■2004年4月8日発行号

▼「崩れ」幸田 文著を読んで( 4月 2日)

中学校の国語の教科書で初めて幸田文の文章に触れた。この教科書に著者の着物姿の写真も掲載されていたような気がする。どこか私の母に似ていて、何故かホッとするような親しみをずっと私は持ち続けていた。そして、いつかきっと又、(書籍を通じて)出会う人だとも思っていた。

本書購入のきっかけは、ある雑誌に著者の娘さんが本書を紹介している記事があったからだ。各地の山の崩れを70才を越えてから見て歩き、その記録をまとめたのが本書である。何故こんな事に著者が感心を持ち始めたのかも私には深い関心があったが、少し解るような気がした。目立たぬように静かに細く長く生きようとしてきた著者が、最後に辿り着いたのが、圧倒的な迫力で崩落を曝して見せてくれた懐深い山の生き様だった。山肌の崩れを現地で目の当たりにして著者は、山を生命あるものとして捉え、優しい眼差しを注いでいる。

「解説」には、“崩れ”は孤高で厳しい父、幸田露伴のことだったろうと書かれていたが、私は違う気がする。自身も気付かなかった心の深い所にある猛々しさ、荒々しさへの憧れ、そして、その先に在る、ある安らぎ、静謐を見ておこうとする激しいまでの欲求が、70才を越えた著者を突き動かしたのだと思う。


▼「原因と結果の法則」ジェームズ・アレン著を読んで
  (サンマーク出版1200円)           ( 4月 5日)

アレンの本を読むのは2冊目であるが、読み易く、奥深く、役立つ内容は前著(「きっと!すべてがうまくいく」(PHP研究所1200円))と同じだ。私がこの年になり、少し解り始めた善因善果、悪因悪果として現れる因果応報の哲理を、解り易く説いている言葉の数々は、正に福音として私の心にどんどん染み込んでくる。もし私の書評から本を時折、購入される方がおられるとしたら、本書を強く推薦したいと思う。

私を含め政治家は、時に謂われのない誹謗や中傷で苦しみ、傷つき、讒訴(ざんそ/人を陥れるための告げ口)もされるが、いつか誤解も解け、理解されると平然としていられるのには、よっぽどの信念や信仰が不可欠である。著者の説く人生哲学は時代を超えた永遠の哲理が明かされており、私が信念として持ち続けようと強く意識している人生の法則と全く重なっている。アレンの説くところは私の主張であり、私が現実の人生の中で学び、身に付けたいと強く願っているものである。


▼日本外交官射殺事件の真相( 4月 6日)

同僚の若林秀樹参議院議員が綿密な調査をして、国会で、奥大使等への銃撃はアメリカ軍の誤射ではないか、と政府を追及した。情報の収集が大幅に遅れたり、開示が不徹底だったりしているので、多くの疑問が残されたままだ。

今朝の参院民主党国対役員会でも話題となり、イラク特別委員会の委員でもある榛葉議員に、私も私的に会議後、細かな委員会でのやりとりを聞いてみたが、疑問は益々深まってきた。警視庁からの説明でほぼ疑問は解消されたとの見方があるが、どうも事はそう簡単ではないように思う。これから党としては、様々なルートから情報を収集して真相を追うことになる。

アメリカは、戦場での誤射については、けっこう率直に情報を開示しているので、もし本事件も誤射であったとしたら、日本政府にはそのまま情報は伝えられているに違いない。問題は日本政府のとった措置だ。日米同盟を慮ったり、イラクへの自衛隊派遣に支障が出るからといって事実を隠蔽していたとすると、これは政府の国民への重大な背信行為である。

真相究明の展開によっては、無責任な政府の国民年金法案が廃案となるに止まらず、小泉内閣が直に崩壊したり、衆院解散の事態に至るなど、大波乱は不可避だ。今、政府はこの問題で神経質になっている。若林議員の質問は、政府には恒例により事前通告されているが、国会での質疑前に、一定の調査結果をマスコミにリークするなどの措置は異常だ。私の眼からは、マスコミを早めに取り込んでおこうとする意図が見え見えで、疑惑は増幅するばかりだ。


▼マイク音量( 4月 7日)

昨日、党本部で北信越・北関東地域国会議員団会議が開かれ、年金問題での院外活動などにつき話し合いが持たれた。席上、国会対策についても種々、意見が出されたが、今般、国会が止まる原因ともなった衆院本会議で、枝野政調会長などの演説の時、事務局で意図的にマイクの音量が下げられているのではないか、という疑問が呈された。その際、何人もの議員から同様の疑問の意見が出され、小泉総理はじめ政府側発言ではボリュームをかなり上げている、との指摘があった。

実は参院本会議場でも同じような疑惑はずっと続いていて、私の個人的な感覚でもやはりおかしいと思う時がある。時折、露骨とも思える程に操作されていると推量される時、さすがに「ボリュームをしっかり上げろ」と私も声を張り上げたことがある。

事務局はやはり体制の側というか、与党に少なくとも無意識的だろうが偏った行動をとる事があるのではないか。私自身、決して声の小さな方ではないが、本会議場での演説では大きく声を張り上げないと、何故か議場に響き渡らない。不思議なことに与党議員で普段、小声でしか話さない人が、普通の語り口にスピーチしても大きく聞こえるのは、証拠がある訳ではないが、私にはボリューム調整以外に考えられない。


▼北朝鮮で衝撃の…( 4月 8日)

テレビ放映でこう紹介された脱北者の人身売買についての報道でさえ、国民にはもう衝撃ではなくなってきているのではないか。あの国では何が行われていても不思議ではない、と受け止められてきているからだ。世界中で、人類はこれ程までに残酷になれるのかと思える程の非道を重ねてきているが、それは過去のことではない。

ある国での話だが、ラクダの脇の袋に入れられた赤児を見つけて、あれは何なのかと聞いたら、赤児を泣かせることでラクダのスピードを上げる為だと答えられて、衝撃を受けたという知人の話を聞いた。私は俄に信じられず、「本当に、本当のことですか」と聞いたのだが、絶句するしかなかった。赤児がそんな目的のために売買されていたのだ。

貧困ゆえの出来事だが、人の生命の軽重は時代により、国によりこうも大きく違っている。人の果たすべき役割、日本の果たすべき役割に我々は、迷うことは何もない。