の弁を述べた。アッハッハとあの時、田並先生は哄笑されていたが、胸中はどんな思いでおられたのかは知らない。

昨年の総選挙で党県連は躍進し、県連事務所では田並先生と私の2人で交互に当選を祝す造花を掲げたのだが、田並先生は本多さんの落選が決まるとやはり喜びは半減、といった表情だった。その本多さんが繰り上げ当選となった時、8区補選で体調を崩す程、田並先生は疲れておられたのだが、あの時の先生の込み上げる嬉しさは、とても隠しきれるものではなかった。

後継者という立場は、先人が長い時間を掛け汗を流して作り上げた組織を引き継ぐのだから、これ程の僥倖(ぎょうこう/思いがけない幸運)はない。又、一方では、だからこそ自分の色彩を出すまでには多くの時間と精進が求められるものだろう。しかし、本多さんや4区の神風さんも、それをきっと乗り越えていける人材だと私は思っている。

パーティーは皆、喜びに溢れていて暖かいものがあった。県北地区の風土と本多さん、田並先生の人柄が醸し出した雰囲気なのだろう。昨年の総選挙前、本多さんは「島田ちやこさん(参院候補予定者)と僕はビジュアル系なんです」と言っていたが、パーティー会場に女性が少なかったのには何か事情があるのだろうか、聞きそびれてしまった。

次の日程があり、帰路、走って熊谷駅から新幹線に飛び乗った為、喉が渇いて車内販売でアイスクリームを頼んだら、売り子さんが「取ってきます」と言って小走りに消えていき、数分待たされてしまった。熊谷から大宮までは所要15分だったことを忘れて注文してしまったのだが、とうとう大宮駅までには半分しか食べられなかった。捨てるのももったいないので、がらんとした大宮駅の新幹線ホームで、急ぎながらもしっかり大好物のアイスクリームを平らげ、口の中も甘い余韻を楽しんだ。


▼ギリギリの質問原稿( 6月14日)

金融2法が事実上、終盤に至って尚、強行採決された。議会のルールは本来、委員会審議を重視することになっている。それにも拘わらず、委員会での質疑時間が衆院では22時間もあったものが、参院では僅か4時間しか論議されず、採決もしないまま、本会議で、中間報告を委員長に求め採決に持ち込もうという動議が出された。これは事実上、審議なく無理矢理に採決するのだからメチャクチャな話だ。参議院の無用論にも繋がりかねない暴挙と言えるだろう。

そもそも本法案を委員会審議に入らせなかったのは与党の方で、これには与党内で竹中金融担当大臣を牽制する力が働いていたとも言われている。国会終盤に入り、内容的にも問題の多いこの法案を強硬に成立させようとしたのには、与党の党利党略を巡る思惑が根底にあるのは明らかだ。

我々にとっては急な事態だったので、財政金融委員である私が中間報告反対の討論を行うことになったのだが、資料収集と原稿書きで冷や汗を流した。原稿が一応の体裁を調えたのは登壇の僅か5秒前だった。原稿書きは他の議案処理をしている最中に本会議場で行ったが、当然、準備も追い付かなかったので、事務所スタッフへ私は次から次へと携帯電話を使ってメールで調査を指示した。返信されてくるメールの調査結果を使って原稿書きを重ねていったが、本当に間に合うのだろうかとドキドキしながらの作業だった。演説の骨子は議会制民主主義の危機を訴えるものとしたが、最後に届いたメールは日本の議会制度スタートの西暦だった。

「ヨシ、これでいける」と安堵したのは演壇に向かう、文字通りギリギリの時間だった。演説が終わり、議院事務局の職員が速記者の参考にと私の原稿を取りに来たが、原稿には書かずにアドリブでやった箇所も多かったので、あの原稿はあまり参考にならなかっただろう。大変だったが、スタッフと私には充実した数時間だった。


▼国会の閉会( 6月16日)

今国会最大の争点は年金法案であったと思う。お粗末な政府案内容は次第に国民の前に明らかにされていったが、公明党のなりふり構わぬ強引な後押しで、自民党内にも出てきた「もう1度、やはり見直してみるべきでは」といった声が消えていった。全国の保守系首長だけに止まらず、国会議員でさえ公明党の支援なくしては当選できなくなった自民党議員は、どれ位の数に上るのだろうか。年ごとに選挙ごとに、その数はこれからも増え続けていくことだろう。自民党への影響力は、もはや計り知れない程のものとなってきた。

イラクへの自衛隊派遣についても、今国会で改めて論議されたが、公明党の従来からの主張からすれば、派遣容認はとても考えられるものではなかった。自民党と公明党による連立は一体どんな意味があるのか。公明党はある種の絶対的価値観を持っていようし、自民党は相対的価値観を持つ政党だとすれば、連立政権の同床異夢は明らかだ。連立政権とは本来、そうしたものに過ぎないという割り切りもあるが、国民の戸惑いは今国会の論議の中で、不安から不信、怒りへと転換しつつあるように思える。

7月の参院選こそが、今国会の国民からの各党への審判となる。民主党はきっと勝てると思う。


▼竹中平蔵大臣の国政挑戦( 6月17日)

新聞に2週間程前、話題となっていたので、国会でズバリと参院選出馬について聞いた時、最後に「そのつもりはありません」と竹中大臣は私にハッキリと答えた。この問題で最初の問いかけには、縷々心情を語っていたので、「今のお答えの仕方では、出馬すると受け止めることができる」と追いかけたら、更にハッキリと否定した。

私の経験から言って、選挙に出る出ないはギリギリの段階にならないとはっきりしない事が多いと思う。あの時、竹中さんは本気で出ないつもりだったのが、小泉総理の要請を断り切れなくて結局は受諾したのかもしれない。人の意志だけを見ていて判断すると予想は外れるもので、本人の意志に拘わらず、事態がどう展開していくのかを見通しておかなくてはならない。

民主党にとって強敵の出現だ。