山根隆治君
 ゆとり教育の問題についてまずお尋ねをさせていただきたいと思います。

 国会はちょっとゆとりがないんですけれども、教育の問題ということで御理解をいただきたいと思います。

 一九七七年の学習指導要領がゆとり教育の始まりでございました。その後、さらに二〇〇二年に全面改訂をされた新学習指導要領でゆとり教育が更に進められたというふうに理解をいたしております。その結果、この二十五年間で学習内容というものは四割から五割程度削減を量的にされてきたということになっておろうかと思います。こうしたゆとり教育の大転換をされてきたいろいろな経過もあったわけでございます。

 当時のマスコミ、識者等、もろ手を挙げて賛成する、そういう風潮の中でこうしたかじ切りが行われたわけでございますけれども、ここに来て、このゆとり教育の成果というものあるいは反省すべき点、状況についてお尋ねをいたします。

国務大臣(遠山敦子君)
 子供たちが時間的あるいは精神的な余裕を持って伸び伸びと勉強するということは大変大事なことだとは思います。しかし、余りにそのゆとりというものを強調し過ぎますと緩みにつながるということも懸念されるわけでございます。

 今、委員御指摘のように、ゆとりといいます観念といいますか、あるいはゆとりを持ってというような言葉が、二十世紀の終わり辺りにメディア、有識者、経済界、あらゆる人がもろ手を挙げてゆとりゆとりということを言っていたわけでございます。それは、日本が経済的に世界のトップに立って将来を見通したときに、より創造的にできるような、そういう子供たちが欲しい、あるいは受験勉強に明け暮れないようにというふうなことも背後にあったかと思います。

 しかしながら、子供にとって本当に大事なのは、私は、確かな学力を身に付けてくれることと豊かな心を身に付ける、この二つが教育の重要な車の両輪だというふうに考えております。

 そのようなことから、新しい学習指導要領の下に昨年度からそれぞれ授業が行われつつあるわけでございますが、授業時間数、諸外国と比べましてもやや減り過ぎているなと私も思わないでもないわけでございますし、何より大事なのは、本当に確かな学力を身に付けるためには、基礎・基本をしっかり身に付けた上で自ら考え、自ら行動し得る、そういった本当の意味の力、それは学ぶ意欲とか学ぶ習慣と、そういうことも大変大事なわけでございまして、そういった本当の意味の力を持てない子供たちが将来、この困難が予想される二十一世紀をしっかり生き抜いていくとは思えないわけでございます。

 そのようなことから、昨年の一月に「学びのすすめ」というのを出しまして、各学校の実態に合わせて、必要があれば補助授業でありますとか、あるいはいろんな工夫をしてやってよろしいということで、各全国の教育委員会を通じて学校に対しても私どもの考え方を示したわけでございます。

 新学習指導要領の中には、今申しましたような確かな学力というものについての定義はございますが、ゆとりという言葉は一言も出てまいりません。私は、そのことを考えますと、今の時点で大事なことは、本当の意味での確かな学力というものを身に付けさしてやる、そして同時に豊かな心を持たせてやる、このことをいかに実現していくかということではないかと思っております。

 そのようなことから、現在、中央教育審議会におきましてもいろんな御議論が進められております。指導要領といいますものが国の示す最低基準ということで、各学校、先生、そして教育委員会、それぞれが実態に応じてしっかりとやっていただくように、そのような大きな転換期を今迎えていると思っているところでございます。

山根隆治君
 今、大臣からは、確かな学力、それから豊かな心という二つのキーワードがあったように思います。私自身も子供二人、二十二と今十九歳になる娘がいるわけでございますけれども、学校のせいにするわけじゃないんですけれども、豊かな心は持った子供に育ったような気がするんですが、確かな学力に欠けているかなと思っておりますが、これは学校のせいにするつもりなくて、家庭内教育の問題だったというふうに思っているんですけれども、やはり国の大きな方針とか親の教育方針というものが子供に決定的な影響を与えるというふうには思っております。

 そこで、今、お言葉にはありませんでしたけれども、不登校であるとか暴力行為、それから対教師への暴力ということも後を絶たない、むしろ増えている傾向に歯止めが掛からないというのが実態だろうというふうに私は思います。

 私もアメリカに何度か行ったことがございますけれども、当時のアメリカ、かなり学校教育の中で非常に悩んでいたところ、時代でありましたし、中学校でもかなりひどいような状態だったということをよく記憶しているんですけれども、アメリカは一九八三年に「危機に立つ国家」という報告書も出しました。むしろ日本の教育にこれを学ぶべきだということで、当時のレーガン大統領が、児童中心の教育から、これからは教師主導型の教育ということに重点を大きく移しました。

 同じくイギリスでも、当時、サッチャー首相がこの教育ということについて非常に力を注ぎまして、日独米との経済競争に勝つためにも教育改革に取り組まなくてはいけないという宣言の中で、いわゆる、今思うと、日本が当時国内の教育論議の中で少し教育過剰というか、厳し過ぎる受験競争、受験地獄というところで意識していたとき、むしろそれを目指すというか奨励するような、そういうかじ切りを期せずしてアメリカとイギリスが行ったということでございます。それを契機として、子供の学力が非常に目に見えて向上してきた。

 あるいはまた、そうした国の大方針の中で、当時のニューヨークの市長も、ニューヨークの犯罪について、これを犯罪都市から大変貌させて、安定した安心のできる都市というものにニューヨークを変えていったということが実はありました。

 そういうことをちょっと今考えてみますと、果たして、ゆとり教育という言葉は使われていないということでございますけれども、当時のそうした社会、日本社会の中での論議というものに大きく影響されて、ゆとりある教育ということで、そのカリキュラムの中でかなり時間的なゆとりを持たせるようにということをされてきて、土曜日の休み、週五日というところにも踏み切ってこられたかと思います。

 そういうことを考えてみると、欧米ということでくくることはできませんけれども、少なくともアメリカやイギリスの道と我が国はちょうど逆になっていたようなふうにも私自身は思うわけでございます。やはり忍耐であるとか努力であるとか、そういう力というものを子供にも持たせなくてはいけない。鉄は熱いうちに打てということもありますけれども、ゆとり教育という言葉の中でどうもその辺が勘違い、誤解があって、子供というもののしつけ、そして強制というものの中で子供が実は忍耐とか努力とかそういうものを学んでいくわけでございまして、ここがおろそかになったような気がしてならないわけでございますけれども、この点についてどのようにお考えになりますか。

副大臣(河村建夫君)
 今、山根委員の御指摘、私も伺いながら、確かに御指摘のような点が今の日本に指摘をされていることを承知をいたしておるわけでございますが、現に、今御指摘がありましたように、アメリカの教育、あるいはイギリス等々の先進国が教育の方針を変えてきたと、むしろ日本に見習って変えてきたと。日本はまた、かつてアメリカやイギリスが失敗した後の方へかじを切ろうとしているのではないかという御懸念もありやというふうにも思ったわけでございますが、日本の今目指しておるゆとり教育と言われるそういうものは、大臣からも御答弁あって、お話があったとおりでございまして、決して緩みがあってはなりませんし、かといって、かつてのような過剰なといいますか、上から押し付け、画一的であり、かつ偏差値で輪切りをするような教育、これに対する反省から、もっと時間的なゆとりとか心のゆとりとか、そういうものが必要ではないかと。単なる学力だけが人間ではないと、人間の価値を決めるものではないと。

 むしろ日本は、ライシャワー元大使辺りは、日本は十八歳で人生が決まってしまう、どこの大学に入ったかというだけで決まってしまうような傾向がある、少しおかしいのではないかというふうな指摘もあったりして、そういう反省もあって、本当の意味での人間力のある、学力のある、そして豊かな心を持った人間をつくろうという方向へ、確かにその方向へ、画一的な教育から個性のある教育というふうに学習指導要領等の改訂も行ってきたところでございます。

 したがいまして、かつてのアメリカが非常に自由に、あるいは地方主権といいますか、州にほとんどの権限を移譲したところが、各州で非常な学力の差が付いて、これを修正するのに大変苦労したというようなこともあるわけでございます。

 そういう意味で、今回の日本が正に改訂をしながら通ってきた姿というものは、アメリカが、あるいはイギリスがかつて踏んだようなものと違って、やっぱり日本は日本のやり方で、正に人間力、豊かな心、そして確かな学力を持った教育への方向を目指しておるということで御理解をいただきたいと思います。

山根隆治君
 事前に御質問、御通告させていただいているところでございますけれども、人間と性教育研究協議会というのはどんな団体だか御存じでしょうか。

政府参考人(田中壮一郎君)
 ただいま先生のお話のありました団体につきましては、直接私ども、任意団体であって、その具体的な内容に関しましては把握をしておらないところでございます。

山根隆治君
 お立場からそれはお話がなかなかできないだろうと思いますけれども、高崎経済大学の助教授の八木先生が新聞に投稿されていた問題が実はございました。この人間と性教育研究協議会が非常に大きな影響を与えているということの中で、御自分の子供さん、小学校になる、四年生になる子供さんの授業を見たときに、もうびっくりしたということで、母親が、奥様が授業参観されて御主人に話された、御主人とは八木先生でございますけれども。

 そこの中で言われているのは、保健の時間に子供たちがセックスセックスと言って、連呼を先生からさせられているということがございました。それから、女性用の生理用品が男子にも配付されて、色水を含ませる実験をした挙げ句に、生理用品を家に帰ってお父さんに上げなさい、そういう指導をされた。教師は黒板に男女が裸で抱き合った絵を張り、恥ずかしがって目を伏せる子供たちに、顔を上げろ、上げて見ろということで強要をする。そして、セックスは気持ちがいいというふうに教えられている。さらには、男と女の組合せ以外にも男と男、女と女の組合せがある、そういう説明、授業があったということで驚愕をしておられる。そんな投稿記事を私読んだわけでございますけれども、こうした例というのは枚挙にいとまがないものなんでしょうか。情報として承知されているかどうかお尋ねします。

政府参考人(田中壮一郎君)
 今、委員御指摘いただきましたように、学校における性教育につきまして、最近、国会あるいは報道機関等において、不適切な性教育が実施されている学校があるのではないかということで、いろいろ具体的な御指摘がなされておるところでございます。

 文部科学省といたしましては、これらを踏まえまして、現在、これまで指摘されているような学校を中心に、当該都道府県教育委員会に対しましてその実態の調査を依頼しておるところでございまして、その実態調査を踏まえまして適切に対応したいと考えておるところでございます。

山根隆治君
 いつごろまでにということですか。

政府参考人(田中壮一郎君)
 現在、まず東京都の教育委員会におきましては自ら実態調査に乗り出されておるわけでございますけれども、私どもといたしましては、夏休みが明ける前までぐらいには何らかの報告をいただければということで依頼をしておるところでございます。

山根隆治君
 そして、その実態調査に基づいて検討されると思うんですけれども、想定としては年度内にいろいろな、政策的にまとめていく、対応策をまとめる、こういうことでよろしいんですか。

政府参考人(田中壮一郎君)
 先生御指摘のように、学校におきます性教育につきましては、学習指導要領にのっとりまして、児童生徒の発達段階あるいはその受容能力を考慮いたしまして、また保護者の理解を得ながら行うことが大切であろうというふうに我々考えておるわけでございまして、今後様々な機会を通じまして各都道府県あるいは市町村の教育委員会に対しまして、それぞれの教育委員会が設置する学校におきましてどのような性教育がなされているのか、それを十分に踏まえて適切な性教育が行われるように必要な指導、助言を行っていただくように、文部省としてはまずそういう指導の徹底を図ってまいりたいというふうに考えておるところでございます。

山根隆治君
 先ほど、私、触れさせていただきましたこの協議会の影響というのは非常に大きいということでございますけれども、これはそれぞれいろいろな情報が飛び交っておりますけれども、結婚制度とか一夫一婦制さえ否定をするような活動があるところもございますし、非常に根源的な問題、教育の根源にかかわるような問題でございますので、これはもう早急に手を染めていただかなくては、着けていただかなくては実は大変なことになるというふうに思いますので、この点についてはしっかりと対応策を御協議をいただきたいということを要望をいたしておきたいと思います。

 次に、これも新聞報道でございましたけれども、既に副大臣が国会でも御答弁をされておられるようでございますけれども、いわゆる北朝鮮による拉致事件、これを学校で取り上げるということの問題について、衆議院の方でいろいろと御議論があったようでございますけれども、この拉致事件、人権の問題として教科書にも取り上げる、あるいは取り上げるところがあれば、それについてはこれを是認していく、容認していくというふうなお考えというふうに理解していいんでしょうか。

 この問題について、副大臣が国会で答弁されていますので、見解を改めて聞かせてください。

副大臣(河村建夫君)
 この拉致の問題、やっぱり重大な人権侵害であるという認識でこの問題を取り上げていく。これは真相解明の途上であることもありますので、そういう配慮というのはやっぱり必要であろうと、こう思います。

 そして、これを学校教育の場でどのように取り上げていくか否かというような問題。取り上げる場合には、これを人権教育の一環として位置付けるかどうかについても、各教育委員会、さらに学校が児童生徒の発達段階とか、発達段階や学校、地域の実情に配慮をして適切に判断して対応すべきものであろうと、このように考えております。さらに、この問題については、教職員研修の内容についても教育委員会等が主体的かつ適切に判断しなければならないと考えております。こういう点を十分留意した上で、拉致被害者の問題を一つの人権課題として取り上げて学校での指導や教職員研修を行うことはあり得るものであると考えております。既に一部の学校では拉致被害者による講演を行う、また拉致問題に対する学習、そういうものの取組がなされておるというふうに、現実にそういうふうに取り組まれておることも承知をいたしております。

 そういうことで、学校において、この社会的事象の取扱い、こういう一般のニュースとかそういうものの取扱いについては、やはり児童生徒等の発達段階に応じて適切な指導をするということが非常に重要でございますし、さらに事実を客観的にかつ隔たりなく正確に伝えるということが非常に大事であろうと、こう思っておりますので、拉致問題については各学校において、生徒の発達段階あるいは学校の実態、それから児童生徒が公正な判断ができるような、このような指導をしていただきたいと、そのことが非常に大事であろうと、こう思っておるところでございまして、適切なお取組を願いたいと、このように思っております。

山根隆治君
 私は、際物といいますか、いつも今日的な問題から教育というものの素材にしていくということが、子供の教育への関心の度合いというか、非常に高まっていくものだろうと思います。そういう意味では、非常に今微妙な段階であって取上げ方難しいかとは思いますけれども、これだけマスコミに大きく報道されている問題でございますから、非常に子供もこういうものを学んでいきたいというふうな思いもあろうかと思いますので、是非私は積極的に取り上げていくべきではないかというふうに思っております。

 しかも、これは日本の人権ということだけじゃなくて人権一般を考える上でも、あるいは国のありようということを考える上でも幅広いテーマになってくるわけでございまして、一つの事象というものを上から見たり横から見たり下から見たり、様々な見方を是非子供に覚えさせるということに、生きた教材に私は十分なり得ると思いますので、是非積極的にこの問題を取り上げていただきたいと思います。

 北朝鮮も、どこの国でもそうですけれども、光と影がある。影の部分も教える必要があるだろうし、そしてまた悲惨な国民の状況ということも教えてそこから何がしかのものも感じ取らせる、そういうバランスの良い私は教育テーマというものを考えていくべきだろうというふうに思いますので、拉致の問題についてはしっかりと取り上げていくべく、私は提言を改めてさせていただきたいと思います。

 次に、フリーセル保育というのは御存じでございましょうか。

政府参考人(近藤信司君)
 一般にフリーセル保育をどういう概念、定義であれしているかということにつきまして私ども必ずしも承知はしていないわけでございますけれども、例えば松戸市などでは、子供と大人の自立並びに地域の連帯を主目標にした松戸市こども育成計画と、こういったものを平成十年三月に策定をし、その目標の下にいろんな保育方法を実践をしていると。

 フリーセルというのは、自由、フリーダムと、安心、リリーフ、そして自信、セルフコンフィデンス、ちょっと発音が悪くて恐縮でございますが、それを合わせた造語であるというように承知をいたしております。

山根隆治君
 私は事前に調査を徹底して質問したんじゃないんで、今初めて伺って、ああそうなのかということで実は理解したような次第でございますけれども、これも平成国際大学の学長の中村勝範先生が産経新聞の「正論」に投稿されている中で紹介されておりました。子供も大人と対等であるというふうな物の考え方の中から、おやつや食事の時間にも選択の自由を幼稚園児に認めたり、言葉遣いやあいさつ、はしの持ち方などへの指導というものもないがしろにしたということで問題が指摘を中村先生もされていたということでございます。

 保育園、幼稚園、それぞれ、厚生労働省、文部省の所管の違いというもの、いろいろと論議もございますけれども、そういう中では、私はこのフリーセル保育ということについても決して無関心であってはいけないというふうに思っているわけでございますけれども、今後こうした幼稚園等における教育というものについてはどのように容喙をどの程度されていくおつもりなのか、聞かせてください。

政府参考人(近藤信司君)
 今、先生が御指摘になりました産経新聞の「正論」の記事でございますが、若干正確でないという部分もあるんだろうと思っております。

 私ども、必ずしもこの千葉県松戸市の保育園におきます保育方針、これは厚生労働省の所管でもございますし、十分承知をしていない部分がございます。また、直接にはその是非についてお答えをする立場にはないんでありますけれども、この新聞、この記事を見ますと、文部科学省が委嘱をした財団が作ったパンフレットの記事が紹介をされておるわけでございます。

 その観点で少し申し上げますならば、確かに、この財団法人日本女性学習財団、これは文部省所管の、文部科学省所管の法人でございますが、「新子育て支援 未来を育てる基本のき」と、この中で千葉県松戸市のそういったフリーセル保育について一つの例として紹介をしておるわけでございます。

 ただ、このパンフレットそのものにつきましては、昨年来、誤解を招く記述があり、行き過ぎがあるんではないかと、こんなような御指摘もいただいております。この作成した趣旨と必ずしもこの記述がうまくマッチングしていない部分も確かにあるんだろうと思っておりまして、私どもは、そういった御指摘も踏まえまして、都道府県教育委員会等に対しましては、こういった資料が正しく理解されないおそれがあると判断される場合には利用を差し控えるなど、地域の実情に応じて適切に対応するよう周知をしているところでもありますし、当財団からも、資料配付をした教育委員会等に対しまして、決してこの資料は特定の考え方を押し付ける趣旨で作成したものではないということ等につきました、説明した文書を送付をして理解に努めているところでございます。

 いずれにいたしましても、私ども、そういった趣旨で今後とも適切な対応をしてまいりたいと考えております。

山根隆治君
 教育のありようということをいろいろと模索を文科省もされておりますし、識者もしていますし、当委員会でもいろいろな御議論ございます。

 私がやはり根本的に考えているところは、語源的に知恵というのは、平等相、平等な部分、共通したもの、人間だれしもが持つ人間の個人の尊厳、そしてもう一つは差別相というか違い、相違ですね、その二つをやはり見詰めていくということが大事であると思います。ですから、その人間だれしも共通した個人の尊厳ということだけを余りに押し広げ過ぎると、子供の本当の教育というものがおざなりになって、校内暴力であるとか、いろいろな問題を私も惹起しているんだと思います。

 ですからこれからは、やはり鉄は熱いうちに打てというか、子供のときにしっかりとした家庭教育も学校教育もある意味では厳しいものであってしかるべきであろう、そうして社会的な常識というか、そういうものを、人間としてのありようというものを身に付けさせた上で、そして後は個人の人格の自由な発展というものを促すというところに進めていくべきであろうと思います。そこのところを取り違えると大変なことになってしまうし、今またそれがなりつつあるというふうに私自身は考える次第でありますけれども、最後に遠山大臣の、そうした私の物の見方、考え方について反論があればお聞かせをいただきたいと思います。

 もう一度申し上げますと、人間の平等性、そして相違、違い、それを履き違えてはいけない。違いは違いとして認めていく。能力とか個性とか、そういうものはみんな個々によって違うわけですから、個人の人格を徹底して尊厳を認めるということと同時に、違いというものを認めて教育というものに取り組むべきだと、こういうふうな考え方です。

国務大臣(遠山敦子君)
 私は、山根委員がいつも本当に教育についての信念を吐露していただくことに敬意を表したいと思いますが、今のお話も本当に同意する気持ちが強いわけでございまして、これまでの日本の教育、非常に優れた面もあったわけでございますが、余りにも画一的あるいは平等、結果的な平等ということを重視してきたことの問題点というのは幾つか出てまいっております。

 それぞれの子供たちがいろんな天性を持って生まれてまいっております。伸びる子はどんどん伸ばし、理解の遅い子にはしっかりと手を掛けて自信を持って学んでもらう、そのように一人一人の個性、能力というものに応じた教育をやっていくというのが新しい教育の在り方ではないかと思います。

 その意味で、今進めておりますのが教育の構造改革ということで、パンフレットにもまとめさせていただきましたのでまた追ってお届けしたいと思いますけれども、画一と受け身から自立と創造へということで大きく歩を進めていくべきだと思っております。

 そのためのいろんな取組も行っているところでございまして、一人一人が本当に輝く、そのような存在であるために、学校あるいは教員、そしていろんな行政の仕組み等もしっかりとその方向に向けて力を注いでいく場面であろうかと、そんなふうに考えております。

山根隆治君
 厳しい教育ですね。

国務大臣(遠山敦子君)
 そうですね。その意味では、しつけるべきことについてはしっかりとしつける。最近のいろんな事件ございますけれども、多くの問題は私は大人、親、特に親でございますけれども、あと先生も含めて、しっかりとしつけるべきことはしつけていく、そのようなことが大事だというふうに思います。