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●山根隆治君 私は、まず大臣に冒頭お伺いいたしたいのは、十一月の十七日に自殺問題に対応する、そのことの意味合いで大臣がアピールを出されたわけでありますけれども、大臣自身、政治家としての経歴を少し調べさせていただきますと、非常に気骨のある政治家だなと、そういう印象を私自身はございます。そういう大臣の人生観、そして死生観というものはどのようなものか、簡単にお尋ねします。 ●国務大臣(伊吹文明君) 大変難しい御質問だと思いますが、命というのはやはり両親から授かったものであって、両親が授けてくれた命というのは悠久の歴史の中で綿々と続いてきているものですから、自分一人の判断で左右さるべきものではなくて、できるだけ大切に今を生きながら次の世代に命を渡していく義務が私にはあるなと思いますし、ですから、いずれ人間というのは長く、そんなに長くは生きておれないわけですから、それだけの生きている間に自分としてのこの地球社会での役割を果たすというのが私の死生観でございます。 ●山根隆治君 アピール文は大臣自身がお書きになったんですか。 ●国務大臣(伊吹文明君) 最初、役人が書いたのを持ってきましたが、子供に訴えるにしてはやや少しやっぱり硬いかなと思いまして、せっかく書いてくれたのに申し訳なかったんですが、私の筆で書きました。 ●山根隆治君 反響はいかがでしたか。 ●国務大臣(伊吹文明君) 今日そういう御質問があるということで調べてみましたが、私のホームページには約千ぐらいの賛成論、あるいはこういうことをやると連鎖的なことがかえって起こるからというような御注意、いろいろありましたし、文部省のホームページには約九千五百ほどの御意見が寄せられています。 それから、これは非常にうれしいことだったんですが、こういう手紙をたくさんの小さな子供が書いてきてくれまして、自分が独りぼっちじゃないんだということが分かったから、これから苦しんでいる人がいれば自分も積極的に助けたいということもありましたし、中には、こういうアピールなどを出すんじゃなくて、もっとほかにやることがあるんじゃないかというおしかりもございました。 ●山根隆治君 アピール文を大臣は朗読の形式をもってマスコミ、テレビの前でお述べになりましたけれども、これは適当だと思いましたか。 ●国務大臣(伊吹文明君) 私はできるだけ、この私からのお願いは学校の先生あるいは御父兄にお渡しをして、そしてお伝えしてもらうのがいいと思っておりましたが、文部科学省のクラブへ発表に行きましたら、ここのカメラの前で全国の人たちに一応それを自分の言葉で語ってくれないかという御要請がありましたので、その御要請に従ったということです。 ●山根隆治君 私は、冒頭、大臣の人生観というか死生観をお尋ねをいたしました。そして、例えば自社連立政権のときも海部さんに投票されたりと、そういう気骨を持っている方の割にアピール文そのものも私はもっと心揺さぶる内容であってもらいたかったというふうに思いますし、そして、あれ朗読するということじゃなくて、御自身の私は、心の中から子供たちに訴えたい、そういう思いをもっとダイレクトにカメラの前で私はアピールすべきだったと思うんですね。 ですから、今大臣が反響があったということで、いろいろなお手紙等もお持ちですけれども、私は、大臣がもっと自分の心の中、そして御自身の幼少年期のいろいろな思い出、そうした経験、人生観、そういうものを頭の中で推敲し切ってアピールしたら、もっと私はすごい反響があったと思うんですね。私は非常に、テレビを見ておりまして、これは逆にもったいない、失敗だったなというふうに思えてならないんですね。 大臣自身、あのアピールに対しては後悔は今ないですか。 ●国務大臣(伊吹文明君) まず、まずですね、一番最初に自殺予告の手紙が来たんですよ。そのときは私は何も書いたものを持っていなかったんです。しかし、テレビの前で直接話してくれないかと。私は原稿なしでそのときお話をしました。そのときもやっぱり賛否両論五百通ぐらいの返事が来ましたね。 今回、いろいろな御意見があります。先生のような御意見もあって当然だと思います。しかし、何かをやらなければ事態は改善しないわけですから、多分そういう御批判もあるだろうと、それはポジションにいるものは、結果論と言うと大変失礼ですが、何か事をやった場合には必ず賛否両論にさらされる立場だと思って私はあえてやったわけです。それは私のポジションデューティーでございます。 ●山根隆治君 私は、直接このメッセージというものをお読みになっていたその姿を見ておりまして、やはりもったいないなというふうな思いが実はいたしました。やはり、ああした訴えというのは乾坤一てき、私は政治家としてのある種真剣勝負の瞬間だったなというふうに思うんですね。つまり、子供にとって、いじめで悩んでいる子供たち、そして自殺まで考えている子供たちに訴えるということを考えてみれば、私はもっと、大臣の心の中にある今日まで培ってこられた思いというものをもっとダイレクトに表現する必要があったんではないかと。そのことは非常に残念でございます。 しかし、これからまた何らかのいろいろなアピールされる機会があるいはあるかもしれません。是非そのときには自分の思いというものをもっとダイレクトに伝えられるような、そういうメッセージの発信を是非この点についてはお願いをいたしておきたいと思います。 さて、法文について、政府案についてまずお尋ねをさせていただきたいと思います。 第十五条の「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」と、こういうことで記述がここはあるわけでありますけれども、この宗教に関する寛容の態度ということでありますけれども、日本には今、調べてみますと十八万二千六百四十一の最新の統計では宗教法人がある。その中には様々な実は宗教団体もあるんだろうと思うんです。 私も委員の派遣で三年ほど前に中東各国を訪問させていただきました。そして、イスラム教の指導者の方々ともお話を聞く機会がございました。どうもやっぱり欧米発の情報に、政治的なのか分かりませんけれども、イスラム原理主義というふうな言葉もございますけれども、しかしイスラムも含めて世界の五大宗教と言われるところの宗教の教義というのは、大体皆寛容な宗教だろうというふうに思いますね。 しかし、申し上げましたように、十八万幾つも宗教団体が日本の中にあれば、非常にその中にやはり排他的な宗教もあるわけですね。自分たちの教義あるいは宗教団体以外を全部否定すると、そういうふうな宗教もあるでしょうし、そして世界各国も、それは当然いろいろな原理主義というふうな言葉で非寛容のやっぱり宗教もあるんだろうと思うんですね。 その中で、ここに書いてある宗教に対する寛容の態度ということが尊重されなくてはいけないというのは、逆に読むと、それではそうした他教、他宗教を否定する、そういう宗教を否定するというふうな読み方になるんでしょうか。 ●国務大臣(伊吹文明君) いや、そうではないんじゃないでしょうか。あらゆる宗教に対して、宗教というのは心の中の問題ですから、自分がある宗教を信じているからといって自分以外の宗教に対して排他的な態度は取らないということを書いているわけです。 〔委員長退席、理事保坂三蔵君着席〕 ですから、何というんでしょうか、ある宗教が排他的な宗教だからその宗教を排除するという趣旨で書かれている条文ではございません、これは。 ●山根隆治君 一つのある種の矛盾がそこで出てくると思うんですね。 というのは、例えば自由という問題についても、自由を否定する自由もあるということの考え方ありますね。そして、自由を思想的に否定するだけではなく、それは行動に表れて、国家を転覆のぎりぎりのところで自由を否定する政権ができそうなときに、それでも自由を認めるのかという古典的な論議がございます。そういう論議と対照させて考えた場合、この宗教の寛容性ということについて矛盾はありませんか。 ●国務大臣(伊吹文明君) これは、例えばサリン事件で日本を騒がせたような集団、宗教集団は、国会の意思である法律によって非合法になっておりますね、今。 ですから、どの宗教が日本で認められるか認められないかというのは、その宗教的観点よりも、むしろ公益上、国民の安全とか安心とかという立場から、これは国会が決める法律によって判断していくわけですから、そうじゃないものについてはやはりこれを認めていくという理念法、一般法としての立法技術で書いていると。だから、例えば今の先生の例でいえば他国を尊重するという言葉が入っていますよね、基本法には。それじゃ、拉致をした北朝鮮を尊重するのかというのとよく似た御議論になってくると思いますね。 ●山根隆治君 この議論というのは非常に難しい部分もたくさんあるんだろうと思うんです。ですから、なかなか深められるようで深められない議論にもなりますけど、そういった問題というのがはらまれているというか含まれている、そういうことは是非御認識をしておいていただきたいと思います。 民主党案についてお尋ねをさせていただきたいと思います。 政府案ですと十五条でございますけど、民主党案ですと第十六条に「生命及び宗教に関する教育」ということが、記述がございますけれども、この政府案との違いということは、まあ文章の中よく表れているというふうに私自身は承知いたしておりますけれども、今後この基本法が何らかの形で、まあ日本国教育基本法案も成立というふうなことになっていった場合、これは政府案とそして民主案ではどのような展開、どのような違いが現象として現れてくるものなのかどうか、お尋ねいたします。 ●西岡武夫君 お答えいたします。 私ども民主党の日本国教育基本法案におきましては、まず政府の提出しておられます教育基本法の改正案と違っておりますところは、まず生と死ということについて冒頭に触れているわけでございます。これは最近のいろいろな社会の出来事、あるいは子供をめぐるいろいろな出来事を考えたときにおきましても、生に対する意義、死に対する意味というものをやはり学校教育を通じて、これは非常に難しいことでございますけれども、教えていく必要があると、このように考えて書き込んだわけでございます。それと、これまでどちらかといいますと、我が国の教育におきましては、宗教教育についてはできるだけ避けるといいましょうか、余り積極的に取り組んでこなかったということは事実であろうと思います。 しかし、これからの教育を考えますときに、やはり宗教、先ほど委員は五大宗教と言われましたけれども、世界の主な、代表的な宗教についての内容について子供たちにやはり教えるべきではないだろうかと。これを押し付けるということではもちろんございませんけれども、そういう知識として教える必要があるのではないだろうかと。そして、宗教的な感性というものをやはり涵養していくということが必要ではないだろうか。これは教育現場におきまして、それではどうやって死と生を教えるのか、あるいは宗教の問題について具体的にどのように教えるのかということになりますと非常に先ほど申し上げたように難しい問題でございますけれども、学校教育においてもこれは避けるべきではないと、このように考えております。 以上でございます。 ●山根隆治君 すばらしい御答弁をいただきました。 世界の五大宗教と言われたこのすべてが自殺というものについては否定をいたしております。ですから、私は、今、西岡先生お話にあったように、世界の五大宗教と言われる宗教がこういうような教義があるということだけでも教えることによって私は随分自殺というものに対する子供たちの認識というのは変わってくるんだろうというふうに思っております。一刻も早く日本国教育基本法案が成立することを私も心より願っているところであります。 さて、次に河合文化庁長官の休職の問題についてお尋ねをさせていただきます。 後任人事が決定もされたというふうに聞いておりますけれども、その経緯について、若干短く御答弁をお願いいたします。 ●国務大臣(伊吹文明君) 河合先生は私は大変個人的には親しくして、長年お付き合いをしていた方でございますので、一刻も早い御回復を祈っております。 ただ、残念ながら、意識不明の状態が今に至るもずっと続いておりますので、河合先生の任用契約期間は一月の半ばだったと思います。それまでの御回復を願って現在休職に、解職ではなくて休職にお願いをして、御承知のように、十一月にはいろいろ文化庁長官が直接出なければならない会合がたくさんございますので、陛下がお出ましになる会合を始めですね、いつまでも空席にしておくわけにいきませんので、近藤信司文部科学審議官をこれに充てたということでございます。 ●山根隆治君 これに充てたという意味は、近藤信司文部審議官が文化庁長官ということとは違うんですか。 ●国務大臣(伊吹文明君) これに充てたということは、文化庁長官に御就任いただいたということです。 ●山根隆治君 そうしますと、休職扱いにされているということで矛盾を私は感じるんですけれども、特に矛盾感じませんか。 ●国務大臣(伊吹文明君) 文化庁長官というお立場で休職にしているわけではございません。 ●山根隆治君 そうすると、復職の可能性があるというふうに見ていらっしゃる、期待をされているということでしょうか。 ●国務大臣(伊吹文明君) 一応期限付の契約に採用はなっておりますので、例えば一月の十五日までにお元気におなりになってお帰りになった場合は、どのような公務員としての職で働いていただくかは任命権者である私が判断すべきことでございます。 ●山根隆治君 お伺いするところによりますと、現在も意識の不明の状態が続いていらっしゃるということでございますけれども、任期一月十七日までに回復というのは現実的には考え難いんじゃないでしょうか。 ●国務大臣(伊吹文明君) 非常に難しいことだと思いますが、しかしお元気におなりになる可能性は否定はできないわけですね。 ですから、普通こういう場合は、余り長期になった場合は、その時点で御家族の御同意を得て、解職というんですか、職を引いていただくというのが本来のやり方なんです。しかし、得難い方に、御迷惑であったのかも分かりません、河合先生は私よく知っておりますから、時々一緒に飲んだりしておりましたから。あの方の御性格からすると、まあ随分務めてやってここまで御努力をいただいたわけですから、やはり契約期間の間は御回復を願って休職扱いにするというのがまあ普通の日本人の考え方じゃないかと思っております。 ●山根隆治君 一般職であれば、それはよく理解できます。しかし、一つの省庁のトップの方ということを考えてみると、いかがなものかという思いがしなくありません。 お給料については支払われているということで理解させていただいてよろしいんでしょうか。 ●国務大臣(伊吹文明君) 休職期間中の給与の扱いについては、必要であれば参考人からお答えをさせますが、減額その他の措置は講じられる可能性があると思いますが、全くお払いしていないというわけではありません。 ●山根隆治君 私は、惻隠の情も分かります。 ただ、先生の御経歴等を見させていただいたり、あるいはいろいろのお話聞くと、本当に評価が高い方ですし、国際的な学者でいらっしゃったり、それから非常に美意識の強い先生だというふうにお伺いしているんですね。であれば、私はやはり、規約上のいろんな措置というのは十分分かりますし、法的にも問題はないということも分かります。私も、給与等についても一応規則上はどうなっていくのかというのも自分なりに少し調べさせていただきました。 しかし、行政のトップにある方のやはり人事ということになると、それはやはり国民の目から見て国民の税金でのお支払ということになるということ、そして先生自身の美意識ということから考えて、私は、ダブル発令になるのではないかというふうな見方も一つはできますし、国民の目から見て非常に分かりづらさがあるのではないかということからすると、辞令といいましょうか、御辞職といいましょうか、そういうふうなことを、恐らく御本人がしっかりと意識を回復されたらそんなふうな措置を私自身は河合先生は考えられたんじゃないかなというふうな思いがするんですね。 そこのところについて、やはり御家族の皆様とも少し話し合われて、私はしかるべき措置をとられるのがいいのではないかなというふうな思いがございます。 ●国務大臣(伊吹文明君) やはり先生、失礼でございますが、御家族と十分話し合った上でのことでございますよ、これは。そして、河合先生の美意識からするとどうであるかということは、御本人は昏睡状態なんだから分からないわけですよ。ですから、一番それが詳しくやっぱり分かるのは奥様なんです。 失礼ですが、公務員の人事のことについては御通暁だと思いますが、御本人から辞表が出ない限りは解職という手続しかできません。これは河合先生の美意識に合うんでしょうか、今の先生のお言葉でいえば。ですから、奥様のお気持ちも十分伺って、そして河合先生のこの今までの御業績その他も勘案して、しかも、これが、一月の十七日と今先生おっしゃった、これまでの期間が非常に長いんであれば私もしかるべきことを考えたと思うんですけれども、まあ文化庁長官を発令いたしましてから三か月のことでございますので、奥さんのこのお気持ちを十分お話合いをした上でとった措置でございます。 あとは人事権者としての私の判断でございますから、いい悪いということは結果論としてポジションにいる者は常に、いいという褒めてくださる方もいられれば、悪いといって御批判をされる方もおられるでしょう。それは私が甘んじて受けるというのがポジションにある者の義務だと思っております。 ●山根隆治君 これは価値観の問題でございますから、私があえて指摘させていただいたのは名誉をどう守るかということでのやっぱり措置の問題で、それはもう判断は別のところありますけれども、問題を提起させていただいたということであります。 さて次に、今道徳教育の教科書を読ませていただきます、全部に配付しているのが、心のノートというものが各校、そして生徒に全部配られております。読ませていただきましたけれども、なかなかいいことは書いてあるけれども、しかし心になかなか届かないというふうな思いがいたします。それは、明治三十七年から、まあいろいろな分析ございますけれども、五期に分けて、一つの期が何年から何年かというのは必ずしも全部が明確ではありませんけれども、大体五期に分けられて修身教育というものが今日までいろんな改正される中で行われてきました。 修身というと非常にイデオロギッシュなイメージというのを私自身も持っていたんですけれども、しかし自分自身で少し読んでみましたら非常に心が揺さぶられるような、そういう記述もかなりやっぱりあります。それはどういうことかというと、修身そのものは日本人の先達の方々の伝記ですね。これを非常にコンパクトにまとめたもので、これを読んで、将来自分もこういうふうな人間になりたいというふうな思いが私は非常に出てくるものではないかというふうに思うんですけれども、道徳教育と修身教育についての違い、効果、これについてはどのようにお考えですか。 ●国務大臣(伊吹文明君) 今おっしゃった、いわゆる戦前の修身教育ですか、これは、この中を読みますと、家族愛だとか友情だとか博愛だとか、いいことはたくさん書いてあります。それは現在においても何ら間違ったことでは私はないと思います。 問題は、戦前の教育は一時期非常に不幸な事態があったということ以前に、日本の戦後の教育基本法と憲法の下では戦前の立憲君主国じゃなくなったということですね。そして、修身教育というものの根底は、当時、立憲君主国であった、天皇陛下の個人的なお言葉である教育勅語というものをベースにいわゆる修身の内容が構成されていると。 〔理事保坂三蔵君退席、委員長着席〕 ですから、極めて形式的な私は議論だと思うんですが、やはり戦後の民主主義の時代においては、国民が選んだ国会によって決められているものを基本に教育を組み立てるべきだという考えがあったということだけであって、修身の中に記述されている今に当然通用する徳目というものは、当然それは尊重して現在の教育をやるべきだとは思います。 ●山根隆治君 多分大臣はそんなに修身の教科書をごらんになってない、昔はどうだったか、御自身はどうか分かりませんけれども。 今、天皇の話がされましたけれども、それは本当にごく一部といいましょうか、例えば上杉鷹山、これは、ケネディ大統領が日本の記者に記者会見でだれを尊敬するか、日本人でと、上杉鷹山と。ほとんど記者は知らなかった、私もその当時知りませんでしたけれども。しかし、ある年齢以上の方はみんな知っていらっしゃる。それは修身の教育で出ていたからですね。 これはやっぱり、吉田松陰であるとか本居宣長だとか二宮金次郎だとか、そういうふうな日本の偉人と言われる人たちの伝記集ですよね。ですから、今、教育勅語云々なんというと、全くそういうふうなイメージのものとはやっぱり私は違うんだろうと思うんですね。 例えば、今現在でいうと、野球選手であれば野茂だとかイチローだとか、それから美空ひばりだとか。私は埼玉県ですけれども、渋沢栄一とか塙保己一とか、そういうすばらしい先輩がたくさんいらっしゃるわけで、それらの方々がどのように生きて、そして死んでいったかということを読むと、私は魂を揺さぶられるような思いというのは、子供たち自然に起きるんだと思うんですね。これは、今の道徳教育ではとてもちょっと考えられないと私は思っているんです。 実は、明治の四十一年にロンドン大学で国際道徳教育会議というのが開かれまして、そこで提出された日本の修身教育というのがもう各国の絶賛を浴びたという、これは歴史的な事実としてあるんですね。ですから、天皇云々ということとは全く違う角度からこれは見られたものですし、修身の教科書を見てみれば、私自身も非常にそれは感動して見ているんですね。ですから、こういうところについてどのように、これをそのまま、昔のものをそのまま復活するというわけには当然いかないわけですけれども。 私は、アメリカでも、レーガン時代にアメリカが荒廃している中で、レーガン大統領が日本の教育制度というものを勉強に来て調査して、調査団を出して、ベネットという代表の方が日本の修身教育をまねるように本をまとめられたものが実はあるわけですね。それが非常にベストセラーになって、一千万あるいは三千万とも言われる道徳読本というものができたという経過があるんですね。 これは、今大臣からも御答弁いただきましたので、この点について、修身教育について、日本国教育基本法との絡みの中で、提出者の方からお考えあれば聞かせていただけますか。 ●国務大臣(伊吹文明君) ちょっと済みません。誤解があるといけないから。 私は、修身の本はたくさん持っているんですよ、ああいう話は好きですから。ただ、私が先生にお答えしたのは、修身という、この戦前の修身教育というものとおっしゃったから、修身という言葉を現在の教育からなくしてしまった理由は、修身という言葉をですよ、なくしてしまったのは、さっき言っていたような、教育の、言うならば戦前は教育基本法に当たるものが教育勅語であったわけですよね。そういう経緯がありますよということを申し上げただけです。 ●西岡武夫君 お答えいたします。 委員御指摘の点は、私ども日本国教育基本法案におきましても、これから日本を背負って立つ子供たち、この子供たちがどのように育っていくかと。そして、その子供たちが、やはり今の現在の現代文明というのは病んでいるだろう、病に侵されているだろうと。これを抜け出ていくためには次の世代の子供たちの力によるしかない、その子供たちを育てていくのは正に教育の力にまつしかないと、こういうことを込めて、私どもの日本国教育基本法案におきましては前文において教育の方向というものを明記したわけでございます。 委員、先ほどお話がございましたように、修身をどう教えるかと、これは非常に難しいことであろうと思いますけれども、修身という言葉を使う使わないは別といたしまして、やはりこの社会を構成していく一人一人の国民が、非常に誤解を恐れずに申し上げますと、強い個人でなければいけないと。すなわち、自ら立ち、自ら律する、自立し、自律した精神を持った子供たち、そしてそれが成長した真の主権者、これによって初めて自由主義社会というものは保ち得るだろうと。ただし、世の中には自分の責任ではない不条理な、自分の責任ではない不条理な出来事によって不幸な立場におる方々がおられると。こういう方々に対しては、正に国民全体が連帯をして協力し合って生きていくんだと、こういう社会をつくっていくという気持ちを教育を通じて子供たちに教えていかなければいけないと。そして、その材料としては、教材としては、委員御指摘のように、既に歴史的に評価の定まった人物の伝記というのは非常に有効な教材であろうと、このように思います。 最後に申し上げたいのは、そういう中で、今の日本の社会あるいは世界の状況というものが子供たちにどれだけ悪い影響を与えているのかと、私ども国会議員一人一人の自らの姿勢も含めて反省していかなければ、子供たちに修身を説く、身を修める修め方を説くということは非常に難しいと、これは社会全体の問題であると、また政治の責任であると、このように痛感をしております。 以上です。 ●山根隆治君 ありがとうございました。 例えば、中国の古典でいえば大学とかあるいは小学というものがございます、相当膨大な本でありますけれども。そこまで古典として認められるところまで行けば我が国の道徳の教科書もすばらしいと思うんですが、なかなかやはり感情移入しづらいというものがありますんで、そういう意味では今後、大臣、是非修身ということについてもひとつ御研究いただきたいというふうに思います。 それでは続きまして、教職員の免許状の更新の問題についてお尋ねをさせていただきたいというふうに思っております。 実は、今、中央教育審議会の部会でこの更新制の導入について議論がされているんだろうと思いますけれども、しかし歴史もありまして、明治年間では小学校の教員について更新制というものを導入をいたしていましたけれども、その後やはりそれが不安定というふうなこともあって、いろいろな問題が惹起されてきましたので、それをやはり更新制というものをやめたという経過が実は歴史的にはございます。今どのようなやはり視点で議論がされているか、あるいは政府として持っていこうとしているのかよく分かりませんけれども、その更新制とあわせて教員の士気の問題、これについてはどう考えるのか。 例えば、アメリカですと、教育改革に成功したというふうに言われていますけれども、それはやはり教員に対する待遇の逆に改善というふうな方向に走ったわけですね。この辺のところ、アメリカの例、諸外国の例と比べていかがなものかと。まあ私たちはどうも何か欧米に少し後れてから行くから、何か一周後れみたいな感じで、また変なことを追っ掛けるということが結構ありますよね。ですから、そこのところが少し、アメリカ等が逆の方向で教員を待遇というのか厚遇していくということで教育を取り戻そうと、そして取り戻してきたというところに、今度は我が国は逆の方向に走ろうとする。この辺の問題というのは矛盾じゃないんですか。 ●国務大臣(伊吹文明君) まず、基本的に私の思いを申し上げますと、私は制度を変えるということは余り好きじゃないんです。本来、その制度の中で活動をしている人が十分の自己抑制と規範意識を持って制度を動かしてもらい得れば、制度なんて変えなくていいんです。ところが、制度を変えると……(発言する者あり)ところが、いろいろ不規則発言がありますが、残念なことに、制度を動かしている人たちにそうじゃないことが起こった場合に、制度改正という議論は必ず起こってくるんですよ。そうすると、ある部分では改正の目的が達成されるんですけれども、別の部分で必ずサイドエフェクトというんですか副作用が出てくるということが、これは繰り返しなんですね。 ですから、まずなぜこの免許の更新制という議論が出てきたのかということ、これをやっぱり当事者がしっかりと受け止めねばならない、これがまず第一点ですね。そして、確かにこれをやるとメリットとデメリットが出てきます。まあ云々、端的に言えば、時代のスピードが非常に速過ぎますから、今。免許を取られたとき以後の研修あるいは自己成長の努力が不十分であると、現実にやっぱり追い付けないという部分が出てきますから、そこで免許の更新時点でその能力を測定するということが一つあります。しかし同時に、もう一つの観点は、先生がおっしゃったデメリットの部分でいえば、極めて教師という職は見方によっては非常に不安定になってきていますね。それが教える者の心情にどういう影響を与えるかということ、これもよく考えておかねばならないし、今年の予算編成で教員給与をどうするかということがあるんですけれども、やはりこの辺りの問題が決着を付くまでは、私は文部科学大臣をお預かりしている限りはそう簡単に人件費を削減するということはできないというのが私の基本的な立場です。 ●山根隆治君 前総理は米百俵の話をして教育改革に燃えるということ、まあ全然実績なかったですけれども、その後、安倍さんになって、教育改革なんだか改悪だか分からないような、将来を本当に展望してのこれは検討事項なんだろうかということが非常に私自身は心配、憂慮するものでございますので、取り返しの付かないことですから、教育で失敗しますと。ですから、この辺は是非逆なやはり措置、どのような制度を変えてどうなるか分かりませんけれども、逆にやはり、もう少し教員というものを大事にしてやっていく、働きやすい環境をつくる、あるいは給与面でもそれなりのやはり待遇等を確保するというような逆な検討というのは僕はあり得るんだろうと思うんですね。そういうのは是非トータルに見ていただきたいというふうに思います。 具体的に、ペーパーティーチャーのことをちょっとお尋ねをいたします。 大体、ペーパーティーチャーの方、一千万人いらっしゃるというふうに言われているわけですね。もし更新制というふうなことになりますと、その事務量というのも大変な手続が必要となってくるわけですね。この辺の問題。 そして、もう時間がないからまとめてお尋ねいたしますけれども、民間に勤めている場合、更新制があった場合に、有給休暇で実際やっていくという可能性が高いんだと思うんですけど、民間の人たちの措置ということについてはどのように考えるか。民間企業に対しての何らかの措置というものを要請するのか。あるいは公務員の場合に、講習、研修の期間というものが、一定、何日間か求められるとすると、その間の扱いというのはどのように、その日程、時間を確保するというふうなことを考えられるのか。その点についてお尋ねいたします。 ●国務大臣(伊吹文明君) まず、いわゆるペーパーティーチャーというんでしょうか、免許は持っておられるけれども教職に就いてない方、これは六十歳以下の先生に限って言うと四百万人と言われておりますね。 中教審がこの免許制のことについて答申をした内容を読んでみますと、ペーパーティーチャーについては、定期的に免許状を更新する必要はなく、新たに教職を志望するなど免許状の再取得が必要になった時点で講習の受講を修了することが適当であるという答申をしておられます。ですから、ペーパーティーチャーでいる限りは実質的な対象にはならないというふうに考えていただいて、中教審のお考えはですよ、結構だと思いますし、それからどういう形で児童と接していただく時間に影響を与えずに研修を受けられるかということについては、これは、夏休み、冬休みをどういうふうに利用するかと同時に、研修の場所が必要ですから、全国の旧師範学校ですね、教育大学を使って、できるだけ授業その他に支障の来さないようにやるということですが、それ以前に、やるかやらないか、やるなら何年でやるかということをまず国会で決めていただかなくちゃいけないわけですよ。ですから、ちょっとまだそこまでお話をするにはまあ早いだろうと私は思っております。 ●山根隆治君 終わります。 |