■2004年2月19日発行号

▼谷垣財務大臣との会話( 2月13日)

財政金融委員長主催の懇親会が開かれた。招かれたのは参院・財金委員会の委員と谷垣財務大臣、竹中金融・経済財政担当大臣、それに裏方で支えてくれている事務職員であった。

竹中大臣はスピーチで、「普段は、こちらからはご質問できる立場ではないので、今日は私の方から各先生方に種々、質問させて頂きます」と話された。このパーティーは、ほんの20〜30人の規模なので、気軽にそれぞれが懇親できる場となり、穏やかな雰囲気が醸し出されて、議会では見られない素顔をお互いに見つける良い機会となった。

乾杯が終わると同じテーブルだった谷垣大臣が先ず私に話しかけてこられたが、いきなり「山根さんは(本当は無難な業界用語で“先生”と言われた)は、西田八郎先生の秘書をされていたんですよね」と聞かれた。先般の委員会で初質問した際、多分ホームページなどで私のことを調べておられたのだろう。

谷垣大臣は選挙区が京都であり、私の恩師、西田八郎の選挙区が滋賀県だったので、近隣意識もあったのだろうが、とても懐かし気にわが恩師のことを語ってくれた。話の中身は、「議会運営委員会などでは、大先輩なので私にはまだまだ距離のある先生で、遠くから見ていました」といったような話だった。時折、先輩議員から恩師の話をされたりすると嬉しくなるし、ありがたいな、と思う。


▼「呻吟語」呂 新吾 著を読んで( 2月14日)

中国の古典である。ある雑誌で京セラの稲盛和夫さんが、本書の中から引用していた言葉があって、私にもピンとくるものがあったので書店から取り寄せて読んでみたら、自分にとって本当に為になる内容がぎっしりと詰まったものであった。

“呻吟”とは、著者自身が「病気に苦しみながら発する沈痛なうめき声」というふうに記していた。呂 新吾は高級官僚として地方長官などを歴任し、官界から退いた後で本書を著したもので、政争に巻き込まれたりした苦い経験等を基に自己の哲学をつくり上げていったのだろう。

“指導者とは、かくあるべし”という強い信念に裏打ちされた言葉は、説得力を持ち迫力がある。各界で指導的役割を担う人々には、本書は必読ものだと思う。自分が今どの程度の人間なのか、嫌というほど炙り出してくれる。

私はこれからの政治人生の中で、きっとこの本を何度も手にし、頁をめくることになるだろう。尚友を得たという思いだ。


▼“老い”の足音( 2月15日)

若い時に解らなかったことが、年を重ねてきて初めて、少しずつ自然と理解できるようになることが多々ある。1番大切なものは、人生の背後にある見えざる法則のようなものだ。

若く元気なうちは勢いで事を成すこともできるが、自然の流れに抗って千切りとった大義のない成功は、そう長く保つものではないという発見は、人生の辛酸、休戚(きゅうせき/喜びと悲しみ)を舐め、思索し、深く人生を受け入れるという心境に到る年齢にならなければ得られるものではない。もちろん必ずしも人間的成長と年齢が比例するものではないのではあるが。

さて、“老い”の諸相のことだ。中高年になると歯が成長していくものだと、若い時、漠然と考えていたことがあった。しかし、それは老いによるもので、歯が大きくなっているのではなく、歯茎が弱体化して下がってきたに過ぎないのだ。20代の頃、先輩達が食後、楊枝を格好良く使う様を見て、何とも言えない風格を感じたものだ。「それでは自分も」とやってはみたものの、何の為になるのか、その時全く理解できなかった。それは老いにより、歯間が広くなってきて、そこに噛んだ後の残滓が挟まって、それを取る作業として楊枝を使うということであったのだ。

又、私が少年時代、父が食事を終え、お膳に手をついて立ち上がるのを見て、「重たい体重をお膳に乗せると、お膳が壊れちゃうよ」と言ったことを憶えている。無口な父はただ笑っていただけだったが、年をとると膂力(りょりょく/筋肉の力)が衰え、お膳に手を掛けなければ立ち上がれなかったのだ。

老いて解る事が、これからドドッと押し寄せてくるだろうが、「少しずつ、ゆっくりでいいよ」そう言ってやりたい気がする。“老いの神様”聞こえていますか?


▼「蹴りたい背中」綿矢りさ著を読んで( 2月16日)

小説としては、題材に広がりがなく、あまりおもしろくなかったが、著者の非凡な文章力を随所に見ることができた。地道な努力と大胆な人生転換があれば、作家として大成する人だろうと思う。年齢を考えて、どうしても自分の娘(今月で20歳)と重ねてしまうので、素直に読めなかった分、この小説では、私が見落としたおもしろさがあったのかもしれない。

主人公がライブを見に行った最終場面での描写では、娘が中学時代であったか、所沢の西武ライオンズ球場での猿岩石の凱旋ライブに、男友達を含め同級生を引き連れて行った時の話を思い出した。娘は、この小説の主人公たちのような、いわゆるオタクとは全く違った舞台で、かなり目立った学生生活を送ったようだが、共通したものも多く共有していたようにも思う。

クラスや学校では、強力なリーダーシップを発揮していたと、当時の教師から今もって私自身言われたりするが、仲間との人間関係では、それなりに悩んだりもしていたように記憶している。青春の青い悩みは、甘酸っぱさが、いつの時代にも、誰にでも、共通している。


▼「ラスト サムライ」を観て( 2月17日)

ストーリーは、佐幕派の残党が最後の一戦を試みるという単純なものだが、話題の映画だったので、是非観てみたいと思っていた。明治初期の日本が舞台だったから、主人公役だったトム・クルーズも、脇役というより準主役の渡辺 謙に完全に呑まれていた。渡辺のカッと眼を見開いた時の表情は迫力いっぱいだったし、戦闘シーンで彼の顔に付けられた血糊などのメイクが場面ごとにマッチし、武士の意志や気迫を際立たせて表現できていたように思う。

「日本人であることを誇りに思える」と言った人もいたが、それはどうだろうか。主人公に戦闘で夫を殺されながらも、彼への恋心を募らせていった女性の心の葛藤や立ち居振る舞いは、日本的というか、日本女性らしさに溢れていたが、切腹のシーンや退路を断たれ戦に突き進んでいく武士の姿をもって日本的とは私は思ってほしくない。私とて尚武(武事を尊ぶ)の心は持っているけれど、「武士道は死ぬことと見つけたり」といった所だけに焦点を当てて“日本的”とすることはできない。武士道とは何かを体系的にまとめたのは、鍋島藩士の書いた“葉隠”だが、武士道精神の乱れを嘆いて書いたこの本は、生活全般への記述もあって、今の時代に在っても私には学ぶことの多かった本だ。

武士道の根本には“死”が厳として在り、“死”が扇の要としてこの思想をつくり上げてきた。日本の歴史2,000年余の中で、武家政治が執り行われてきた670〜80年という時間の限定があり、武士道が全ての階層を抽出した思想でなかったことは、事実として認識しておかなければならない。農民には農民の、職人には職人の、商人には商人の、学者には学者の、芸人には芸人のそれぞれの日本人らしさがあったのだから、武士道だけをもって、日本らしさや日本人らしさとすべきではないだろう。

しかし、今でいう三権の全てを長く持ち続けた武士階級が日本社会に与え続けた影響は圧倒的で、日本とは何かを考える時、武士道は避けて通れない理念であることは間違いない。しかも男にとって陽明学や武士道は生と死が表裏の魅力的な思想だけに、盲目的に傾倒し易く、この思想を意識的に客観視する必要があると私は思う。

もう一つこの映画で不満だったのは、若き日の明治天皇の描き方があまりにも弱々しく表現されていることだった。剣豪・山岡鉄舟が鍛え上げた若き日の天皇は、裁可に当たり戸惑いや逡巡はあっただろうが、もっと気力溢れたお方ではなかったろうか。あの俳優の顔はとても日本的で好感は持てるが、こと明治天皇役としてはミスキャストだったように私は思う。