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■2004年2月26日発行号
▼ソ〜リ〜♪( 2月20日)
本会議には、いつも全大臣が出席する訳ではない。各省庁から出された幾つかの法案がまとめて提案され、質疑、採決される時に、担当大臣数人が大臣席に座っているという形が多い。議運や国対で、重要法案、案件と位置付けられた時に、総理と関連する大臣が雛壇(大臣席)に座ることとなる。
小泉首相が出席する本会議で、総理が議場に入ってくると必ず「ソ〜リ〜♪」と黄色い声を掛ける特定の女性議員がいる。私は、参院の本会議場でこの事が慣例化されているものだと思っていたが、自民党の先輩議員に聞いたら、「イヤ、そんなことはない」とのことだった。その女性議員ともう1人、最近、隣り合わせになった同じ党の女性議員も「ソ〜リ〜♪」と声を掛けているらしい。
誰が総理でもご本人にとっては照れ臭いが嬉しくもあるだろう。いつもニコッと小泉さんは表情を崩しているが、こんなことで良いのだろうか。何か議会が俗っぽくなってきているようで、私には不快にしか感じられない。
議長への敬意を表するため、本会議が終わり、議長席から議長が降壇し、10M程先にある壁時計の所まで議長が歩んでからでないと、我々議員は席を離れないという、今もって辛うじて残っている美風とのギャップをどう考えたら良いのだろうか。
▼予算委員会視察( 2月21日)
2月18日から20日まで予算委員会としての視察があった。国が補助金等を出している事業について、その実情を調査する為、本予算審議の始まる前に予算委員会として現地視察するのが慣例となっている。今回、2班に分かれて関西と九州に発ったが、私は九州班に加わらせてもらった。国会議員となって私にとっては、遠県への視察は初めてであったので、どのようなものとなるのか楽しみだった。
市議会16年、県議会に6年在籍していたので、それとの比較もしてみたい気がしていた。果たして、形式的な違いは全くと言って良い程なかった。情報が集中している役所に行ってまとまった話を聞き、施設見学など現地を視察してくる、というパターンだ。ただ国会の場合、どこへ行っても国の予算に関わる事業ばかりなので、他県の事情を調査するという自治体議員の視察の場合と違い、各県知事や現場の責任者から『陳情を受ける』という形になることが多かった。
既に述べたとおり、私には遠県視察は初めてだが、先輩議員から話を聞くと、スケジュール的には国会の視察はいつもバタついていて、味気なく過密気味な気がする。市議会でも県議会でも過密な時もあったが、もう少し時間的余裕を持ったものだったと思う。
議員の視察は今、観光地に足を運ぶことなど無くなって来ているが、私はどこか不自然さやもったい無さを感じる。昨年、私的に訪欧しパリ郊外のベルサイユ宮殿を訪れたが、何と学ぶことの多かったことか。例えば、ベルサイユの街は皆、3階建ての建物に規制され今も美しい街並みを有しているが、実は当時、建築技術的に高層建築物をそれ以上建てられなかったという事情があった、ということを現地の案内人から聞くことができた。
哲学者ライプニッツの定義だったと思うが、昨日を背負い、明日を孕むのが“今日”なのだから、昨日という名の過去の歴史遺産を直接、自分の眼で見ることなしに、地域や国の今日や明日を正しく見ることはできないのではないか、と私は思う。
歴史的建造物自体が観光化されていて、史跡などの公的視察がタブー視され忌避されているのは、永い眼で見れば、ある種の歴史への冒涜となりはしないか。遊びを絡めた行き過ぎた行為は批判されるべきだが、観光地化された所には、過去だけではなく現在の種々の問題が、ギッシリと詰め込まれている。私は、私的な小旅行でも貪欲に歴史遺産等を見るように心がけているが、公の視察で一切の観光地を避けるというのは、やはり不自然な気がする。
<主な視察先>
黒糖焼酎工場(奄美大島)
九州新幹線試乗(鹿児島)
税関の監視艇(長崎)
幹線道路建設現場(熊本)
水産研究センター(熊本)
▼義兄の死( 2月24日)
私が市会議員時代、60才の事実上の定年を迎えた管理職の多くの人々が、1〜2年経つと大病を患ったり、物故していったりするのを見て、私は市長に何らかの手を打っておくべきと助言したことがあった。つい昨日まで議会で答弁していた管理職が、退職して1か月もすると入院、といった例は偶さか起きることではなく、当時、常態化していた。何の心の用意もなく「明日からごゆっくり生活を」と言われても、調子が出ないばかりか体調を崩す羽目になり易いのだ。
妻の長兄も同様だった。60才の定年を迎えて間もなく体調を壊していった。それから約8年後の今月20日、決して長くはない人生にピリオドを打った。私と一回り12才年上の義兄の生涯は、悔いのないノビノビとした人生だったように思う。苦学して日航のパイロットとなり、それなりの名誉や収入を得て、ゆとりを持った落ち着いた生活ぶりだった。
義兄のパイロット人生の中で、本人が何度か私に語ってくれていたので、多分、名誉として秘かに誇らしく思っていたフライトが2つあったように思う。1つは、今上天皇が皇太子時代、美智子妃殿下と共に北欧へ発たれた折のフライトだった。気さくな陛下と気品に溢れた皇后様の素顔を、私に少し語ってくれたことがあった。そしてあと1つは、中曽根内閣で総理としての中曽根首相の海外渡航は、サミットをはじめ7度ほどあったと記憶しているが、そのうち5回を義兄が機長として操縦桿を握った。
中曽根元総理からは、葬儀にあたり、弔電ばかりか生花も賜り私も感激したが、誰よりも、既に天界に在る故人が1番、喜んでくれたのではないだろうか。
死は私にとって未だ恐怖なのだが、義兄は早々に死と向き合い、和解し、受け容れていったように思う。あくまでも自然体に生き、死んだ自由の人、義兄、故・山中伸悟の御霊安らかに。
▼オリンピック代表( 2月25日)
女子レスリングのオリンピック代表が決まった。テレビのニュース番組で、決勝戦での勝利の場面が何度も放映されていたが、必ず勝利した本人や、特定の負けた選手の短い苦闘の物語を合わせて紹介していた。本人はもちろん、家族をも含めた青春や人生の時間を、いかにこの戦いに賭けてきたかと。ほんの1分に満たない秒単位の紹介であっても、編集が上手で素直に感動することができる。しかし、である。
短い物語付きの選手は主人公となれるが、相手選手の思いはどうだろうか。勝っても負けてもヒロインではなく、むしろ国民の小さな憎悪を受けることにならないだろうか。丹念に一人一人の選手を見つめていけば、いくらでも小さな物語は見つけることができる筈で、華やいだ人目を惹く物語だけを追って欲しくない気がする。
オリンピックを目指すほどの選手なら、誰しも家族を含めた多くの方々の犠牲や献身の上に立っているのだから、一見地味な背景にもキラリと光る物語がいくつも有るに違いない、と思うのだが…。
▼「腐った組織をどうやって救うのか」丸瀬遼著を読んで
( 2月26日)
恩師が態々、議員会館の事務所に来られて、私へ贈って下さった本なので頑張って読ませて頂いたが、どうも自分の感性とフィットせず読み切るのが苦しかった。
著者は、日本長期信用銀行に入行し大きな実績を残した経歴を持ち、その再建にも尽くしてきた人物で、内部事情に詳しく自己の体験を基に組織というものの在り様を問題提起している。著者へ反論する訳ではないが、どの組織にも共通した問題はあるが、官僚組織や公の組織と民間企業の組織体質や組織宿命は根本的な違いがあり、同一の土俵で論じることには無理があると私は思う。
端的には、公の組織は公の金で賄われていて、先ず安定性、公平性、無謬性がどうしても求められてくる。これに対し、民間企業は結果が全てであり、失敗の処理もドライに措置できるという違いが決定的に大きい。又、宗教団体組織も効率性とは全く違った価値基準が優先されるし、政党や労働組合も民間企業組織の原理をそのまま適用するには無理がありそうだ。
しかし、本書から学べるものも決して少なくはなかった。
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