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■2004年10月7日発行号
▼サガンと森村 桂の死(10月 1日)
2人とも決して長くはない人生だが、人々に与えた影響は小さくはなかっただろう。2人の作品は、私が10代後半から20代前半でそれぞれ数冊を読んだに過ぎないので、私の文学観や人生観に直接、影響を及ぼす程のものではなかったが、楽しく読めたという印象は残っている。
サガンは恵まれた家庭環境に加え、その美貌故、より世間の注目を集めたのだと思う。一方の森村 桂さんは、容姿に対してコンプレックスが強く、それ故に繊細な眼が磨かれていったという側面があったのかもしれない。エッセイ集の中で、「母に『私ブスなの?』と聞いたら『女の子は顔だけじゃないのよ』と慰められ、自分の容姿を認識した」と書いてあったのを記憶しているが、こんな事を書けるってすごいな、と感動したことを覚えている。
総理大臣をやった人でも忘れられる位だから、並の政治家なら5年もすれば、選挙区ですら人々の記憶から遠のいていくだろう。2人の作家の愛読者は終生、彼女たちの主張や思いを心の中に受け入れて生き続けていかれるに違いない。
▼勝ち組・敗け組(10月 4日)
最近テレビを見ていて、未だに“勝ち組・敗け組”を口にする者がいて、何とも嫌な気分だ。個人にも団体にも、社会や国家にも当てはめようとするこの二分法は、間違っていると私は思う。個人の人生に例えて考えてみれば分かり易いが、生涯、変わることなく勝ち組や敗け組に入り続ける者は、そういないだろう。人生は長くもないし、短くもない気がするが、勝ち負けが仮にあるとしても、それはあくまでも経過にしか過ぎない。
松下幸之助さんが、インタビュアーに「今迄に何度位、仕事で失敗したことがあるか」と問われ、「一度もない」と答えた。聞いた方は、経営の神様でも失敗することがある、という記事を書きたかったのだろうが答えが違い、その時、記者はさぞかし戸惑ったことだろう。松下さんは、「失敗したと認めた時は失敗で、私はまだ途中経過なのだと考えていた」という意味の話をしていた。世間での勝ち組・敗け組の評価と自身の評価の違いもあるだろうし、勝ち敗けのレッテルを貼ることの弊害も又、大きい。自分のレッテルを誇らしく思う勝ち組入りの者には奢りが生まれ易く、敗け組入りの者は、世間の評価に萎縮し自信喪失の度合いが強まる。
易経の中に、君子は安くして危うきを忘れず存して亡びるを忘れず治にして乱を忘れずとある。今、逆境にあると思われる方は、再生を期せば、誰しもが甦る可能性は残されているのではないか。仮に、復活過程で尽きたとしても、勝ち敗けと人生の幸・不幸は必ずしも一致しないし、ましてや個人の人生の存在意義とも関わるものではない。
▼韓国の今(10月 5日)
あと50年も経たないとアメリカとの戦争の本当の総括はできないと以前、このメルマガにも書いたような気がする。歴史的な事件が起きた時、関係者の全ての自由な発言や記述が、歴史上、実際に保証された時代というのは無かったのではないか。数10年して身の安全に確かさを覚えられてきた時、ポツリポツリと真証言が出てくるのが普通だが、それでも30年〜40年すれば物故する者も多く、真実は闇に消えることが多いのだろう。ケネディ大統領の暗殺事件では、関係者数10人が不慮の死を遂げているという。もうこうなると生涯、口を閉ざさざるを得なかった人も多いだろう。
日米開戦の直接要因は、ハルノートと言われるが、手間ひま掛けて積み上げられてきた外交交渉を無視するかの様に、突如としてアメリカが突き付けてきた中身は、当時の常識を超えるものであった。戦時、解ってきた事だが、ハル国務長官自身を無視して、このハルノートはモーゲンソー財務長官の部下によって書かれ、ルーズベルト大統領が直接、認可したものだったという。そして、原案を創ったハリー・ホワイト財務次官は、ソ連共産党のスパイであった事が判明したのだ。大方の米国民に当時、厭戦気分があったにも拘わらず、日本との開戦に踏み切る決意をルーズベルト大統領に促したのが、ソ連のスパイによったとなると、あの戦いは何だったのだろうか…。
今、韓国が揺れ動いている。もちろん、北朝鮮のスパイは暗躍しているだろうが、今、全体主義の謀略の前に空想的平和観が拡がり、韓国の何かが崩れ掛けているような気がしてならない。38度線で行われてきた北朝鮮側への拡声放送の中止は、小さな国益を守るために大きな国益を失いかねない選択ではないのか。北朝鮮の国民へ真実のメッセージを届ける数少ない手段の放棄の背景には、一体、何があるのか?
▼“目標 総理大臣”の人々(10月 6日)
去る10月 3日、元・埼玉県議会議員の渡辺利昭さんを偲ぶ会が埼玉県朝霞市で開かれた。来賓の挨拶に立った上田埼玉県知事は、知事選出馬に至る経過を話す中で、「渡辺さんから北海道(?)出張中に、知事選の準備をするから至急帰ってこい、との電話をもらった。しかし、『とんでもない。こう見えても私は総理大臣を目指しているんです』と答えました」というエピソードを披露された。会場の人達は冗談と捉えたのか、少し笑いが起きたが、上田さんのパワーからすれば、私は有り得ない事ではなかったと思う。
民主党は若手の国会議員が多いから、多分、本音では6割位の代議士がそう狙いを定めているのではないか。この事は、憂うべきことではなく歓迎すべきことだ。しかし、それに相応しい努力は求められる。川端幹事長は、党人事について、「真面目に努力する者が報われるものにして欲しい、との声がある」とある会合で話をされた。更に、「かつて竹下総理が新人議員に、『君の名前は何と言ったっけ?』と聞き、おもむろに赤い手帳を開いて、『うん、君は本会議と委員会には、○○日欠席したり、遅刻したりしているね』と語り、新人議員は国会への出席をキッチリ守るようになっていった」という話をされた。当たり前のことをキッチリこなし、目立たない地味な仕事を受け入れ、しっかり政策を学ぶ姿勢が大切、という事なのだろう。
政治家としての風格、品格、人格、つまり総合的な人間力を高める努力が第一で、次の次以降に政策やパフォーマンスが求められるのだが、中年応援団の私としては、若手の総理希望者がこの優先順位を決して間違えないようにと願っている。
▼地震 それぞれの反応(10月 7日)
震度5の地震が昨夜11時40分に起きた。私は食卓でお茶を飲みながら考え事をしていた。大きな揺れで多少の不安を抱きながら、『この家はツーバイフォーだから地震に強い筈だ』と自分に言い聞かせていたが、『しかし築20年経っているから、もう脆くなっているかもしれない』、『そういえば、実はツーバイフォーは地震に弱いと言っていた人がいたが、そんなことはないよな』などと、様々なことが脳の中で去来していた。
犬は居間の端で全く動じることなく寝ていたが、猫の方はリクライニングチェアーに寝ていたので、じっくり様子を見ていたら、大きく眼を見開いて、不安げに訴えるような眼差しを私の方に向けた。そして椅子に思い切り爪を立てて、すがるような様子だった。
今日、駅頭で朝立ちを済ませ、レストランで朝食をとりながらその話をメンバーにしたら、阪神・淡路大震災を経験したスタッフは、直ぐ外に飛び出したという。大震災を経験した者だからこその素早い行動と言えるだろう。心構えが我々と全く違っていた。
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