■2004年12月16日発行号

▼北朝鮮への対応(12月10日)

横田めぐみさんの虚偽の遺骨については、「やはり…」という感じだ。写真の合成疑惑が取り沙汰されてきた時点で、国民の多くの皆さんも同じ思いを持たれたのではないだろうか。国家としての“恥じらい”というものを、この国はとっくに投げ棄ててきているが、体面を取り繕うといった国家としての存立に関わる本能をさえ、失いつつあるように思える。

拉致議連としても、自民党案とは別に、制裁措置を具体的に協議してきたが、それは局面への対応であり、短・中期の外交戦術といえるかもしれない。それでも、これは議連としてギリギリの協議できる範囲だろう。

もし私が、わが国の最高権力者だったら、米国、中国、韓国と鳩首協議し、対北朝鮮の金正日体制への揺さぶり策を模索するか、あるいはそのフリを見せ、外向的圧力を掛ける。次に日、米、中、韓にでき得る全ての影響力を徐々に発動して、国際常識の舞台に招じ入れる。但し、その際、金正日氏に亡命も含め、いくつかの選択肢を与える。当然、全てNO、あるいは無視という挙に出ることもあり得るが、その際、政権の崩壊につながるという状況にまで、外向的成果を積み上げておかなければならない。事の成否は中国に大きく係ってくるが、北京オリンピックが終わるまでは動かないだろうから、それまでに、米国、韓国との連携を具体的に強めておきたい。

北朝鮮の民主化・自由化は、拉致問題を一気に解決するだけに止まらず、2000万国民の真の解放につながる。


▼身近なメルマガ批判者(12月11日)

家族は最も身近な人間だから、格好つけている訳にはいかない。お互いに自分をさらけ出して生きている。外では見せられない脆さや、みっともなさもあるだろう。

最近、子供達が私のホームページを読むようになり、「少しキザじゃない」、「難しい漢字を何で書いたりするの」とか言ってくる。メルマガのイメージと、生の私の姿にギャップがあると言いたいのだろうが、私としては「こういった一面も俺にはあるの」と答えている。漢字については、使わないと忘れるので、敢えて難しいものを使っているという事情と、これは文化の問題でもあるので、読者の皆様への知的発信という思いもある。


▼洗浄(12月14日)

久々に夜間、プールへ行った。上がってきてシャワー室に入ったら、いつもならシャンプーとボディーソープにラベルが貼られているが、そこのシャワー室の洗浄剤は2つともラベルが剥がされていた。素裸でうろつく訳にもいかず、その場での判断となった。黄色と桃色の2種類しかないが、普段はラベルを読んで使っているので色による特定はできずに、匂いで見当をつけて使った。香りの良い方がボディーソープだろうと目星をつけたのだが、後で確認したら、逆に使ってしまったことが分かった。しかし、使ってみての違和感は全くなかった。

その後も皮膚に異常が出たのでもなく、大して違いがないのかもしれないと思った。私が子供の頃はとにかく石鹸が全てで、使い分けは不要だった。シャンプーが世に出てから、脱毛予防とか白髪防止効果など、毛髪に特別な変化が起きたりという事は聞かないが、経済効果以外に何か良い事でもあったのだろうか。


▼横田ご夫妻(12月15日)

私が国会で拉致問題をとり上げる度に、丁寧な礼状を頂いてきた。何度お目に掛かっても、いつも変わらぬ腰の低い謙虚な姿勢、そして物静かな中にある強い意志と決意、深沈たる態度に、私は密かに敬慕の念を抱いていた。自然と合掌したくなるほど、まるで私には菩薩を見るような思いがあった。

昨日、BSでご夫妻を特集した番組を見ていたら、お2人はクリスチャンとの報道であった。何か納得できる気がした。ご自分の娘さんの事だけだったら、私は、あそこまでの行動を続けることは不可能ではないのか、と実はずっと思っていた。親としての情だけでなく、社会や国家を背負っての活動には、人知れぬ圧力や妨害が付きものだし、気力の萎えるような気分に陥ることもあっただろうとの推察は容易にできる。それでも尚、行動に駆り立てられていたものは、親子の情愛を超えた、ある種の使命感なのだろう。番組の中では、「神様からの使命…」といった言葉も語られていた。

全ての拉致被害者と家族の苦悩を、お互いに家族会の方々が共有してこられた大きな要因の1つは、横田夫妻の暖かな献身があったと思う。そして、お2人の方寸(心の中)には、神と共に在る、といった篤い信仰心が脈々と流れ、それが何よりの支えとなっていたのだろう。


▼大地震の被害予想(12月16日)

阪神大震災や新潟中越地震並みのマグニチュード7級の東京直下型地震による予想被害が、政府の中央防災会議「首都直下地震対策専門調査会」から出され、死者12,000人という数字が発表された。深刻な事態の予測だが、我々昭和世代と、関東大震災を経験した大正世代の人々とでは受け取り方は全く違うだろう。

しかし、後者の人々は高齢であり、その数は極端に激減している。知識も大切だが、イザという時には、やはり災害への対応には経験が大きい。新潟中越地震の対応でも、阪神・淡路大震災を経験したボランティアの人々の動きが迅速で的確だったことは、何よりの証左だ。

予測される死者の数に実感は伴わないが、眼の前にわが家が倒壊し横死する人々を見た時の衝撃は、きっと足が竦む思いだろう。しかし、いつの日か必ず起こる天災だとすれば、政治や行政の立場からではなく、個人としての心構えを先ずはしっかりさせておきたい。