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2010年 3月 4日 やまねりゅうじメールマガジン 「それぞれの春」 「浅田真央の銀メダル」他

 2010年 3月 4日 やまねりゅうじメールマガジン 「それぞれの春」 「浅田真央の銀メダル」他

◇政治家の性(2月26日)

幹事長室で留守番をしていると、国会見学に来られた方々がおいでになる事も多い。どなたの後援会の方か
お聞きすると、大抵選挙に強いと言われる議員さんのところから来られている。政治家にとり、国会での仕事
と地元のケアは、共に手を抜けるものではなく、その両立が求められている。

衆議院と参議院とでは、議員の地元ケアは、やはり衆議院議員の方が力点を置いているように思う。参議院
議員は、選挙年がはっきり決まっているのに比べ、衆議院議員の方は、いつ解散・総選挙となるか判らないの
で、常に選挙を意識せざるを得ない、というのが正直なところだろう。

今日(26日)は、細野豪志衆議院議員(静岡5区選出・筆頭副幹事長)の後援会の皆さんが来られたが、
私も誘われるままに、細野さんと一緒に記念撮影の仲間に入れてもらった。その中に、私と同姓の女性の方が
おられ、求めに応じ、その方とツーショットの写真をとってもらった。「山根姓は、島根や鳥取の方に多いん
ですよ。私は島根出身です」とお聞きした。

私の父は栃木県の出身だが、先祖を遡れば、あるいは島根に行き着くのかもしれない。

細野後援会の皆さんの中に「埼玉に友知人がいますよ」と言って下さった方がいたので、「『山根さんは良
い人だった』と伝えておいて下さい」と取り急ぎお願いさせて頂いた。


◇非所有の感覚(2月27日)

2月27日は娘、史子の誕生日である。先方とわが家との合同誕生日会を企画して、嫁ぎ先の義父とも一緒
で賑やかな食事を近所のレストランで行なった。帰路、2台に分乗してそれぞれの家路に向かったが、孫のハ
ナがどうしても「ジジ君の家に行ってお泊まりしたい」とせがんでいた。駐車場で私の手をギュッと握って離
さないので、私は無理やり娘の方の車にハナと下の妹アカリ2人を押し込んで素早くドアを閉めた。後から聞
いた話だと、その後が大変だったらしい。

窓ガラスに爪を立てて引っ掻き、大声で家まで「ジジく??ん」と泣き叫び続けていたという。

下の妹アカリの方は、ハナに同調しているに過ぎなかったようだが、尋常な叫び方ではなかったという。代
行屋の運転手さんも笑っていたという。

そんな話を聞いて、つい嬉しくなりペンを走らせた。

今、私が住んでいる家は、ちょうど史子が生まれて女房の実家から戻ってきた時に竣工しているので、娘の
年イコールであり、わが家が築何年かは、いつも明らかである。以前の家から距離にして100M程しか離れ
ていない所に新築したわが家は、もう26年を数えるが、未だに"自分の家"という気になれないでいる。私は
今日まで、アパート暮らしや借家住まいをした事は一度もないのだが、いつも他人の家で仮住まいをしている
感覚が消えない。わが家で義母が亡くなったことで家がどっしりしてきた感がしてきて、自分と家屋との関係
が少しは近くなってきたような気がするが、それでも住まわせてもらっている、という感じだ。

この非所有感は多分、終生、変わらないものかもしれない。私は幼年期からずっと、玩具や全ての物質的な
形を成すものに対して、私のものにしたい、と望みながら感覚的に所有しきれない、というもどかしさを持ち
続けていたように思う。だから、諦めて物質にはいつも一定の距離を置いて、心の中で折り合いをつけていた。
今でもこの感覚は不変で、物質だけでなく、健康も、愛情も、家も、地位も、全てが不確かなもので、いずれ、
あるいは瞬時に霧消する質(タチ)のものだという虞(オソレ)、不安から逃げられない。

人間にとって本当の安心は、全てを失っても尚、満たされた思いを抱けるかどうかだろうが、この辺までくる
と、凡人である私のレベルでは、入りきれない世界となってくる。


◇映画"おとうと"を見て(3月1日)

地元南古谷の映画館で久しぶりに映画を観た。吉永小百合主演の"おとうと"は、助演というより、もう1人
の主役は、弟役の鶴瓶。

山田洋次監督作品でもあり、この映画のイメージはやはり寅さんと重なる。問題の多い弟と、しっかり者の
姉という構図で、物語は、それほど複雑なものでない。しかし、そこが山田作品で、ついつい涙を流して感動
してしまう作品だ。

行き倒れとなり、臨終の床に在る鶴瓶氏の演技力は素人のレベルを遙かに超えた、迫真の演技力だった。

私自身、両親を始め何人かの臨終に立ち会ったが、鶴瓶氏の演技は決して過剰ではなく、自然で、自己の死
の在り方
をイメージしている私にとっても、とても参考になる死に様だった。


◇それぞれの春(3月2日)

この冬は、電気毛布を一度も使わず厚手の毛布2枚と布団だけで過ごしてきた。漸く暖かくなってきたこの
頃は、その毛布も1枚剥がしている。

わが家の裏庭の白梅も、ほぼ満開となり、玄関脇の紅梅も綻び始めてきた。ジワ??っと春の訪れを感じる。
通勤時に来ていたコートとも、少し帰宅時に寒いと思う事もあるが、思い切ってもう今季はお別れすることに
した。

朝夕の愛犬の散歩後の足とお尻の洗浄も寒い日は別として、外の水道を使い始めた。

国会は明日から参院予算委員会がスタートを切る。本業の方は、野党追及の場でポカポカ陽気とはいかない
が、衆院は今日、予算案が通過の見通しで、自然成立が確定的だ。予算が執行され始め、国民の暮らしが少し
でも暖かくなってくれれば。


◇浅田真央の銀メダル(3月3日)

バンクーバー五輪が終わった。日本最後のメダルとなった、3人が一緒に滑りタイムを競う、女子パシュート
は、ほとんど事前にはメダルの可能性が報じられていなかっただけに、驚きだった。私もテレビ中継を見てい
たが、もう少しで金に届くところにまできていたので、とても残念だった。レースが終わってから落胆して、
もう続けてみている気にはなれず、直ぐにテレビのスイッチは切ってしまった。

浅田真央が舞う予定の2月26日1時29分頃、国会では種々の会議や勉強会が開かれていたが、どこも閑散
としていたらしい。私は、真面目に、というよりも怖くてとてもテレビ中継を見ていられない思いだったので、
会議にずっと出席していた。そのうち、浅田真央の演技が終わったらあっという間に会議に出席している全員
に競技の結果が伝わっていた。メールで多くの人が結果を知り、それを口伝えして皆に知れわたり、会議場に
小さな落胆が瀰漫した。

普段あまり国会では口にしていないので、これ程までに国会で真央ちゃんファンが多いのには、ビックリしつ
つ納得した。

私自身は、ニュースでしか2人の演技を見ていないので全演技は分からないが、キムヨナの演技は誰でもが褒
め、日本人でも「仕方なかった」と思わせる程のものだったようだ。同じ19才でもキムヨナには色香が漂い、
浅田真央には未だ稚気があると言われるが、逆に言えば、真央ちゃんには沢山の糊代(ノリシロ)がある、可
能性が大きい、という事ではないのか。ちょうどあの日、知人に招かれ韓国料理店で仲間4人と夕食を摂った。
もう店内はテーブルのあちこちでキムヨナの話題でいっぱいだった。「おめでとう、キムヨナ、すごかった
ね」と先ずは素直に祝意をお店のママに表させてもらった。その店は、当日、お客さんの大半が韓国の人であ
ったようで、我々が日本人と知ると、遠慮がちに小さな声で喜び合うような空気になってしまい、申し訳なか
った。

2人が良いライバルで更に活躍し続けて欲しいものだ。

試合後の真央ちゃんのインタビューをニュースで見たが、生々しい感情を涙だけではなく、言葉、表情そし
て絶句、つぶやきの中であれ程、豊かに美しく表現してくれたアスリートは、いなかった。
日本人らしい、新しい国民的スターに大きく成長していってくれるのではないだろうか。

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