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●山根隆治君 奥島先生におかれましては、検討会議の座長をなされておられたということで、全体を俯瞰されるお立場であったかと思います。そういうお立場からお伺いをさせていただきたいと思いますが、留学生について先ほど御発言がございまして、十万人計画がほぼ達成されたということでございますけれども、しかし一方では、東南アジアの学生、留学生は伸び悩んでいる、あるいは減少している、そういう傾向にあるわけでございまして、全体としても、ここのところ数年増える傾向というのは顕著なものがないというふうに私は認識をいたしているわけですけれども、これらの要因についてはどのようにお考えになられるか、お尋ねをいたします。 つまり、日本国全体の魅力あるいは経済力の低迷ということに原因があるのか、あるいはまた、宿舎等の施設等での問題というところに要因があるのか、その辺どのような御認識をお持ちなのか、お伺いいたしたいと思います。 ●参考人(奥島孝康君) 今の御質問については、私はこのように考えております。つまり、日本の留学生に対する待遇が主たる原因ではなくて、日本の学問的なレベルが主たる原因であるというふうに考えております。 今、私たちが考えなければいけないのは、留学生に対する経済的な支援というもの、十分だというふうに私が思っているわけではありませんが、しかし、だからといって他の国と比べてこの奨学金制度というものが低いというふうには私は認識いたしておりません。そしてまた、いろんな問題がありますけれども、つまり国内においてアジアの若者たちに対して日本人の対応というものが十分温かいものであるかどうか、こういう点について、反省しなければいけない点は多々あるかと思います。 しかし、決定的な問題というのはやはり日本の学問的なレベルでありまして、日本に彼らがやはり学問に来て、そして得るものがあるか。例えば、日本に来て博士学位というのが取れるかというようなことを考えてみますと、いまだ日本のレベルは彼らにとって魅力的な学問レベルにはなっていないし、またシステムとしても、彼らに十分学位を与えるための指導と、それから短い期間で学位を与えるという、そういうふうな、何といいますか、方向性というのが見えていない、そこに一番大きな問題があるのではないかと私は思っております。 ●山根隆治君 次に、清成先生にお尋ねをさせていただきたいと思います。 欧米などでは、大学生あるいは院生含めまして、非常に社会経験のある学生が相当数、日本に比べて多い。つまり、ある国では半数を超えるような学校もあるというふうに聞いているわけでございますが、我が国におきましても社会人の就学が非常に高等教育の中で増えてきているということは非常に歓迎すべきことかと思います。 奨学金制度にかかわりまして、これらの社会人学生の評価、そしてこれからの展望を持つ中での課題についてどのようなものがあると認識されているか、お尋ねをいたしたいと思います。 ●参考人(清成忠男君) 学部のレベルよりも、どちらかといいますと大学院のレベルで社会人学生が増えているわけでございます。この主要な目的というのはやはりキャリアチェンジということでございまして、そのキャリアアップに対して投資をすると。したがって、自分で自分に投資をするという教育投資という考え方ですね。 これまで日本の場合に、大学に入る、それはどこそこの大学を卒業すると就職に有利になるといったようなことで、学力を付けるという意味ではなくて大学を卒業するということが目的となっていた投資なんですね。しかし、社会人の場合には自分で自分に投資をするということになっていますから、本格的に教育投資という考え方が日本に出てきたというように思うわけでございます。 先ほどもちょっと御指摘ございましたけれども、専門職大学院等、授業料がどんどん高くなっているわけですね。例えばアメリカのビジネススクールですね、ハーバードでもスタンフォードでも、大体二万六千ドルから二万八千ドルぐらい、三百万を超えるわけですね。これは、いったん大学を出て社会人となって、もう一回ビジネススクールに入るという場合、日本円に換算しますと三百万を超えるような授業料を負担するわけでございますけれども、しかし、ビジネススクールによっては年間六百万円とか、一番高いデューク大学などは二千万円ぐらいの授業料を取るということになるんですね。これは、授業内容が非常に高度化すると。一般的に、例えば金融工学等を含めて経営資源も非常に高度化していくということになってきますから、少人数教育でいい教員を付けるということになってきますと、どうしても授業料が高くなるというわけですね。 したがって、そういう場合にどう対応するかということになってきますと、これはごく最近の現象ですけれども、投資機関が実は登場するというわけですね。投資家からファンドを集めまして、そしてその学生に対して投資をする審査をするというようなことですね。これまでのキャリアがどういうものであったのか、それからこれから入る大学院というのはどういうところであるのか、それから将来の目標は何か、それから将来発展すべき能力を持っているかどうか、それを見極めて投資をするわけですね。これはローンではないわけで、一種の育英投資というような形ですね。したがって、返還もその大学院を卒業してから、社会人となって十年間の年収の何%ということで回収するということになってくるわけですね。したがって、審査の目が鈍っていて無能な人に投資をした場合には大損をするし、その反対の場合には非常に利益が上がるといったような、こういう全く新しい投資という考え方が出てきているということなんですね。したがって、従来の奨学ということをベースにしたような奨学金と制度がだんだん変わってくるということですね。 それからもう一つ、したがってこういう状況下ですと、留学生にしてもセレクトして入れるということになるんですね。例えば、テキサスのライス大学というのは一流の研究型大学として、小さい大学ですけれども有名なところなんですね。そこの大学院生、実は四十数%が中国人ですね。そのほとんどが北京大学と清華大学の出身で、だから中国の天才たちを集める。それから、二番目の国が実はインドなんですね。これも七、八%になるわけですけれども。そういう天才たちをセレクトして集めて、そこにまた集中的に奨学金を出すということですね。実は、こういう人たちが卒業してから活躍しますと大学に寄附をする、その大学の基本財産、エンダウメントというのは非常に増えてくると、こういう循環になるわけですね。 したがって、やはり日本の研究水準が高ければ、日本の大学の研究水準が高ければ非常にいい留学生は集まるはずなんですね。しかし、今のところそこまではまだまだいっていないということで、差し当たりは日本の社会人がキャリアチェンジということを目標にしてやってくるということで、恐らくその次の段階で相当に高水準のビジネススクール等ができていって、優秀な留学生を選択して集めるというような順にやはりなっていくんだろうというふうに思います。 ●山根隆治君 非常に刮目される御意見をお聞かせいただきましてありがとうございました。 横山先生にお尋ねをさせていただきたいと思います。 高校生の奨学金制度についてでございますけれども、これはその時々の教育長であるとか、あるいは都道府県知事の考え方によって、思想によってかなり私は左右されてくる面もあるのではないかということからすると、都道府県で既にもう行われているということでありますけれども、その辺のミニマム的なコンセンサスというものが果たして奨学金ということについて取り得るのかどうか、その辺の不安定感はないのかどうか、東京都知事のお考えはよく承知しておりますけれども、全体を見て、各都道府県を見てどのようにお感じになられましょうか。 ●参考人(横山洋吉君 先ほど言いましたように、既に大方の都道府県で独自の奨学金制度を運用しておりますが、また実際そのエリアエリアで考えますと、日本育英会の育英奨学事業が一番シェアとしては大きいわけです。それが各都道府県に移管をされると。現在は三つの県で全く単独的な奨学事業やっておりませんが、多分ここでも今の状況を考えますとやらざるを得ない。当然やっていく方向に行くだろう。ただ、実際に今度は都道府県事業として実施をするわけですから、当然のことながら、都道府県の個々の実情に応じた制度設計というのが前提になっていく。 ただ、今、先生が知事の意向云々と言いましたが、じゃ、地方自治体は当然議会も関与する話で、そういったそれぞれのエリアの、地区の子供たちのあるいは経済的な状況、それから進学する学校の授業料等の状況、これらを勘案しまして必要な奨学金の額というのは当然算出されますでしょうし、それぞれの貸付要件につきましても、それぞれの団体の実態に応じた審議がされ決定をされていくと、私はやっぱり合理的な決定がされていくと考えています。 ●山根隆治君 最後に、三人の先生方にそれぞれ経験的なお話で聞かせていただきたいんですが、いわゆる遅咲きの子供たち、生徒、学生を発見でき得るすべというのは経験的にどんなものがございましょうか。 ●参考人(奥島孝康君) 大変難しい問題でありますけれども、私は、人間の発達段階というのは非常に個体ごとに違うというふうに考えておりまして、今の一律の学校制度で、同一年齢は同一でもって進んでいくというそのシステムが余り過度に使われるということは、遅咲きの子供たちをつぶしていくことになるというふうな感じを持っているわけです。 つまり、一人一人の発達の過程が違うわけでありますから、したがって、ある子供は要するに小学校の課程を何も十二歳で終わらなくても構わないんだというアメリカのような社会の在り方というのは、それぞれの個体に着目した、その成熟度を十分考慮したシステムになっているというふうに思います。その方がはるかに私は人間に優しい社会をつくり上げている。 そしてまた、現在、御存じのように、社会はどんどんと生涯学習社会へ移行しております。特に我が国は少子高齢化が激しいわけでありますから、そういう意味においてこの生涯学習を進めていかなければいけない。つまり、要するに、今までのようにハッピーリタイアを求めるのではなくて、ハッピーエージングといいますか、生涯現役の人の社会をつくっていくことによって日本の活路を開かなければいけないというような、そういう時代的な中でこの問題を考えていけば、生涯学習の社会であるにもかかわらず、なぜみんなが護送船団のように、みんなで渡れば怖くないみたいな、そういった形の画一的な制度というのを過度に厳格に守る必要があるのかと。 私は、ある意味で、何といいますか、画一性も必要だというふうには思っておりますけれども、しかし、子供の一人一人のその能力を伸ばし、一人一人の幸せを考えるのであれば、その年齢という点にのみこだわったこの教育のシステムというのは問題が多いというふうに考えております。 以上です。 ●参考人(清成忠男君) 今の御意見に全面的に賛成なんですが、もう一つちょっと違った点、視点から見ますと、今、若者が適性、自分が一体何に向いているのか、何をやりたいのか、これがよく分からないと。したがって、目的のないまま大学を選択する、学部を選択する、それに実はなじめないということで、したがって開花しないということが非常に一般的なんではないかという感じがするわけであります。 したがって、例えば高校から大学に入ってくると、そこの段階で、君はどうして今この大学のここに座っているのかというような質問をした場合、多分はっきり答えられないだろうと。じっと考えてみたら、子供のころから、いいところに就職するためにはいい大学にということで、それがずっと順に来て、小学校のときからそういう動機付けはされていると。しかし、何をやりたいか、何を勉強したいかというのは分からないままに来てしまうと。したがって、適性が分からないから、結局はなかなか自分の力を発揮できないということになるのではないか。したがって、私は、もう高校生の段階あるいは中学生の段階からキャリア形成についてきちんと動機付けを行うということが必要なんではないかというように思うんです。 私が文部科学省の大学設置・学校法人審議会の委員をやっておりますので、完成年度、つまり新しい大学ができて四年目にそういう大学を訪問するわけですね。学生の面接があるわけです。そうしますと、恐らくどこの大学でもできのいい学生を用意しておくと思うんですね。そうしますと、地方の短大から四大化した全く名もない新興の大学、入学の難易度が非常に低いというようなところでも非常にいい学生がいるんですね。結局、動機付けがあいまいのまま、自分の地域に新しい大学ができたから入ってきたと。その中に、やっぱりすばらしい素質を持っている学生がいるんですね。東京のいわゆる一流大学の学生と素質の面から見たら全く変わらないような子がやっぱり一群いるということもあるんですね。 したがって、今の受験制度でありますとか、あるいはもっと言えば家庭教育から始まるその仕組みの中にやはり問題があるというように思うんですね。したがって、やはり家庭教育、学校教育でできるだけ、中等教育あるいは場合によっては初等教育から、将来のキャリア形成について動機付けをしていくということが非常に重要ではないかというふうに思っております。 ●参考人(横山洋吉君) 私は、都道府県という立場で、初等中等教育を所管するという立場で申し上げますが、我が国が義務教育制度を小中において取っている以上、ある種社会教育システムとして画一化にやっぱりならざるを得ないだろうという思いは持っております ただ、そうした中で、じゃ、個々の日常的な授業形態といいますか、子供たちと相対するについての形態をどうするかという問題がございます。現在、そういった、先生がおっしゃるとおり、習熟度が相当違うというのは現実でございます。今かなりの都道府県でも小中学校において習熟度別授業といいますか、教科指導の面においてはこれが一応趨勢になっておりますし、現在の文部科学省の定数配置等につきましてもそういった方向に行っております。 ただ、問題は高等学校につきましてです。私は、高等学校は、従来のような学年制の、一、二、三年制を取る学校と同時に、現在、総合学科・単位制高校といいますか、学年制を取らない、いわゆる三年で卒業することを前提にしない単位制高校というのは相当増えております。 そうした中で、義務教育とこれは違いますから、かなり多様な高等学校を用意をしている。それはなぜかといいますと、子供たち自体が非常に価値観が多様化していますので、従来のようないい学校、いい会社というような、それほど子供たちには強いインパクトがないと。そういった意味では、多様な高等学校修学の機会を設けることによってそれをカバーできるんではないかと思っております。 |