■2004年4月15日発行号

▼拉致議連総会( 4月 9日)

自民党の平沢勝栄氏が、北朝鮮との交渉については窓口を政府に一本化する、という拉致議連の方針があったにも拘わらず、二元外交と誤解される行動をとったので、議連の事務局長を事実上、解任された。ほかの公務と重なり私は出席できず、スタッフの代理出席としたが、議連総会の内容は報告を受けた。

平沢氏については、かなり強力に議連を引っ張ってきたという気がするが、個人的にはちょっと私は首を傾げていた。以前、このメルマガで名前を伏せて書いたことがあるが、2年前の国民集会を日比谷公会堂で開いた時、2階席にせり出している白壁に、自分の名を入れた後援会の横断幕を1人、掲げていたのだ。

あの時、この人はどこまで本気で運動をしているのだろうか、と疑問に思えてならなかった。政治家の性で仕方ないところもあるが、功名心からの売名行為が眼に余る場面が度々見受けられて、不快感を私のように秘かに持っていた人も多かったのではないか。

拉致問題がこれ程、取り上げられなかった時代から地道な運動を続けて来られた方々には、改めてこの際、敬意を表させて頂こうと思う。


▼ちょっとシンプルな事務所へ( 4月10日)

国会の事務所は気付かないうち、すぐに書類の山となってしまう。私は、秘書時代ずっと思っていたが実現できなかった事を、国会議員となって迷うことなく実行に移した。それは本会議と所属委員会以外の一切の議事録や官報を処分するというものであった。

議事録は、衆参両院の本会議・委員会の全てが配られるので、大変な分量になる。議員にとっては何となく不安で、資料や議事録を何でもとっておきたがる人が多い。秘書の立場からは整理するのが大変な上に、1年で1度も見られることのない資料なんて思いきり処分したい、というのが本音だ。事務所のスペースには限りがあるし、議事録などでぎっしり埋められた書棚から、必要に応じて迅速に資料を取り出すことに支障が出る。事務局に言えば、当時から、いつだって提供してもらえるものだったし、今ではパソコンですぐに見ることができるようになった。

議事録以外でも書籍や雑誌、資料の類は膨大で、意識的に棄てるようにしているが、それでもいつの間にか「後で見ておきたい」と一瞬、頭によぎると、それがいつの間にか積み上げられることになる。昨日、少し時間がとれたので、一気に整理、処分したら、なんと書棚がすっきりしてきたことか。

家庭でも同じで、湯呑み茶碗などは、種々の記念式典で頂いたものも含めて、もう30を数えられる程になっていたりする。職場も家庭もシンプルな環境に整えておきたいと願っているが、なかなか果たせないでいる。


▼所沢市議補選( 4月12日)

自民党前衆議院議員の衆院選に於ける買収事件に関わり、10名の市議が逮捕されたことに伴う補欠選挙が11日実施された。

定数10に対し25名が立候補する大激戦となった。わが民主党は4名立候補し、3名の当選を果たした。落選した青年には捲土重来を期してもらいたいが、今はとても、今後の事を考えられる心境ではないだろう。落選の苦痛は経験した者でないと解らないと言われるが、何とか立ち直って1日も早く、どんな世界であれ、目指す目標にスタートを切ってもらいたいと思う。

当選した3名の人達も、家族や友知人を巻き込んでの戦いだったから、重圧も相当だったことだと思う。1度、候補者となったからには何を言われても耐えきらなければならず、全くの新人にとっては、人生始まって以来のあるいは、苦痛だったかもしれない。自分と家族が次々と、批判に曝され否定されることなど普通の人生では考えられない。しかし、だからこそ素直な受け取り方によっては、自己の人格を選挙によって向上させることも可能なのだろう。

同僚の参議院議員から頼まれ私が応援した30才の青年は、大学時代、弁論大会で優勝した事もあるという演説好きの候補者だったが、私や選挙参謀役の現職市議から、地道な活動によってしか誠意は伝わらないと諭され、不承不承、地味な手堅い活動を受け入れてくれた。

結果は9位、4,000票を獲得して当選したが、いつの時代にあっても安定した、確立の高い選挙を望むのなら、1に足、2に足、3に足ということだろう。その上に演説やパフォーマンスの要素を積み上げていけば良いのだと思う。当選直後の彼に、“感謝”“謙虚”“謙譲”の言葉・3Kを贈った。きっと身に付けてくれると思う。


▼イラク人質事件( 4月13日)

永田町には様々な情報が入り乱れている。新聞報道と重なるところもあるが、あまりマスコミに流れていない話もある。情報は種々でどれも確認できないが、日本国内での政府の動きや高官の発言はすぐに伝わってくる。そこで明らかになっている事は、わが国は危機に当たり、自己完結する形が作られていないという事だ。情報の収集、交渉等、国家としての主体的活動の条件が具備されていない。国防の全てをアメリカに依存してきたツケを今、払わされているという感じだ。

私は今、党内の同僚議員だけでなく、他党の議員からの話を聞いているが、おしなべて人質となった3人への見方は厳しいようだ。しかし、なんとか救出してあげたい、という思いは共通している。今時点(13日、午前11時)で人質は解放されていない。政府がとるべき措置はそう多くはないが、振り返って事件発生時に政府の発信したメッセージを考えてみる時、もし私が決定権者だったら、私の選択がどの程度、効果や意味が今回の事件であったかは別として、政府とは違った行動をとっていたと思う。

当面、人質の解放が最優先課題なのだから、犯人側から突き付けられた3日間というタイムリミットの中では情報収集に全力を挙げ、自衛隊撤退を拒否する声明は先延ばししておく、という選択だ。自衛隊撤退拒否の声明は、冷徹に見てギリギリのタイムリミットで敢然と行えば済むことで、それによって失うものは何もなかったのではないか。タイムリミットが10日や1ヶ月となると、日本政府の優柔不断と映り、国際的に悪しき影響が起こることも予測されるが、3日間なら問題はなかったと思う。

自衛隊撤退拒否の声明が、即、人質の処刑という事を私は恐れていた。結果的には杞憂だったようだが、私なら国内マスコミにも理解を求め、3日間だけは自衛隊撤退についての質問を控えておいてもらい、人質救出1本やりで押し通し、犯人グループを勢いづかせない為に報道は小さな扱いで、と要請したことだろう。

「人命は全地球より重い」という福田元総理の言葉は、修辞が効き過ぎていて真正面から批判はしづらいが、洋の東西の歴史から見ると、矛盾に満ちた意味不明瞭の言葉で、必ずしも世界的に評価されていたとは思えない。しかし、今回の事件への対応だったら、私の方が政府より慎重な措置をとったことは間違いない。


▼押しボタンの故障( 4月14日)

参議院では、本会議の法案等の採決には押しボタンが使われている。これは平成10年から導入されているが、中曽根元総理などが30年位前から主張していたもので、その実現までには数10年の歳月が費やされた。

自社55年体制では、牛歩戦術を議会戦術としてとっておきたいという思惑が働き、アッという間に採決される押しボタン式では野党に不利という論議がまかり通っていた。しかし、議案によっては、各議員の氏名が書かれた賛否の札を、1人ずつ演壇の投票箱に入れる採決方法である堂々巡りは今でも残されており、必ずしも野党にとって不利というものではない。

今日の本会議では法案の採決は、私が国会議員になって初めてと記憶しているが、起立による採決が行われた。押しボタンでは、賛否の数が電光掲示板に瞬時のうちに表示されるが、今日の場合は「過半数です」と議長が表現していた。ヘンテコな感じだった。掲示板なのか、ボタンの配線なのか定かでないが、「故障により」とのことであった。


■お知らせ■ 拉致問題解決に向け4月30日に国民大集会・大行進

今こそ経済制裁を!北朝鮮に拉致された日本人・家族を救出するぞ!

国民大集会Y
4/30(金)16:30〜
国民大行進
4/30(金)18:30〜

主催■
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会  
北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟
北朝鮮に拉致された日本人を救出する地方議員の会

1.国民大集会
日 時■平成16年 4月30日(金) 16時半より18時まで(3時半開場)
場 所■日比谷野外音楽堂
(雨天決行、豪雨の場合は隣の日比谷公会堂で)
〒100-0012 千代田区日比谷公園1-3 TEL03-3591-6388
 地下鉄日比谷駅、霞が関駅、内幸町駅徒歩3分
参加費■無料【会場カンパ歓迎】/手話通訳あり

2.国民大行進
日 時■平成16年 4月30日(金) 18時半より
★集合地 日比谷野外音楽堂前
※国民大行進だけでも参加できます
※老若男女・家族連れどなたでもご参加ください
※係員の指示に従って整列してください
※特定団体を示す文字・ユニフォームは参加不可
※旗竿等持ち込み不可。
のぼり、横断幕は主催者準備のもの以外使用不可。
コース 外務省・首相官邸経由麹町小前解散