|
■2003年12月18日発行号
▼「父の背中」庭野鉄司郎著を読んで(12月12日)
巨大宗教団体である立正佼成会の創立者を父に持つ著者の、苦悩と戸惑いが書かれた本で、興味深いエピソードが多く記載されている。同じく韓国で生まれたキリスト教系の巨大宗教団体“統一協会”に著者が傾倒し、西暦○○年○月○日○時、地球に壊滅的な事態が起こるという預言を信じ、父に話したところ、「それでは一緒に、その時を過ごしてみよう」と言って、一晩中、付き合ってもらったというエピソードは、著者の父の大らかさを垣間見られておもしろかった。
著者の父である庭野日敬開祖は、自分の神格化を拒否し続けた人であり、又、多くの宗教家が預言者を装いたがる中で、「自分には、そうした予知能力はない」と言ってはばからない、正直、率直な人であったようだ。
新釈法華三部経の名著を物し、世界宗教者平和会議(WCRP)を提唱し、実現させた大きな父に抗い、青少年期、歯向かい投げ飛ばされ、それでも食い下がっていった著者の思いはどのようなものだったろうか。父を父と呼ぶ事も禁じられ、いつも遠い存在でしかなかった人に、この時、「これが父親なんだ」との実感を持ち得たと言う。きっと柔道で鍛え抜かれた父に投げ技による痛打は、その時、心地よいものだったろう。
聖アウグスティヌスが青年期、やはり親に反抗し家を出て、ヒッピーのような暮らしを経験していると読んだことがあるが、著者の歩んできた道を読んでみると、どこか共通する心情があるのかもしれない。
▼代議士の宿命(12月13日)
衆院議員と参院議員の秘書をやってきた経験もあり、両院議員の心持ちの違いは解っていたつもりだが、実際、自分が参院議員になり、県連役員として衆院選にも携わらせてもらうと、本当にその違いが実感できる。つまり、衆院はいつ選挙となるか常時、準臨戦態勢を敷いていなければならず、気を緩める事ができず、緊張感から解き放たれることがない。
今、木下厚代議士の国政報告会に出席し、開会までに間があり、ペンを走らせているが、この埼玉8区(所沢市など)では、小選挙区で当選した自民党議員の陣営から逮捕者が多数出て、あるいは再選挙か、とも囁かれている。選挙の熱は当分の間、冷めそうもない。
この報告会の会場に集まっておられる後援会役員の人達も、喜びと緊張が交錯しているようで、私は公務で途中退席させて頂くが、恐らく勝利に酔いしれる気分とはならないだろう。
木下代議士自身も選挙となれば、もう1度、小選挙区候補者として改めて闘うという強い決意を表明された。
▼六本木ヒルズ(12月15日)
“日本経済のこれから”と題し、講演して欲しいとの要請が労組よりあり、地域経済について、かねてより関心のあった六本木ヒルズ、汐留を1人でざっと視察してきた。汐留の再開発については、全体としての統一性に欠けていて、街全体の特性やアピールがないように思えた。しかし、六本木ヒルズは私が今まで観てきた新しい街づくりの中で、どこよりもゾクゾクする程、美しく魅力ある空間だった。
仕事でしか通り過ぎて見ることのなかった六本木を改めて眺めてみると、その名の通りこの地域全体が丘の上に在ることが解った。もっとも、六本木ヒルズの命名については、再開発を一手に手掛けた森ビル・オーナーが至る所に「ヒルズ」の名を冠しているらしい。
ショッピングモール、映画館、劇場、公園、住居マンションがバランス良く点在し、私が車中から視察した薄暮の時間帯には、もう既に街全体が暖かい美しいライトに浮かび上がっていた。近隣の街並みと不調和ではないが、謙虚に一線を画している。平日にも拘わらず、人の往来も繁多で活気に溢れていた。
この街は必ずしも地域経済に貢献していないという識者の批評も読んだが、民間人の手に成る異空間のこの様な創造は、私には感動そのものだった。ここから程近い、東京ドームの1.7倍という防衛庁跡地の再開発後の共存、関わりが、私には興味津々である。義兄が営む、自ら“(おあいそが)日本一高い”と言って憚らない“纏(マトイ)鮨”にとっては、どんな結果をもたらすのであろうか。
▼John Lennon Museum(12月16日)
京浜東北線の車窓からいつも見ていた、さいたま新都心にあるジョン・レノン・ミュージアムに、仕事と仕事の隙間を見つけて漸く足を運んだ。「いつでも行けるんだ」という気でいたから、開設されてから4年目にして初めて実現した私の小さな希望だった。
会場は平日ということもあって、閑散としていたが、観る方にとっては、ゆったりと堪能できる贅沢な鑑賞だった。ビートルズ人気が沸騰していた高校時代でさえ、友人に「ビートルズってどこが良いの?」などと批判や皮肉では全くなく、素(す)のままの質問をしていた程、音楽にはほとんど私は無関心だった。飲酒以外は同世代の友人が手を染めていく喫煙、恋愛、踊り、バイク等、全てに奥手であった自分は、時代に鈍感だったのかもしれず、ビートルズの音楽は私にとっては、今思えば、騒音のように聞こえていた気がする。しかし、“Yesterday”や“Let It Be”が音として耳に自然に入り込むようになったり、詞の意味を味わうようになってからは少しずつ近しいものを感じ始めた。
ジョン・レノン・ミュージアムはいくつもの部屋を辿りながら、ジョン・レノンそして小野ヨーコさんの心と、生き抜いてきた人生を見せてくれるのだが、展示手法そのものが、まるで芸術作品のように計算し尽くされていて、観るというより、心臓の奥にある2人の心の中に自然と溶け入るような、不思議な感覚を味わわされた。
幼年期に臨死体験して味わった、あの包まれるような安堵感とどこか似ている。この場所はきっと、疲れた時、県民の癒しの空間となっていくのだろう。
▼ブッシュ大統領の極刑発言(12月17日)
フセイン元大統領(以下 フセイン)は中東諸国でも、数々の悪行を重ね、その横暴ぶりで、極めて評判は、元々悪い政治家だった。だから、ブッシュ大統領の発言は感情としては理解できるが、超大国のアメリカ大統領の発言としては、私は勇み足だと思う。もっと冷静に言葉を選ぶべきだったろう。
フセインの何をどう裁くかは、実は難題でもある。フセイン個人の悪行を裁くに止めるなら、さして問題ともならないが、彼が執った“政治”も又、裁かれるとしたら、公判の過程で、あるいはアメリカ自身も返り血を浴びることも想定できるからだ。国家戦略としてのアメリカの深謀が曝されることは、米国として最も警戒するポイントだろう。今、テロリストとして米国が名指しする者達や国家との過去の関わりは、そう簡単ではない。がむしゃらに国益を追い続ける中で、アメリカは矛盾や失敗を積み重ねてきた。
米政財界にはイスラエル系の在米実力者が数多いて、大統領の決断と行動に大きな影響力を与え続け、中東の和平も、そうブッシュ大統領の思惑通りに事は運びそうにない。アメリカの苦悩と矛盾が、裁判の有り様によっては、白日の下にされるかもしれない。それは同時に同盟国・日本の苦悩にも直結している。
|